家にいて仕事をしているときは,ほぼ一日じゅう椅子に座ってデスク・ワークに専念している。ワークのスタイルは,OM(オプチカル・マイクロスコープ)に向かっているか,あるいはPC(パーソナル・コンピュータ)に向かっているかのどちらかだ。いずれも孤独な作業を黙々と遂行しているわけで,ひとことも喋らずに何時間も過ぎゆくこと,しばしばである。それというのも,最近では仕事の電話がほとんど掛かって来なくなっており,それは即ち当方の仕事量が近年減少の一途を辿っているという業務ジリ貧状態の査証であることの他に,それぞれの客先が可及的速やかなる場合を除き通常の業務連絡打合せは原則としてEメールで行うようになってきたという昨今のビジネス事情がある。確かに,電話を介して否応なしに即時的,共時的な時間を縛られるよりも,Eメールで相互にタイムラグを持たせた方が諸々の作業はより効率的でより確実になる。んなわけで,仕事中の昼間の私はほとんど喋ることがない(時々はウーとかアーとか唸っているのかも知れないケレドモ)。
顕微鏡仕事の場合,これは以前に書いたことがあると思うが,長時間集中していると眼球・神経・脳髄系統がテキメンに疲労困憊して,挙げ句の果ては作業が継続不能な状態におちいってしまう。約20年近く前に両眼の《網膜裂孔》を同時に患ったことがあり、横浜の某眼科医院にてレーザー(光凝固)手術を行ったことがあるが,あとのきの眼球にレーザー照射されたと同様の感じ,強力な電磁波を介して己が脳ミソを邪険にイジラレテイル感じ,といった不快感が甦る。で,時々の気分転換として,とりあえず同じポジションにとどまりつつも,仕事とは全く関係のないモノ,例えば洗面所で発生したチョウバエTinearia alternataの脈翅だとか,故障した電気伝導度計の集積回路だとか,自らの親指のサカムケの状態だとか,あるいは最近抜けたアキラの乳歯の虫歯箇所だとか,そういったドーデモイイものを光学顕微鏡に繋いであるディスプレイ・モニタに映し出してはじっくりと観察し,果てはそれらをデジタル写真撮影したりもする。いや,別に何処かで発表披露するための資料ストックとしてではなく,勿論ブログ・ネタに使う気なども更々なく,ま,単なる息抜きのオアソビです。
パソコン仕事の場合,これも以前に書いたことがあるように思ったが,半ば目をつぶって(ブラインドタッチで)打鍵し続けることが少なからずあるためか,目の方はさほど疲れない。その代わり首が凝る。すこぶる凝る。私の場合,上部頸椎の環軸関節とやらが不調なようだ。こちらは約25年前,鎌倉の某整形外科医院にてCTスキャン撮影を行って《変形性頸椎症》と診断されたが,それ以来の持病である。 首凝りの解消策として,やはり同じポジションにとどまりつつも,例えばツボ押し棒(指圧グリグリ ATX-2030)を使用して背中のコリ部分(だいたいは胸椎3番右側あたり)をギュウギュウやったり,椅子の肘を利用して両腕で脚前挙支持して懸垂を何回かおこなってみたりする(昨今の非力な腕力では大した数はできないケレドモ)。
あるいはまた,気分転換にインターネットに分け入ってちょっとだけネットサーフすることもある。その場合,まずは個人的に興味ある方面のHPを拝見する。その次にはヴァーチャル・ショッピングなどを行う。MB(モンベル)だとかPA(ぽちっとアスクル)だとか,Y.com(ヨドバシドットコム)だとかI.net(いいよネット)だとか,A.fr(アマゾンフランス)だとかCBA(サイクルベースあさひ)だとか,それこそ節操もなくあちこちへ。ただし,あくまで基本はヴァーチャルで,物欲に負けて購入することはめったにない。もちろん,お金もない。
