自転車を買った。ほぼ10年振りのことだ。今から11年半前,直近最後に購入した車種はダホンDAHONのフォールディングバイクHelios SLであったが,私にはいささか分不相応と思われた高性能でお洒落なそのバイクも昨年初めに売却してしまい,今では既に手元にない。現在残っているのはマウンテンバイクとクロスバイクとママチャリの3台,いずれもかなり年季の入った古いオンボロ自転車ばかりだ。
実は,諸般の事情により,ここ数年間,正確には2年前の春以来,自転車に乗ることができない身となってしまった。いや,まったく乗れなくなったというわけではなく,自転車で遠方の地に出かけたり,山中に奥深く分け入ったりすることがほぼ不可能になってしまったという次第で,せいぜいのところ,盆地内ゆっくり走行に限定,それもできるだけ急坂の登攀は避けて,少しでも緩傾斜の道をノンビリ・ユルユルと走るくらいが精一杯といった有様なのだ。ようするに,「まっとうな自転車乗り」としては,ほとんど「退役軍人」並みに身を落としたと言えばよろしいか,あるいは限りなく「生ける屍」に近いと申すべきか。。。 まぁ,それもジンセイですから。
それが,何ヶ月か前のこと,宮澤賢治が夢のなかにヒョッコリ現れて,私に向かって突然に,訥々と諭すように語りかけたのだ。自転車ニ乗リナサイ。自転車デ走リナサイ。モシ全ウニ走レナイノデアレバ,何トカ創意工夫ヲスルノダ。ソシテ命アル限リハ,更ニドコマデモ走リ続ケルノダ。諸君ヨ!
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやって来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率ひられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮風や風、
あらゆる自然の力を用ひ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めなばならぬ...
そしてその時以来,賢治先生に強く背中を押されるようにして,基本的に非力で無能なビンボー老人たる我が身の程を顧みず,というか,ビンボー老人なればこその虚仮の執念とでも申したほうが適切か,とにかく新たな自転車を購入するために必要な資金を何とかして調達すべくアレコレ思案を重ねた。アンチョクに誰かに借金するなんてオソレオオイし(尤もそんな相手もいないが),かといって,ヤケクソに犯罪に手を染めるなんてのもトンデモナイし(尤もそんな覚悟もないが),さて,ドウスベイカ。。。 結局,最も無難なところで大事にしていた蔵書の一部を泣く泣く売却処分することにしたのだが,有難いことに,当方が放出を決めた図書を某大学研究室の先生が購入して下さることになった。まことにもってアリガタイ。恐らくは賢治先生の後ろ盾のタマモノだろう。
さて,首尾よく資金調達ができたということになれば,次には車種の選定である。順序が逆のような気もするが,現在の私の境遇からすれば,まずは購入資金の確保,次いでその資金に見合った車種選定というダンドリのほうが本筋なのだ。もちろん,現状の途轍もなく寂しい懐からエイヤッと大枚叩いて新規購入するからには中途半端な自転車じゃ物足りない。熟慮の末に私が決めたのはパナソニックPANASONICのハリヤHurryerという自転車である。要するに,まぁそのぅ,これは電動アシスト自転車なのでアリマス(あ,そこの一部の御方,笑わないように!) なんのことはない。賢治先生が潮汐や風など自然的「フィジカル・パワー」を利用してこれからの新しい時代を切り開くべく模索していたのに対して,私自身の老いたる浅知恵は人工的「エレクトリック・アシスタンス」を模索していたというわけだ。いやお恥かしい。
いささか前振りが長くなったようだ。見苦しい言い訳はこのへんで止めておこう。ところで,電動アシスト自転車というヴィークルは,私にとって,これまでの決して短からぬ自転車人生においての初乗車,初体験なのである。ドキドキ&ワクワク。まずは近場の道を無理をしないで慎重に試走して,自転車の特性や仕組みを把握し,予めそれに十分慣れておくことが須く必要であろう。老人よ,徒に浮かれまいぞ,燥ぐまいぞ。でもやっぱり,ワクワク&ドキドキ。
新車がメデタク納入された初乗りの日,やおら自宅のガレージを出て,そして最初の一漕ぎ。そのときから私の自転車人生は全く変わってしまった。新たなステージへと一気に移行した。何なのだ,このペダリング感覚は。ゼルダのホバーブーツか! そんな昂ぶる感情を,しかしながら理性と良識とで制御しつつ,まずはゆっくりと北東方面に向かい,源実朝ゆかりの金剛寺の裏手を抜けて東京電力新秦野変電所へと通じる坂道を登っていった。この坂は,距離は短いながらも最大斜度20パーセント近くのソレナリニきつい急坂で,以前には日頃の体調チェックの指標とすべく時々通っていた坂道でもあるのだが,その日は心拍数もさほど上がることなく,拍子抜けするほどスンナリと登りきれてしまったことにまず驚いた。変電所の入口でいったん自転車を降り,そこのピークから眼下に見渡せる新東名高速道路工事現場のゴチャゴチャとした佇まいと工事進捗状況を一瞥したのちに再び乗車,県道70号の方へと下り,さらに小蓑毛の細道に入り込んで,県道701号の方に向かって坂道を進んだ。手打ち蕎麦屋・石庄庵の脇を過ぎ,なおも快調にスイスイと登ってゆくと,やがて山中で道は途絶えた。さすがにその先のヤブに覆われたケモノ道を押し歩きで進むわけにもゆくまいから,体力の方はまだまだ十分に温存されてはいたけれども,残念ながらそこで引き返すことにした。帰路は田原ふるさと公園のある田圃地帯の中を抜け,また別の坂道に寄り道などもしながらノンビリ・ユックリ走行で無事に家までたどり着いた。トータルで小一時間ほどの行程で,改めてGPSメーターを見ると,走行距離20.6km,上昇高度442m,平均心拍数120BPMと記録されていた。おお,電動アシスト自転車ってすごい!
