ロベールRobert と リュシヤンLucien のこと

2018年08月05日 | 日々のアブク
 何かを少しだけ書いておかなければナ。たといそれが世人にとっては取るに足らぬ馬鹿馬鹿しいことであろうとも,何がしかの記録を何処かにしたためておかねばナ。そんな気持ちが,最近になって我知らずジワリ湧き起こってきたという話を少々。と申したところで,別にこれといった主張ないし主題,話題といったものを現在の私が持ち合わせているわけでは更々ない。所詮は自らの吐き出す儚いアブクに過ぎないものであろうとは重々承知している。されども,けれども。。。 ナ!

 きっかけはこうだ。数ヶ月前のことになるが,頃は晩春の黄昏時分,暇にまかせて過去帳の類を一寸ひも解いていたら,今からちょうど40年前の春の或る日,日本橋の丸善で《Vingt-ans de Cordée》という洋書を購入したというメモ書きが目に留まったのだった。価格は2,760円と記されていた。ああ,なんとも懐かしいデハナイカ! それは遥かな遠い昔,我が環境コンサルタント徒弟修業時代のことである。今,当時のことを改めて思い返してみると,その頃の自分は某零細企業の片隅に身を置いて,日々,次から次へと眼前に湧いてくるかのごとくに現れる種々雑多な請負業務の数々を,それぞれに決められた目先の工期,納期に厳しく追いまくられながら,場当たり的というか試行錯誤的に,シャニムニ仕事をこなしていた。何せその業界の勃興期ないし黎明期ともいえるような時代のことゆえ,仕事をしていく上での業務マニュアルも作業ガイダンスもなく,調査ガイドラインすら満足なものは存在しなかったのだ。当時のシンクタンクの雄,MRI(三菱総合研究所),NRI(野村総合研究所)などにしたところが,欧米など海外の有力シンクタンクの模倣ないし後追いでフウフウやっていたのが実情ではなかったろうか。ましてや吹けば飛ぶよな一弱小コンサルにおいておや。早朝・日中・夜間と連戦続きの現場作業,平日・休日・祭日のべつ幕なしの内業など恒常的であった,今の時代であれば,人権無視,冷酷無比,悲惨無残な過重労働の事例として天下のアサヒシンブンにでも取り上げられるか,あるいはテレビの興味本位な下衆ワイドショ―・ネタにでもなったりしたかも知れない。実際のところ,身近な同業他社にあっては,年度末山積業務がたたって30代前半で過労死した方や,海洋現場での長時間作業による事故がもとで若くして廃人となった方などもおられた。

 ま,そんな昔話の委細はドーデモイイことだが,とまれ,そのような状態のなかで購入した《Vingt-ans de Cordée》なのである。零細企業に勤務するビンボー・ヒマナシの境遇からすれば,それは決して安からぬ買い物であったと思う。なおかつ,その頃の自分は,そもそも仏語読解力自体がまったく覚束なくて(現在でもそれは同様だが),要するに,豚に真珠(la perle au pourceau)そのものに過ぎなかったというのが実情だった。けれども,その本が手元に置かれてあるだけで,なぜか知ら心安らぎ満ち足りた気持ちになっていたと記憶している。要するに「お守り」というか「オマジナイ」,あるいは「一人寝の抱き枕」か「幼児のヌイグルミ人形」みたいなものだったろうかと思う。

 先の過去帳には,同書のなかでもとくに印象強く,心惹かれた箇所々々などを自らのキタナイ字で直接書き写していた(何しろ「ワープロ以前」の手書き全盛時代のことゆえ)。ただし,今ここでそれらをスキャン・コピーして示すわけにもいくまいから,そのうちの一部だけ以下に書き出してみよう。例えば,アコンカグア南壁にチャレンジした際の壮絶な登攀のくだりなど。

 まずは,Lucien Berardiniの切迫した文。

Nos organismes se dégradent très rapidement. On sait qu'on ne peut plus tenir longtemps. Et on est là, comme des bêtes, dans un terrain absolument épouvantable, ne pensant plus qu'à soi. Si l'un d'entre nous avait voulu se jeter dans le vide, je ne crois pas que les autres auraient fait un geste pour le retenir; nous étions complètement abrutis, affamés, assoiffés. Le moral... No ne peut plus, à ce moment-là, parler de moral. On est une bête, et c'est elle qui reprend le dessus, qui veut s'en sortir.

 これに対して,Robert Paragotは次のように切り返した。

Nous sommes tous dingues de soif! Là, sur la neige, sur la glace, nous sommes dans le même état que ceux qui meurent de soif au Sahara! Cette nuit est interminable. Enfin, le soleil, dès son apparition, nous touche; malgré le froid et le vent, il nous réchauffe un peu, surtout moralement! Nous sommes tous au bout de notre rouleau, a l'extrême limite. Nous réagissons véritablement comme des bêtes, instinctivement. Mais la bête sait que c'est la journée de la derniere chance, qu'une autre journee n'est plus possible. Et la bête a marché.

