お揃いの「テニス・セーター」を思い出しながら

2012年08月29日 | 日々のアブク
 中学校のときの同級生から久し振りに電話があった。 急な話なので何だが,明日,私の母の墓参に行きたいので,もし都合がつくようなら案内してもらえまいか? ということだった。 そうか,それは大変に有難いことだ。都合なんかいくらでもつけちゃいましょう。

 もう半世紀も昔のことになるが,中学のテニス部で一緒だった男で,1年の終わり頃から3年の夏まで ずっとペアを組んでいた仲である(彼が前衛,私が後衛)。たいして強いペアではなく,公式戦での入賞実績等もなかったけれど,それでも二人ともテニスが好きで好きで,春・夏・秋・冬,毎朝・毎夕,飽きることなく結構真剣に部活に精を出したものだった。中学卒業後はそれぞれ別の高校に進み,また当方の転居により互いの住まいも離れてしまったこともあって付き合いは徐々に疎遠となり,加えて20代から30代にかけての時期は諸般の事情によりまったくの音信不通となった。それが,40才を目前にしたある日,某地方都市のとある店で偶然に再開したのだ。彼は店員として,私は客として。 オー,生きてたか! それはお互いの正直な感想だった。その後はまた年に1回くらいは会うようになって現在に至っている。

 現在では5人の孫がいる立派なジーサンなのであるが,個人商店を営んでおり,ほとんど一人で店を切り盛りしているため毎日が結構忙しく,ずっと以前から母の墓参りをしたいと言ってはいたのだが,なかなか果たせなかった。それが,明日,急にまる一日自由になったのでぜひ行きたい,という電話だった。いや,本当に有難いことだ。

 4年前に死んだ母の墓地は小田原市郊外の霊園にある。彼はクルマで来るという。分かりやすい場所なので道順を教え,現地集合とした。私は当然ながら自転車での参上である。

 暑い日の午後だった。こちらが遅れては申し訳ないので,少し早めに出掛けて現地の木陰で涼みながら休んでいると,しばらくして彼の車がやってきた。 やあ,今日はドウモ。 挨拶もそこそこに,彼は車から花束とか供物とかバケツとかを取り出して,さぁ,案内してよ,とこちらを促すのである。なんだか随分と張り切っている様子だ。 霊園は丘陵地の東に面した斜面に造成されており,しかも母の墓所はその最上部にあるため,近況報告とかの世間話など交わしながら緩い階段を二人並んでゆっくりと登っていった。

 俺さぁ,最近じゃ親戚関係の墓参り要員にちょくちょく駆り出されてるもんだから,墓参りに関しては,もう,慣れたもんさ。今日は俺が全部やるから,○ちゃんは横で見てなさいよ。 はぁ,恐縮至極です。

 途中にある水場で,霊園備品の手桶を2個ばかり借りてそれらに水をタップリ汲み入れ,それを持ってさらに上へと登っていった。母の墓にたどり着くと,彼はさっそく作業開始。墓の周囲を手箒でササッと清め,花受や香皿をきれいに洗い流し,墓本体の汚れたところをタワシでゴシゴシ洗い落とし,それからあたりに散乱している落ち葉や枯れ枝その他のゴミを持参したゴミ袋に放り込んでいった。それにしても,手箒・タワシ・ゴミ袋と,何と用意周到なことか! そして,テキパキとした作業の見事さよ!

 そんな彼の「仕事ぶり」を傍らでぼんやり眺めながら,私ときたら ジョルジュ・ブラッサンスの《墓堀り人夫 Le fossoyeur》という古い歌を思い出しているようなテイタラクでありました。


  J'ai beau me dire que rien n'est éternel,
  Je peux pas trouver ça tout naturel;
  Et jamais je ne parviens
  A prendre la mort comme elle vient...
  Je suis un pauvre fossoyeur.

   「永遠」なんぞありはしないと重々承知はしているが
   だからといって「死」が当然のことであるとも思われない
   そんなわけで俺にはどうしても出来ないのだ
   運ばれてくる死体を素直に受け入れることが...
   まったく,因果な墓堀り稼業さ!


