里山あそび (シャングリラ?アレグリア!)

2008年07月03日 | サトヤマ,サトヤマ
 梅雨の中休み,雲の切れ間からときおり真っ青な夏空が顔をのぞかせる気持ちのいい季節だ。湿気が多いだなんで気にしてはいられない。急な雨など恐れてはならない。道がぬかるんでたってヘッチャラさ。四の五の言わず,さあ,自転車で近所の山にでも遊びに出掛けるんだ,老人よ!

 大分以前に記したことがあるが,現在私が居住している山間盆地およびその周辺地域において,いわゆる「環境問題」に造詣が深いと自他共に認められている方々が御贔屓にしている場所のひとつに《N地区の里山と棚田》というのがある。丹沢山麓に数多く存在する谷戸のひとつなのだが,何やらそこだけはイモリがやたらと多かったり,ふつうのドジョウよりも希少種のホトケドジョウのほうが多かったり,あるいはシマゲンゴロウが多かったりと,たいへん豊かで素晴らしい自然に恵まれた,いわば《里山シャングリラ》ないし《里山ビバリーヒルズ》のような場所であるらしい。

 ただし,のっけから横槍を入れるようで恐縮ですが,私見によれば件の土地は何も改まってシャングリラShangri-Laのごとくにアリガタク崇め奉るべき場所では決してないように思われる。丹沢山麓のみならず渋沢丘陵~大磯丘陵,あるいは山北,足柄,箱根山麓方面を含めた神奈川県西部の山間地ないし丘陵地を広く渉猟し,それぞれの土地土地のもつ特性ならびに生物学的自然を丁寧に観察してみればすぐにわかることなのだが,N地区とて他の多くの谷戸と同様,ごくごくアタリマエの里地である。あまりにもアタリマエすぎて,余計な前知識と期待を持って現地入りすると一寸拍子抜けするくらいだ。それでも環境貴族の面々にしてみれば一種「戦略的拠点」としてそこを他の場所とは差別化したいのかも知れないが,そういったことは本来の正しい自然との接し方からは少々外れているように思う。

 いや,単にイチャモンをつけてるみたいで重ね重ね恐縮ですが,それは私とて,盆地内自転車徘徊の折りにその地を訪れることだって時々ありますし,そして,こんなワタシにも四季折々の里地・里山の移ろいを愛でる心が多少とも備わっておりますがゆえ,かの土地が鄙びた山麓地域の樹林と草木と農と水とが織りなす昔ながらの落ち着いた農村景観をいまだに保持しており,多種多様な鳥たちのカシマシイ鳴き声,さまざまな虫ケラたちの賑わい,怪しげなケモノたちの徘徊する痕跡,そして谷間をわたる爽やかな雲と風とに包まれた茫洋としたイナカの人々の暮らし向き,それらが程良く混交したなかなかに素敵なエリアであることを認めるにヤブサカではありませぬ。ゆいいつ気になることといえば,あれはダメ,これはダメといった,いわゆる「ダメダメ系立て看板」が地区内に多いのがチョットねぇ,といったところでしょうか(いや,ほんのチョットだけ)。

 例えば先日など,同地区の集落の外れから山のほうに上っていく農道を見つけ,それは軽トラックがかろうじて通れる程度の狭い道であったのだが,さてこの小径はどこに通じているのやらといった興味を抱きつつそのクネクネ急坂を目一杯のインナーロー・ギアで漕ぎながらゆっくりと辿っていったら,やがて農道は途切れてシングル・トラックの凸凹山道へと変わってしまい,けれどそこで引き返すのもちょっと癪だから自転車を降りて押しながらさらにズンズン進んでゆくと,山の上の方へ登っていくと思われた道はそのうちに山の中腹をトラバースするような形に変わり,しかもその道は最近ではほとんど人の通った気配がないようで,ところどころで崖が崩れては道が途切れて山腹斜面のガレ場と一体化しており,そんな場所では山の斜面を自転車もろとも谷底へ転げ落ちないようにと十分に注意を払いながら自転車を担いでなおもゆっくり慎重に歩を進めてゆくと,急に少し先の叢林の間をケモノ(サル?イノシシ?)がザワザワッと横切ったような気配を覚えたのであるが,あいにく当方としては体勢不十分のためその対象物をじっくりと凝視観察するような余裕もなく,そんな風に汗かきながら山道をじわりじわりと移動してゆけば,やがて前方に半ば放棄されたようなミカン畑などが望見されたので,ああやっと,多分そこから先は集落へと通じる農道に出ることができるだろうとひとまずホッとしたのも束の間,恐らく近くの農地で畑仕事をしていると思われる地元民が連れてきたらしい飼い犬(当然ながら日本犬の雑種)が道の先に見える軽トラの脇に繋がれもせずに佇んでおり,そしてその犬メが何を思ったか急に吠えたてながら当方にダッシュで向かってきて,私のすぐ脇で止まると一層盛んに吠えたりしたものだから,あやうく七分ズボンの裾から出ている脛でも噛みつかれるのじゃないかと恐々としたが,こちらとしては地元犬に対して正面から戦いを挑むわけにもゆかず,さりとて自転車を放棄して逃げるわけにもゆかず,はいはい,アンタなんか知りませんよー,とばかりそのままゆっくりと自転車を漕ぎつづけて坂道を下ってゆき,じきに里の集落へとたどり着いたのでありました。アー,オモシロカッタ! 改めて踏査ルートを振り返ると,要するにN地区を囲む三方の山の中腹を馬蹄状に廻ってきたというわけだ。 こんなのを私は 《ナゴキ・アソビJeu de Naganouki》 と称している。いや本当に,楽しいところであります。シャングリラというよりもアレグリアとでも言うべきでしょう。