次の日は,葛葉川に沿って上流方面へと漕ぎ出した。新東名・羽根トンネル西出口の菩提工事現場を過ぎて葛葉川上流の谷間に入り,くず葉学園から表丹沢野外活動センターを経て「葛葉の泉」まで続く坂道を登った。この道も斜度20パーセントを超える急坂が続くかなりキツイ道なのだが,さほど息を切らすこともなく,泉のある園地まで一気に登り切ることができた。とにかく心拍数が急上昇せずに比較的低めに抑えられたままでいることは,脆弱老人としてまことに有難いのだ。坂の途中で白のクラウンが私の右側をゆっくり追い抜いていったが,数分後には終点の泉でそのクルマと合流した。乗っていた老夫婦は,すぐに追いついてきた当方の姿を見て初めビックリしていたが,「すごいなぁ,と思ったら,な~んだ電動アシストでしたか」,などと後から得心したように当方に声を掛けてきた(クラウン・ジジババに言われたくないワイ!) ま,世間的評価はそんなもんでしょうケド。取りあえずは持参したボトルに泉の水を満たしてから,さて,このまま下っちまうのももったいないなぁ,というわけで,すぐ先にある車止めゲートの脇をすり抜けて,桜沢林道をさらに上へと登っていくことにした。思い返せば,この林道を走るのもかれこれ4,5年振りのことだ。次々に現れるカーブの曲がり具合や谷筋ごとの地形の特徴,谷を渡る風の吹く様子などに以前の記憶がジワリよみがえってきて,懐かしくも楽しく,そしてとても呑気な走行だった。別段苦もなく漕ぎつづけて,いつのまにか登りきって表丹沢林道との合流点に出た。さらに菩提峠へと登りつめる林道の方に向かおうかとも思ったのだが,何せその日はサンダル履きだったものだから,やむなく自主規制し,そこからは表丹沢山群の山腹をほぼ水平に通じている表丹沢林道を西へと進むことにした。途中,荻山林道分岐まで来たところで,そういやこっちもしばらく通っていないなぁ,ということで,その先の戸沢林道の方には下ってゆかずに表丹沢林道とはここで分かれ,そこから三ノ塔尾根沿いの荻山林道の急坂を一気に下っていった。以前はかなり荒れた凸凹林道だったが,現在では路面が整備されて大分キレイになっていた。ただし,昔のように「かっ飛び下り」することは決してせずに,ユックリ・スイスイと気持ちよく下った。下りきった先には,秦野戸川公園の山岳スポーツセンターがあるが,公園の中に入り込むのはパスし,白泉寺(枝垂桜の寺)の裏手に続く道へと回り,そこから横野,菩提,羽根のを経て自宅に戻った。メーター記録は,走行距離26.8km,上昇高度705m,平均心拍数121BPMとなっていた。いやはや,電動アシスト自転車って,全くすごい。改めてそう思った。これは例えて言えば,アフリカ大陸のカラハリ砂漠を日々走りまわっているホッテントット族が,ある日突然,自転車という強力な武器を贈与されたような状態デハナイカ! いやチョット例えが不適切か,も少し言葉を選ぼう。そうさな,支那奥地チベット方面の急峻な山岳地帯に住み暮らす少数民族が,それまでは荷車を曳いて険しい畑道を毎日ウンショウンショと苦労して登っていたのが,ある日突然,いかなる神の思召しによるものなのか,その荷車に「エレキ」という不可思議な力が加わって,あれよあれよという間もなく楽に急坂を登れるようになったという,そんな戸惑いと,そして心からの喜び。いずれにしても,それは天から降りそそがれる恩寵のごとき,大きなそして至上の喜びなのである。アリガタキかな,カタジケナキかな。
私は少々ハシャギ過ぎだろうか? 多分は年甲斐もなく,手前勝手な,身の程知らずのオロカナ老人と指弾されるに十分な為体だろう。これもまた認知症の一形式なのである,などと勿体つけた反論は返すまい。愚かさもまた生きとし生けるものの抱える基本的宿命である。やがては我が命もどこかの地で尽き果てるであろうが,それまでは間違ってもクルマなんぞには係りをもたずに,あくまでも自転車に拘っていたいと思う。
それにしても,自転車ってヤツは!
