「黒いイヌ」が裏通りを疾走する,悲しい町に生きる

2008年11月06日 | 自転車ぐらし
 「クルマ」と「ブックオフ」 すなわち 『貧民の枷』と『貧民の友』。 この二つの話題を引き合いに出すのは,最近の私にあってはそろそろ御法度とすべき筈であった。ケレドモサレドモ,たまには禁を犯してブチブチのひとつも言ってみたくなるのは,そう,季節がそろそろ冬に近づきつつあるせいだろうか。あるいはそれとも,マスコミという世間を映す歪んだ鏡が日々次々と仕掛けてくる作術に老弱した当方のアタマがまんまと嵌められてしまった所為でもあろうか? そんなわけで臆面もなく節操もなく,『貧民の枷』の方について,久しぶりに思うところを述べさせていただく。

 ニュースメディアによれば,最近,大阪方面では老若男女を問わずクルマでヒトを引きずるのが流行っているとのことだ。曳航距離は180mだったり3000mだったり,それはいろいろらしい。土地柄とはいえ何とも殺伐とした出来事である。いやしかし,実際のところは別に大阪に限った特殊案件ではないだろう。東京でも札幌でも沖縄でも秋田県は東成瀬村でも,あるいはサンチャゴでもムンバイでもポルト・サン・マルタンでも,およそ日常生活のなかでクルマとヒトが共存する場所において,それは常に起こりうる悲劇なのだ(悲喜劇とは決して申しますまい)。クルマという利便と剣呑とを兼ね備えた移動装置が有する特性にそれが由来していること,明らかである。

 ひとたびクルマという密室のなかに潜り込み,それに身をゆだねて地点間高速移動を行いながら外部世界を眺めるとき,ヒトは往々にして安全シールドの向こう側の世界で展開する諸々の現象,すなわち風景・景観の千変万化ぶりやら多種多様な存在形態の消長やらを,ともすれば単なるモノの動きとしてしか認識できなくなる。のみならず,やがては動くモノと動かぬモノとの区分さえもが曖昧になり,無機物と有機物との境界が茫洋となるのである。ああ,ボーヨー,ボーヨー,前途ボーヨー,というわけである。

 そのような状況下においては,仮に外部との接触が発生したとしても,それは生身のボディータッチなどとはほど遠く,いわばバーチャルな異物との超接近遭遇としてしか意識されない。ボディーランゲージなんぞが通じるはずもなく,瞬時,主体の意識の中でモノが客体化されるのみである。つまりこういうことだ。道路工事現場の片隅に置かれたカラーコーンを引きずろうが,路傍になかば打ち捨てられたダンボールハウスを引きずろうが,雨に打たれて街路樹から垂れ落ちた枯れ枝を引きずろうが,夜の集会に遅れまいと急いで道路を横断していたネコを引きずろうが(ああ悲しい!),あるいはまた深夜の路上,泥酔して路肩で寝込んじまっているヒトを引きずろうが(ああセツナイ!),それらはすべて密室隠者の意識下においては基本的に等価なのである。アチャー,何か当たっちゃったカナ? と,ほとんどArmadillo(アルマジロ)と化した彼ないし彼女のアタマは反応するのである。もちろん,身分の違い,民度の違い,感性の違い等に応じた受容レベルの差はございましょう。しかしながらクルマの中の存在における基本的な意識構造は等値なのだ。

 ちょっと考えてみれば,そのようなメタモルフォーゼ(自己変身)が生じること自体,まことにもって嘆かわしき文明精神の爛熟・頽廃ぶりの現れであることは明白なのであるが,そしてクルマという剣呑・邪悪な移動装置がそれを引き出していることは論を待たないのであるが,現代社会においては誰もがそのことに対して耳目を塞いでいる。というか,そんなイヤなことには思いが至らないようにと秘かに,あるいは無意識のうちに念じているのだ。

 ここでひとつ思い付きの提言をさせていただくが,現在,我々の生活エリアを縦横無尽に走り回っている夥しい数のクルマというクルマを全てオープンカーにしたら,交通事故は今よりも半減することだろう。さらに,フロントガラスを取り払い,加えてボディーを透明プラスチック製にでもしたら,事故は半々減するに違いない。ただし,それは年間事故死者が1万人から5千人に,あるいは2千5百人に減るというだけの単なる場当たり的予防策に過ぎず,抜本的な不幸の解消にならないことは言うまでもない。

 町を歩けば,ホラ今日もまた,裏通りの細道を猛スピードで走り抜けるオロカモノ達が次から次へとひきもきらない。それは決してバカタレ青少年あるいは茶髪ヤンママのクルマに限ったことではなく,その多くはごくまっとうな一般市民が運転するクルマなのだ。特に最近では,当地においてはデイサービス(老人福祉介護施設)関係の軽自動車がやたらと裏通りをスピード出して走り抜けてゆくのが目立っており,まこと時代の流れを感じさせる。高齢化社会の到来とともに生まれた将来有望な新ビジネスが既にして過当競争気味になってきているようで,どこもかしこもポンコツ・ジジババ,もとい大事なお客さんの新たな確保にやっきになっているのだろう。生き残りをかけて効率第一主義の会社経営に腐心しているのだろう。そのあげくの裏道暴走である。ジジババ生かしてコドモ生かさず。ミイラ取りがミイラになる,ってのはまさにこのことではあるまいか。