それらに加えて、最近では自転車愛好者のブログなんぞもよく覗いている。私自身の実生活の参考にはほとんどならないのだけれども,それでもなお,我が愛する自転車の世界において「他人の芝生」を塀越しに一寸覗いてみたりすることは,ある意味ホノボノとした気分転換となることは確かである。
ところで,その自転車ブログという特殊世界に蝟集する,あるいは集合離散する自転車ブロガーたちであるが,彼ら彼女らは,まるで小学生の夏休み絵日記のようなウェブログというものを,いささか緊張感に乏しい文章でもって,自らの自転車体験,自転車にまつわる出来事の数々を来る日も来る日も際限なく垂れ流し,いや失礼,こまめに書き綴り,それと一緒にデジカメ写真をペタペタ貼り付けたりもして日々飽くことなく配信しているようだ。精神的にズボラな私は,それらの情熱・根気・執着心にまずは敬服する。まこと,継続は力なり。
もっとも同じ特殊世界に集う住民とはいえ,それは人様々,十人十色であるからして,思慮深く含蓄に富んだ味わい文,かなり稚拙な脳天気文,いたってキマジメ端正文,いささか悪ノリ過剰文,品格皆無の落書文,天下を憂える皮相文,感情むき出し井戸端文,などなど,形式的に見ればそれこそ百花繚乱の趣である。けれどその内容といえば,いずれも小学生の絵日記なのだ。いわば,プチ自慢話,が基本命題となっている。昨日は自転車でドコソコへ行った,今日は自転車でアチコチを巡った。さっきは自転車のナンヤカンヤをナニソレした。楽しかった。オモシロカッタ。苦しかった。ザンネンダッタ。等々等々。
もちろんそのことは,いわゆる趣味の世界においてはごくアタリマエな現象であり一般的な傾向であり,当事者にしてみれば,なにも外野席からイチャモンをつけられる筋合いのことではないだろう。いわば閉じられたサークルにおいてサイクルがサークルしている(同義語反復?)のである。 ひとつ気になるのは,彼らは一様に,自転車に乗っているとシアワセな気分になる,などという言い方をする。あるいはまた,自転車ブログを書いているとシアワセになるという。けど実際のところは,シアワセだから自転車に乗っているのであり,シアワセだから脳天気なブログを日々飽くことなく書いているのであり,さらに言えば,自らのシアワセを再確認する術として自転車に乗っているのでありましょう。 いや,何ともはや,ウラヤマシイ限りです。
イカン,イカン。仕事の合間の息抜きがまた余計なブツブツになってしまったゾ。 バカ言ってんじゃないよ! と,何処かから後ろ指を刺されそう,もとい,差されそうだ。 早く春になればいいのに。
顕微鏡仕事の場合,これは以前に書いたことがあると思うが,長時間集中していると眼球・神経・脳髄系統がテキメンに疲労困憊して,挙げ句の果ては作業が継続不能な状態におちいってしまう。約20年近く前に両眼の《網膜裂孔》を同時に患ったことがあり、横浜の某眼科医院にてレーザー(光凝固)手術を行ったことがあるが,あとのきの眼球にレーザー照射されたと同様の感じ,強力な電磁波を介して己が脳ミソを邪険にイジラレテイル感じ,といった不快感が甦る。で,時々の気分転換として,とりあえず同じポジションにとどまりつつも,仕事とは全く関係のないモノ,例えば洗面所で発生したチョウバエTinearia alternataの脈翅だとか,故障した電気伝導度計の集積回路だとか,自らの親指のサカムケの状態だとか,あるいは最近抜けたアキラの乳歯の虫歯箇所だとか,そういったドーデモイイものを光学顕微鏡に繋いであるディスプレイ・モニタに映し出してはじっくりと観察し,果てはそれらをデジタル写真撮影したりもする。いや,別に何処かで発表披露するための資料ストックとしてではなく,勿論ブログ・ネタに使う気なども更々なく,ま,単なる息抜きのオアソビです。