 それにしても,墓参に来るたびに思うのだが,古来より連綿と受け継がれ繰り返されている「お墓参り」という宗教的儀式,慣習的シキタリの奇妙さ,重さ,ぎこちなさについて改めて考えてしまう。いや,墓参という行為にではなく,どちらかといえば「お墓」そのものの在り方についての疑念だ。数ヵ月前に大規模霊園の存在意義について肯定的な意見を述べた当人が,その舌の根も渇かぬうちにこんなことを申すのもいささか気が引けるが,墓地というのも,まぁそのぅ,善し悪しですな。残された者たちへの要らぬ負担がいささか多すぎるように思う(金銭的負担,世俗的負担,宗教的負担,などなど)。時代は大きく変わっているんだし,これからは もう少し「軽やかな」供養というものが創出されてもよろしいのではないだろうか(いや決して汎世界的という意味ではなく,少なくとも国家レベル,単一民族レベルにおいての話だが)。たとえば,死者を祀る「図書館」みたいな,そんなものを考えてみる。図書館のことを英語ではlibraryというが,フランス語ではbibliothèque,ギリシア語ではbibliothekeという。ギリシア語のbiblos(書物,聖書)という語源は,bios(生命)とのアナロジーがあるような気がする(無知からくる勝手な思い込みで恐縮です)。先人の遺した記録された知的財産としての「書物」を集成して収めたビブリオテーケが「図書館」であるなら,先人の遺した記憶された私的追想としての「足跡・証」を集成して収めたバイオテーケが「墓所館」,ちょっと言葉がこなれていないが,そんなイメージで御理解いただけましょうか。それぞれの足跡(画像・映像・音声等)の収容方法は,最新の情報科学を援用して磁気保存等により凝縮すればよい。そして,巨大な中央図書館(Très Grand Bibliothèque)や小さな地方図書館(Petit Bibliothèque)があるように,巨大な中央墓所館(TGB)や小さな地方墓所館(PB)が当然あって然るべきだろう。それらはネットワークで緊密に結ばれ,誰もがいつでもどこでも好きなときに訪問し,参拝閲覧することが可能である。そう,近所のコンビニでちょっと買物でもするように。そんな未来が,やがては訪れて欲しいものだ。魂の変革,精神の革命。ま,「歴史と伝統」を覆すのもそうそう容易な所業ではないだろうケレドモ。。。

 彼の見事な作業ぶりを眺めているあいだに,あぁ何だか例によって老人戯言(ジジイノタワゴト)をウダウダ考えてしまったゾ。申し訳ない。

 さて,ひととおり墓の掃除を終えると,持参した献花,御菓子,飲み物などを墓前に供え,それから改めて墓前に立って彼は合掌した。何を考えていたのだろうか,比較的長い時間をかけた合掌だった。続いて,私もいつものようにおきまりの短い合掌をおこなった(何せこちらは1ヶ月おきに墓参しているものだから。。。)

 そうやって無事供養をすませたあとで,彼はやや饒舌に話しはじめた。

 いやぁ,俺さぁ。中二の冬だったかなぁ,おばさんにセーター編んでもらってプレゼントされたのが嬉しかったのよ。ほら,お揃いのテニス・セーター。うちのオフクロなんか,そういうのぜんぜん出来なかったからね。 でも,そのころの自分ら,体の成長が早かったじゃない。セーターが出来上がって受け取ったときには,最初に寸法を測ったときよりも俺の身体が少し大きくなってたみたいで,袖の長さなんか,ちょっと短かったみたいだったのね。で,いただいて家に持ち帰ったら,オフクロに,ちょっと小さいんじゃない?って言われたりした。けど俺,いや,そんなことない!ってムキになってオフクロに反論したんだよ。そして,袖や裾を伸ばしたりしてずっと着てたんだよ。あれはホントに嬉しかったなぁ。あれから50年,だもんなぁ。。。

 ああ,そういえばそんなことがあった。何せ私の方ときたら,当時は編み物の先生をやっていた母が編んだセーターを着るのがあたりまえで,市販のセーターなど買ってもらえない境遇だったものだから,申し訳ないが,そのことはあまり印象には残っていないのだった。そのペア・セーターを着て試合に出たかどうかの記憶も今ではまったくない。オフシーズンだったので,おそらく冬場の練習の際に着ていたくらいだっただろう。そうだ,思い出した。その当時,川崎競馬場の敷地内にテニスコートが2面作られていて,それは競馬場職員の福利厚生用施設だったのだけれども,確か後輩の父親が競馬場に勤めていたものだから,競馬のない日曜日など,時々都合を付けてそのテニスコートを無料で使わせてもらっていた。自分ら中学生にはもったいないくらいの結構立派なコートで,われわれ現役生のみならず,既に高校生,大学生,社会人となっているテニス部OB,OGも何人かやって来て,後輩の指導がてら一緒に練習していた(多分,競馬場の中に入りたかったのだろうけど。。。) そのなかに高校インターハイでベスト8に入った名だたる先輩がいて,当時大学生になっていたその人から,オッ!お前ら格好いいセーター着てるじゃないか! と褒められ冷やかされて大変ハズカシカッタ記憶がある。ああ,あれから50年。。。

 はい。今年の夏は そんなこともありました。ったく,お互い,年をとるはずですぜ。
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