 キーボードを打ちまくって苦労して転写しながらも,改めてなんともいえず懐かしい思いが溢れ出るのを止めることができない。おそらく,若き日の私は,このような緊迫した文章を自らの貧相なアタマのなかで繰り返しなぞるようにして刷り込み,それらを全身全霊に叩き込むことによって追い詰められた自身の境遇に投影させ,懐疑し,自省し,それによって眼前の状況を少しでも打破しようなどと,いわば「動物的に」モガイテいたのだろう。 comme des bêtes! 他愛ないと言えば他愛ない,哀れと言えば哀れな行為ではあるが,当時はソレナリニ仕事に対して真摯に向き合っていたのかも知れない,とも思ったりする現在の自分なのである。なべて老人は過去に対して優しい。

 その後の顛末であるが,20代後半から30代終わり頃にかけての時期は,数年ごとに引っ越しを繰り返し(より安住の地を求めて?),横浜・鶴見区北寺尾から都内・大田区田園調布,横浜・中区尾上町,大和市・深見へと居を移した。そして,それぞれの転居先に《Vingt-ans de Cordée》は後生大事に携えていった。けれども,本の購入後およそ10数年を経たのち,それは横浜の中心部から県央の田舎町に引っ越してしばらくしてからのことだったろうか,身辺に徒に増え続ける蔵書・資料の山に遂にニッチモサッチモいかなくなって,それらのうちから幾ばくかをピックアップして思い切って処分することに決めた。そして,大和市に隣接する横浜・瀬谷区の某古本屋さんに蔵書の一部をザックリ売り払ったのだが,そのときに同書も売却リストに含まれることになった。それは,年を重ねるとともに自らの興味・関心の対象が少しづつ変わってしまったことの結果だったのだろう。歳月人を待たず。そしてその時をもって,ロベール・パラゴとリュシヤン・ベラルディニという魅力的な二人のクライマーは我が視界から消え去ってしまった。その最後は,意外にあっけない別れだった。。。

 ところで,つい一週間ほど前のことだ。同書の邦訳版である《ザイル仲間の20年》(発行:森林書房,発売:山と渓谷社)を,県内の某古書店,そこは毎度お馴染み「ブックオフ@貧民の友」には非ずして田舎町のごく小さな古本屋さんであるが,その店の棚で偶然に見つけたのだ。おお,これはこれは,と即座に手が伸びた。あぁ,なんとも懐かしい! 値段は200円ポッキリと大変安かった。ただし本の体裁は売値相応で全体にかなり経年劣化しており,まぁ,何とか読める程度のボロボロ状態だったけれども,私には大変貴重な「拾い物」というか「お宝もの」に思われ,躊躇なくその場で購入した。家に戻ってから,ワクワク気分でパラパラとページをめくる。もう,とうに忘れてしまったエピソードやフレーズのそこかしこが老いさらばえた記憶の奥底から断片的に蘇ってきたりもして,何処かムズガユイような何故かハズカシイような「幸せ状態」におちいってしまい,決して大袈裟ではなく,涙が溢れんばかりに素直に嬉しかった。

 話が前後するが,実を申せば,私が同書を最初に読んだのはこの邦訳版の方なのである。それは1977年に発行されたもので,刊行後すぐに購入して読んだ。当時は,超忙しい日々の合い間を縫うようにして,苦労してわずかな時間を工面し,大学時代の友人と二人で,ある時は一人だけで,追浜・鷹取山の岩場に通ったりしているシロウト・クライマー・モドキでもあった。それで,彼我のレベル差は圧倒的に異なれども,クライミングをめぐるリュシヤンとロベールの丁々発止の気の置けないやり取りに強く心惹かれた。そんな風に生きてゆくのもアリなのかなぁ?と朧気に,そして羨ましく思ったりもした。それとともに,邦訳の文章には??を付けたい箇所もいくつかあったものだから,原書に直接あたってみようと考えた次第だ。その頃,洋書,それも新しい本といえば「丸善」に当たるくらいしかなかった。何しろ「インターネット以前」の時代のことだ。洋書販売の専門店や代理店もないわけではなかったが,いずれも私にとっては少々敷居が高かった。そんなわけで日本橋の丸善に直行した。そして店内の棚で同書を見つけた時の喜びといったら! 邦訳版と原書とではジャケットの体裁が全く異なっていたが,それは紛うことなきPARAGOTとBERARDINIの本だった。おお,これだったのか! その夜,購入した本を寝床の傍らに置きながら,わけもなく嬉しい「幸せ状態」におちいったまま,しばし眠れなかった。なるほど,歴史は繰り返す,ってわけか。

 ちなみに,先に引用したフレーズは,邦訳では次のようだ。

 僕たちの機能は急速に低下していった。これ以上は耐えられないことを悟る。極度の恐怖に満ちたところにあっては,人間は一匹の動物のようになって,自分のことしか考えなくなる。もしぼくたちのうち,だれかが空間に身を投じようとしても,押しとどめようとする者がいるとは思えない。ぼくたちは完全にぼけ,飢え,渇いていた。士気は。。。そのときは士気のことなど口にものぼらなかった。一匹の動物だった。立ちなおって,この窮地から脱しようとしている動物だった。(リュシヤン・ベラルディニ)

 私たちは皆,渇きのために気がおかしくなっていた。雪の上,氷の上にいながら,私たちはサハラ砂漠で渇ききって死ぬ人々と同じ状況にあるのだ。その夜は果てしなく続いた。が,ついに太陽が姿を現わし,たちまち私たちに降りかかる。寒いし,風はあるが,私たちをいくらかは暖めてくれる。とりわけ気持ちの上でだ。皆もう瀬戸際だ。極限にきている。まったく動物のように,本能的に反応する。しかしこの動物は,今日が最後のチャンスの日であって,このうえあと一日はあり得ないことを知っている。そこで動物は前進する。(ロベール・パラゴ)

 今にして思えば,こんなゴミムシのごとき自分にも確かにあったに違いない,未だ十分に若くて活力があり,同時に苦しみ悩み多き時代の,ま,言ってみれば凡庸にして他愛のないエピソードではございました。 Hier encore, j'avais vingt ans.. ああ,あれから四十年。。。
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