 また少し以前の別の日のこと。暖かな日和の日曜日に自転車で谷戸奥の棚田あたりまで出掛けた。そろそろシオヤトンボOrthetrum japonicum japonicumが発生するのじゃないかと思って,その様子を探りに行ったのである。午後の遅い時間帯であったが,休日だというのに棚田周辺に「サトヤマ・メンバー」は全く見当たらなかった(アー,ヨカッタ)。また地元農民の姿もなく,私一人だけでのんびりと山里風景を満喫することができた。シオヤトンボは案の定かなりの量が見られた。ほとんどムギワラトンボ型の♀ばかりでしたけど。

 その帰り路,周囲の風景を眺めながら自転車をゆっくり走らせていると,谷戸の疎林の縁で樹木に隠れるようにして捕虫網を持ってじっと対峙している人がいるのに気付いた。近づいてよく見れば若い女性であった。姿格好からしてシロウトさんでないことは確かだが,その手つきや腰つき,身のこなしはややぎこちなく,さほど年季の入った昆虫屋さんとは思われなかった。私自身もちろん昆虫採集はド素人なのだけれども,仕事柄,昆虫学者の採集行に何度か同道したことがあるため,プロの技量の程はそれなりに承知している。あるいは彼女,そこそこのキャリアはあるとしても,例えば池田清彦が養老猛司を指して「彼は実は虫採りが下手なの!」という程の資質なのだろうか(余計なお世話ですか)。 いずれにしても,当方ヒマなものだから,さて,どんな捕り方をするのかお手並み拝見とばかり,自転車を路傍に止めてしばし観察することにした。しばらくして先方もこちらの気配にようやく気付いたらしく,振り向いてやや恥ずかしそうに軽く会釈した。


「こんにちは,昆虫の調査ですか?」

「ええ,毎月1回,ここで調査しています。」

「TK大学の人たちがこの辺の自然をいろいろ調査しているようですね。失礼ですが,そちら関係の方?」

「いえ,わたしはTN大学です。」

「ああ,そうなんですか。。。 この近所の他の場所に比べて,ここは昆虫が多いんですか?」

「そうですね,かなり多いですね。」

「似たような景観,似たような環境の土地が,もっと西の方にも,あるいは尾根を隔てた東側にも,いくらでもありますけどねぇ。それでもやっぱりここは多いですか?」

「さあ,どうでしょう? 私はここしか知りませんけど,とにかく昆虫は多いですよ。」

 (どうも会話が多少スレ違っているようだ。。。)

「お邪魔しました。調査の方,がんぱって下さい。」

「はい,ありがとうございます」


 ヒマな老人を邪険にしたりせずに当方の余計な問いかけに逐一答えて下さった,なかなか礼儀正しいオネエチャンであった。将来立派な昆虫屋さんになることを陰ながら期待しています。もっとも彼女にしてからが,恐らくはシャングリラ幻想に取り憑かれた「サトヤマ軍団」の一員ないしそのシンパなのでありましょう。それが昨今における里山に関わる人々の実状かも知れない。いささか寂しい現実である。そんな彼ら彼女らに対して,唐突ですが,私はジョルジュ・ブラッサンスの《ドーデモイイ場所で生まれた人々のバラードLa ballade des gens qui sont nes quelque part》というケッタイな題の歌を捧げたいと思う。内容の説明はメンドーなので省略させていただく。知りたい方は以下のリンクなどを辿って下さいまし。

 http://www.za.ztv.ne.jp/octi/sub14.htm


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