一途なアキラ

1997年12月27日 | アキラ
 最近,アキラのことをじっくりと観察していない,きちんとした会話を交わしていない,そしてアキラの気持ちを十分に読み取ろうとしていない,それらのことを少々反省している。確かに日々アキラが発する“コトバ”だけは次々とこちらの耳から頭の中へと入り込んでくる(あれだけ近くで騒がれれば,イヤでも入らざるを得ないんだが)。例えば,近頃父に対してよく使われる言い回しは以下のごとし。


 ちょっとまってね。これをやってからね。そう,まだなんだよ。

 え?どうして?どうしてなの? ねぇ,おとうさん。どうしてなの?

 ちがうよ,おとうさん。それは,もう言ったよ。

 いいえ,どういたしましてっ!

 ねぇ,シリトリやろうよ。ぼくがいうよ。ぼくがさきにいうんだよ。

 じゃあ,クイズだよ。じゃあ,キューキューはしるクルマは? じゃあ,ショーショーはしるクルマは? じゃあ,パトパトはしるクルマは? えーと,じゃあ,ヨーヨーはしるクルマは? えーと,ヨットだよ。

 (電車の本を開き,いろんな特急列車を指さしながら) おとうさんとアキラ,これのりたい。おとうさんとアキラ,これのりたい。おとうさんとアキラ,これのりたい。おとうさんとアキラ,これのりたい。 (以下10回ほど繰り返し)。


 これらの言葉を発するときのアキラは,決してニコニコしていない。どちらかというと毅然とした態度であるといった方が適切だ。それほど父に対する問いかけはしばしば鋭い(母に対しては結構甘えていることも多いのに,だ)。アキラが父と一緒にいてニコニコする時は,例えば「特急列車」や「はたらくクルマ」のビデオを見ながら長椅子の上でピョンピョン飛び跳ねて「このゆびとーまれ。スピードじまんの,なーかま」なんて歌っている時くらいだ。この3才児のヘンテコリンな欲求を動かしているもの,その行動原理は一体何だろうか。ワタクシはそれを,“実験”という言葉に求めたい。すなわち,アキラのやっていることは全て実験なのだ(体験,とは言いたくない)。AにBを反応させるとCになる。じゃあ,AとCを反応させると? じゃあ,AとEを反応させると? 家庭という閉鎖系実験室の中で,日々アキラは実験を繰り返している(パラメータはさほど多くないが)。そのような中で,アキラにとって現在の父の存在は,気まぐれで正体不明だが少なくとも兄に比べれば多少は話の通じるオトモダチ,程度のものに過ぎないと思われる。いや面目無い。

 たまにカメラを向けて,アキラ笑ってごらん! と声をかけたりすると顔を思いっきり不自然に歪めシワクチャ状態にして父の方に向き合う。それは,アキラの中で父に対する評価が定まっていないせいだ,対応が留保されているせいだ。不器用なアキラ。協調性に欠けるアキラ,一途なアキラ (もしかして父親似か,君は?)。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリスマス 結構可愛いい ... | トップ | 中島みゆきのドラマツルギー »
最新の画像もっと見る

アキラ」カテゴリの最新記事