昨日は,4年前に事故で死んだ兄の誕生日だった。時の経つのは早いもので,生きていればこの日で還暦を迎えるはずであったのだ。正確には事故からちょうど4年と4ヶ月が過ぎた。その間オマエは一体何をしてきたのだ,と,吹き来る風に問われても,相も変わらず凡庸な日々を訥々と過ごしている愚弟としては,まったく返す言葉もない。
春の彼岸を前に,自転車に乗ってひとり墓参に出掛けた。墓は東丹沢の伊勢原・日向薬師のすぐ近くにある。カーナビゲーションが示す自宅からの通常ルートは,国道246号を東北東に向かい伊勢原市・田中の交差点で県道63号を北上するものだが,クルマなんかでは断じて行きたくないし,かといって自転車で走るには まったくもってアジもソッケもない道だ。それで,いつもは善波峠のトンネルを越えたあとは,栗原とか三宮とか上粕屋とかの東丹沢山麓の里道をノンビリ自転車でゆくことにしている。
けれど昨日はお天気が良かったので,気分を変えて少し遠回りのルートを選び,蓑毛から浅間山林道を越えて大山道に下り,それから仁ヶ久保林道を越えて日向渓谷を山から下る山間コースで出掛けた。ここ二,三年は自転車走行の経験値をそれなりに積み重ねてきたツモリなのだが,それでも基本的には非力な老人ライダーゆえ,ユックリユックリの山越えになる。穏やかな陽気の日曜日のせいか,ヤビツ詣でのローディー諸氏が,あるいは単独で,あるいは数名の集団で,次々と私を追い越し,ときに前方から高速でサッとすれ違う。斜度10%前後の坂道を喘ぎながら歩くように漕ぎ登ってゆく鈍重でミスボラシイ身なりのMTB老人を,軽快でカッコイイ身なりのローディーが颯爽と追い抜いてゆく。明らかに基礎体力(ならびに資金力)の差を感じてしまう。 けれど,こちらとしては別に急ぐ旅ではない。ユックリユックリと,さらに漕ぎ続けるのみである。
前日までの風雨でスギ花粉もあらから落ちたのか,山中の空気は深閑として,思いのほか清澄だった。身体全体を掠めてゆく微風も柔らかく心地よい。もう春も真近である。林道はクルマがほとんど通らないから,老人でも安心して走ることができる。急勾配の続く坂に多少とも苦しみながら萎えながら,それでも気を取り直して鼻歌なんぞを口ずさみながらユックリユックリと登り続けてゆく。その歌は,例えば《灰色の瞳》だったりする。
山の坂道 ひとりで歩いて行った
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
ひとりぼっちで 影を見つめる
あなたは何処にいるのだろうか
風の便りも今はとだえ
あなたは何処にいるのだろうか
風の便りも今はとだえ...
心に沁み入る良い歌だと思う。今から30年以上も前,加藤登紀子31才,長谷川きよし25才のときに歌われた歌だ(二人とも若かった!) 音色の異なるそれぞれに美しい声の,優しくしっとりとした精妙なハーモニーが,遠く過ぎ去った日々のさまざまな出来事を思い出させる。アンデスもタンザワも,私にとっては等しくフルサトである。日常から離れて山に分け入ることは,いわば折々に自省の場を求めているのである。そこから生じるさまざまな想いの丈は,自らのペダルを漕ぐ力として憑依しているかのようだ。 まこと,人生,山アリ谷アリ。
ところで,兄が交通事故で死ぬときまで,つまり4~5年前までの私は,比較的控えめなオートモビリストautomobilisteだった。家のクルマの年間走行距離は約5,000km前後。そのうちカミサンが70%,私が30%くらいの利用割合であったと思う。すなわち,私の方は距離にして年間1,500kmほどクルマを運転していたわけだ。今なら自転車で2ヶ月程度の走行距離である。 車種はフォルクスワーゲン・ゴルフ3GLi(1995年モデル)。もっぱら町中チョロチョロ走りが主体であったがために燃費はかなり悪く,せいぜい7~8km/lくらいではなかったろうか。これを昨今ハヤリのCO2排出量に換算すると,私の走行分だけでも約470kg。すなわち,スーパーのレジ袋にして約7万8千枚分をイタズラニ消費していたことになる。あくまで「自家用」としての利用であるから,単に,少しでも楽をしたい,少しでも時間を短縮したい,といった程度のオロカナ理由が大部分であった。いま省みて忸怩たらざるを得ない。交通加害者にならなかったことを,せめてものヨシとしておくばかりである。
去年1年間は私自身クルマの運転を全くおこなわなかった。のみならず,クルマの助手席にも,後部座席にもほとんど乗らなかった。指折り数えても,自家用としてはカミサンの運転するクルマに便乗したのが2~3回あったかどうか,という程度である。また,路線バスおよびタクシーにも都合10回前後は乗ったように思うが,いずれもやむを得ない事情,例えば出張帰りの深夜時間だとか,あるいは大雨の日の外出だとかの場合に限られた。とにかく,CO2の排出規制に関しては個人的にかなり貢献した次第だ(別にドーデモイイことではあるが)。
そんなわけで,クルマのない暮らし,クルマに依存しない生活を私自身は今後も続けてゆくだろう。家族がどう考えているか,それはわからない。それぞれに己の道を歩むがよろしい。自転車に乗って墓参に出掛ける。自転車に乗って遠くの博物館にゆく。自転車に乗って海辺の町を訪ねる。それが我がbon cheminなのであると信じている。