 これはマジで思うのだが,警察関係諸氏におかれては,定期的なネズミ取りと称して広い幹線道路を60km超で走っているクルマをホイホイ捕まえて点数稼ぐことなどもうイイカゲン止めにして,代わりに住宅街の狭い裏通りを40km超で走るクルマをドシドシ取り締まって欲しいと思う。いや,30kmでも,時には20kmであってもタイホして欲しい。兎にも角にもそ奴らはすこぶる危険な存在なのである。

 例えばですね,今ここに裏通りをクルマで走る老人(ジジorババ)がいるといたしましょう。彼らの運転,これがまた大変にコワイのだ。幅員5mにも満たない,センターラインもなければ路側帯もない住宅街の生活道路を走っているとき,彼らは概ね道のまん中を走る。それも,昔懐かしいゲーム『電流イライラ棒』を操る初心者のように,若干フラフラと左右にぶれながら,それでも何とか左右両側の壁には当たるまいとして,必死で道路の中央部を走っている。その生活道路には,彼らと同じジジ・ババがよろよろと歩いていたり,小さなコドモが楽しげに跳びはねていたり,少し大きなコドモが自転車で得意気にジグザグに走っていたり,ベビーカーを押した若い母親がゆっくりと歩いていたりするのだが,そのようなヒトや自転車や乳母車を追い越したりあるいは対面ですれ違ったりするときも,老人グルマはせいぜいスピードをすこし緩める程度で,中央走行を保持したまま決してポジションを変えようとはしない。ヒトや自転車の方が道端で停まってくれるものだと思っているし,また停まって当然だと思っているようだ。強者が弱者を常に威嚇するという「ヤドカリの法則」はクルマ老人においてもまた真なのである。さすがにクルマ同士がすれ違う場合は,オソルオソル道の端に寄って徐行し,場合によってはクルマを停めてしまう。いちおう自己保身の術は備わっているみたいですネ。 とまぁ,若干誇張はいたしましたが,決して粉飾ではない,それが通常の老人(ジーサン・バーサン)の運転作法なのである。

 まことに残念なことに,クルマのアクセル・ペダルという駆動装置は,ヒトを選ばない。ヨボヨボのジーサンが踏もうが,チャラチャラしたオネーチャンが踏もうが,プロの宅配便屋さんが踏もうが,あるいは片山右京が踏もうが,すべて正しく同じ結果をもたらす。この理不尽さを誰もが疑問に思わないことが,現代クルマ社会が抱える根本的な不条理である。これが例えばジテンシャ(軽車両)であれば,ジーサンの脚力は片山右京のそれに遠く及ばないわけであるからして,自ずとスピードに格段の差が生じる。あるいは,リヤカー(軽車両)を人力で引っぱったとしても同じことで,それぞれのマンパワーに応じた結果が正しくスピードに反映されるのみである。

 これもまた思い付きの提言であるが,個々人の体力・判断力・知力に応じたクルマ免許制度というものがあってしかるべきではないか? 体力・判断力等に劣るヒトビトは,それなりの低レベルのクルマにしか乗れない,といった免許制度の細分化が必要なのではないだろうか? (最高速度20kmのマシュマロボディー仕様の前後二人乗りオープンカー,とか) もっとも,本来なら老人のクルマ運転など一切禁止にして,どうしても地点間の高速移動を望むのであれば電動アシスト付き自転車,それも後ろ二輪の三輪車なら許可する,といった風にでもした方がよいのだが。。。

 以上,いささか偏見に満ちた,かつ的の外れた意見であることは重々承知の上でありますが,とにかくジジ・ババの運転はスコブル危険なのである。さらに言わせてもらうと,くわえ煙草にケータイで話しながら黒のツッパリ軽自動車を駆る茶髪ヤンママの運転なんぞは今更申すまでもなくウルトラスコブル危険なのである。しかり。町を歩く老人・子供らにとって,一歩家の外に出ればそこはクルマ=野蛮人が跳梁跋扈する,まさに戦場である。ずっと以前から何度も何度も言い古されてきた比喩ではあるけれども,ほかに言いようがない,それが現実なのだ。ジーサンが子供をはねる。茶髪ヤンママがバーサンをはねる。不幸が際限なく繰り返されてゆくなか,バカグルマの裏通り走行禁止令が実現される日は果たしてやって来るのだろうか? 地球温暖化防止に貢献する環境にやさしいエコカーの推進を,なんぞと馬鹿げたことをぬかす前に,立法・行政関係諸機関におかれては,ホレ,そこらをブイブイ走り回っている狂犬どもをまず何とかして欲しい! とまぁ,ゴミムシのごとき取るに足らない存在であるところのワタクシとて,それなりに日々嘆いているのであります(この分じゃ恐らく長生きできないと思うケレドモ)。


   見るがいい!
   黒いイヌが
   獲物を探して駆けてゆく...


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