パソコン仕事の場合,これも以前に書いたことがあるように思ったが,半ば目をつぶって(ブラインドタッチで)打鍵し続けることが少なからずあるためか,目の方はさほど疲れない。その代わり首が凝る。すこぶる凝る。私の場合,上部頸椎の環軸関節とやらが不調なようだ。こちらは約25年前,鎌倉の某整形外科医院にてCTスキャン撮影を行って《変形性頸椎症》と診断されたが,それ以来の持病である。 首凝りの解消策として,やはり同じポジションにとどまりつつも,例えばツボ押し棒(指圧グリグリ ATX-2030)を使用して背中のコリ部分(だいたいは胸椎3番右側あたり)をギュウギュウやったり,椅子の肘を利用して両腕で脚前挙支持して懸垂を何回かおこなってみたりする(昨今の非力な腕力では大した数はできないケレドモ)。
あるいはまた,気分転換にインターネットに分け入ってちょっとだけネットサーフすることもある。その場合,まずは個人的に興味ある方面のHPを拝見する。その次にはヴァーチャル・ショッピングなどを行う。MB(モンベル)だとかPA(ぽちっとアスクル)だとか,Y.com(ヨドバシドットコム)だとかI.net(いいよネット)だとか,A.fr(アマゾンフランス)だとかCBA(サイクルベースあさひ)だとか,それこそ節操もなくあちこちへ。ただし,あくまで基本はヴァーチャルで,物欲に負けて購入することはめったにない。もちろん,お金もない。
それらに加えて、最近では自転車愛好者のブログなんぞもよく覗いている。私自身の実生活の参考にはほとんどならないのだけれども,それでもなお,我が愛する自転車の世界において「他人の芝生」を塀越しに一寸覗いてみたりすることは,ある意味ホノボノとした気分転換となることは確かである。
ところで,その自転車ブログという特殊世界に蝟集する,あるいは集合離散する自転車ブロガーたちであるが,彼ら彼女らは,まるで小学生の夏休み絵日記のようなウェブログというものを,いささか緊張感に乏しい文章でもって,自らの自転車体験,自転車にまつわる出来事の数々を来る日も来る日も際限なく垂れ流し,いや失礼,こまめに書き綴り,それと一緒にデジカメ写真をペタペタ貼り付けたりもして日々飽くことなく配信しているようだ。精神的にズボラな私は,それらの情熱・根気・執着心にまずは敬服する。まこと,継続は力なり。
もっとも同じ特殊世界に集う住民とはいえ,それは人様々,十人十色であるからして,思慮深く含蓄に富んだ味わい文,かなり稚拙な脳天気文,いたってキマジメ端正文,いささか悪ノリ過剰文,品格皆無の落書文,天下を憂える皮相文,感情むき出し井戸端文,などなど,形式的に見ればそれこそ百花繚乱の趣である。けれどその内容といえば,いずれも小学生の絵日記なのだ。いわば,プチ自慢話,が基本命題となっている。昨日は自転車でドコソコへ行った,今日は自転車でアチコチを巡った。さっきは自転車のナンヤカンヤをナニソレした。楽しかった。オモシロカッタ。苦しかった。ザンネンダッタ。等々等々。
もちろんそのことは,いわゆる趣味の世界においてはごくアタリマエな現象であり一般的な傾向であり,当事者にしてみれば,なにも外野席からイチャモンをつけられる筋合いのことではないだろう。いわば閉じられたサークルにおいてサイクルがサークルしている(同義語反復?)のである。 ひとつ気になるのは,彼らは一様に,自転車に乗っているとシアワセな気分になる,などという言い方をする。あるいはまた,自転車ブログを書いているとシアワセになるという。けど実際のところは,シアワセだから自転車に乗っているのであり,シアワセだから脳天気なブログを日々飽くことなく書いているのであり,さらに言えば,自らのシアワセを再確認する術として自転車に乗っているのでありましょう。 いや,何ともはや,ウラヤマシイ限りです。
イカン,イカン。仕事の合間の息抜きがまた余計なブツブツになってしまったゾ。 バカ言ってんじゃないよ! と,何処かから後ろ指を刺されそう,もとい,差されそうだ。 早く春になればいいのに。