もっとも,私とて老いたる身ゆえ,この先いつか自転車に乗れなくなる日がやってくるだろう。願わくば,その日が決して近からぬことを,神に,仏に,そして道祖神に!祈るのみである。
春の彼岸を前に,自転車に乗ってひとり墓参に出掛けた。墓は東丹沢の伊勢原・日向薬師のすぐ近くにある。カーナビゲーションが示す自宅からの通常ルートは,国道246号を東北東に向かい伊勢原市・田中の交差点で県道63号を北上するものだが,クルマなんかでは断じて行きたくないし,かといって自転車で走るには まったくもってアジもソッケもない道だ。それで,いつもは善波峠のトンネルを越えたあとは,栗原とか三宮とか上粕屋とかの東丹沢山麓の里道をノンビリ自転車でゆくことにしている。
けれど昨日はお天気が良かったので,気分を変えて少し遠回りのルートを選び,蓑毛から浅間山林道を越えて大山道に下り,それから仁ヶ久保林道を越えて日向渓谷を山から下る山間コースで出掛けた。ここ二,三年は自転車走行の経験値をそれなりに積み重ねてきたツモリなのだが,それでも基本的には非力な老人ライダーゆえ,ユックリユックリの山越えになる。穏やかな陽気の日曜日のせいか,ヤビツ詣でのローディー諸氏が,あるいは単独で,あるいは数名の集団で,次々と私を追い越し,ときに前方から高速でサッとすれ違う。斜度10%前後の坂道を喘ぎながら歩くように漕ぎ登ってゆく鈍重でミスボラシイ身なりのMTB老人を,軽快でカッコイイ身なりのローディーが颯爽と追い抜いてゆく。明らかに基礎体力(ならびに資金力)の差を感じてしまう。 けれど,こちらとしては別に急ぐ旅ではない。ユックリユックリと,さらに漕ぎ続けるのみである。
前日までの風雨でスギ花粉もあらから落ちたのか,山中の空気は深閑として,思いのほか清澄だった。身体全体を掠めてゆく微風も柔らかく心地よい。もう春も真近である。林道はクルマがほとんど通らないから,老人でも安心して走ることができる。急勾配の続く坂に多少とも苦しみながら萎えながら,それでも気を取り直して鼻歌なんぞを口ずさみながらユックリユックリと登り続けてゆく。その歌は,例えば《灰色の瞳》だったりする。
山の坂道 ひとりで歩いて行った
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
あなたは今も歌っている
彼方の空に声が聞こえ
ひとりぼっちで 影を見つめる
あなたは何処にいるのだろうか
風の便りも今はとだえ
あなたは何処にいるのだろうか
風の便りも今はとだえ...
心に沁み入る良い歌だと思う。今から30年以上も前,加藤登紀子31才,長谷川きよし25才のときに歌われた歌だ(二人とも若かった!) 音色の異なるそれぞれに美しい声の,優しくしっとりとした精妙なハーモニーが,遠く過ぎ去った日々のさまざまな出来事を思い出させる。アンデスもタンザワも,私にとっては等しくフルサトである。日常から離れて山に分け入ることは,いわば折々に自省の場を求めているのである。そこから生じるさまざまな想いの丈は,自らのペダルを漕ぐ力として憑依しているかのようだ。 まこと,人生,山アリ谷アリ。
ところで,兄が交通事故で死ぬときまで,つまり4~5年前までの私は,比較的控えめなオートモビリストautomobilisteだった。家のクルマの年間走行距離は約5,000km前後。そのうちカミサンが70%,私が30%くらいの利用割合であったと思う。すなわち,私の方は距離にして年間1,500kmほどクルマを運転していたわけだ。今なら自転車で2ヶ月程度の走行距離である。 車種はフォルクスワーゲン・ゴルフ3GLi(1995年モデル)。もっぱら町中チョロチョロ走りが主体であったがために燃費はかなり悪く,せいぜい7~8km/lくらいではなかったろうか。これを昨今ハヤリのCO2排出量に換算すると,私の走行分だけでも約470kg。すなわち,スーパーのレジ袋にして約7万8千枚分をイタズラニ消費していたことになる。あくまで「自家用」としての利用であるから,単に,少しでも楽をしたい,少しでも時間を短縮したい,といった程度のオロカナ理由が大部分であった。いま省みて忸怩たらざるを得ない。交通加害者にならなかったことを,せめてものヨシとしておくばかりである。
去年1年間は私自身クルマの運転を全くおこなわなかった。のみならず,クルマの助手席にも,後部座席にもほとんど乗らなかった。指折り数えても,自家用としてはカミサンの運転するクルマに便乗したのが2~3回あったかどうか,という程度である。また,路線バスおよびタクシーにも都合10回前後は乗ったように思うが,いずれもやむを得ない事情,例えば出張帰りの深夜時間だとか,あるいは大雨の日の外出だとかの場合に限られた。とにかく,CO2の排出規制に関しては個人的にかなり貢献した次第だ(別にドーデモイイことではあるが)。
そんなわけで,クルマのない暮らし,クルマに依存しない生活を私自身は今後も続けてゆくだろう。家族がどう考えているか,それはわからない。それぞれに己の道を歩むがよろしい。自転車に乗って墓参に出掛ける。自転車に乗って遠くの博物館にゆく。自転車に乗って海辺の町を訪ねる。それが我がbon cheminなのであると信じている。
もっとも,私とて老いたる身ゆえ,この先いつか自転車に乗れなくなる日がやってくるだろう。願わくば,その日が決して近からぬことを,神に,仏に,そして道祖神に!祈るのみである。