実は,諸般の事情により,ここ数年間,正確には2年前の春以来,自転車に乗ることができない身となってしまった。いや,まったく乗れなくなったというわけではなく,自転車で遠方の地に出かけたり,山中に奥深く分け入ったりすることがほぼ不可能になってしまったという次第で,せいぜいのところ,盆地内ゆっくり走行に限定,それもできるだけ急坂の登攀は避けて,少しでも緩傾斜の道をノンビリ・ユルユルと走るくらいが精一杯といった有様なのだ。ようするに,「まっとうな自転車乗り」としては,ほとんど「退役軍人」並みに身を落としたと言えばよろしいか,あるいは限りなく「生ける屍」に近いと申すべきか。。。 まぁ,それもジンセイですから。
それが,何ヶ月か前のこと,宮澤賢治が夢のなかにヒョッコリ現れて,私に向かって突然に,訥々と諭すように語りかけたのだ。自転車ニ乗リナサイ。自転車デ走リナサイ。モシ全ウニ走レナイノデアレバ,何トカ創意工夫ヲスルノダ。ソシテ命アル限リハ,更ニドコマデモ走リ続ケルノダ。諸君ヨ!
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやって来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である
諸君はこの時代に強ひられ率ひられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮風や風、
あらゆる自然の力を用ひ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めなばならぬ...
そしてその時以来,賢治先生に強く背中を押されるようにして,基本的に非力で無能なビンボー老人たる我が身の程を顧みず,というか,ビンボー老人なればこその虚仮の執念とでも申したほうが適切か,とにかく新たな自転車を購入するために必要な資金を何とかして調達すべくアレコレ思案を重ねた。アンチョクに誰かに借金するなんてオソレオオイし(尤もそんな相手もいないが),かといって,ヤケクソに犯罪に手を染めるなんてのもトンデモナイし(尤もそんな覚悟もないが),さて,ドウスベイカ。。。 結局,最も無難なところで大事にしていた蔵書の一部を泣く泣く売却処分することにしたのだが,有難いことに,当方が放出を決めた図書を某大学研究室の先生が購入して下さることになった。まことにもってアリガタイ。恐らくは賢治先生の後ろ盾のタマモノだろう。
さて,首尾よく資金調達ができたということになれば,次には車種の選定である。順序が逆のような気もするが,現在の私の境遇からすれば,まずは購入資金の確保,次いでその資金に見合った車種選定というダンドリのほうが本筋なのだ。もちろん,現状の途轍もなく寂しい懐からエイヤッと大枚叩いて新規購入するからには中途半端な自転車じゃ物足りない。熟慮の末に私が決めたのはパナソニックPANASONICのハリヤHurryerという自転車である。要するに,まぁそのぅ,これは電動アシスト自転車なのでアリマス(あ,そこの一部の御方,笑わないように!) なんのことはない。賢治先生が潮汐や風など自然的「フィジカル・パワー」を利用してこれからの新しい時代を切り開くべく模索していたのに対して,私自身の老いたる浅知恵は人工的「エレクトリック・アシスタンス」を模索していたというわけだ。いやお恥かしい。
いささか前振りが長くなったようだ。見苦しい言い訳はこのへんで止めておこう。ところで,電動アシスト自転車というヴィークルは,私にとって,これまでの決して短からぬ自転車人生においての初乗車,初体験なのである。ドキドキ&ワクワク。まずは近場の道を無理をしないで慎重に試走して,自転車の特性や仕組みを把握し,予めそれに十分慣れておくことが須く必要であろう。老人よ,徒に浮かれまいぞ,燥ぐまいぞ。でもやっぱり,ワクワク&ドキドキ。
新車がメデタク納入された初乗りの日,やおら自宅のガレージを出て,そして最初の一漕ぎ。そのときから私の自転車人生は全く変わってしまった。新たなステージへと一気に移行した。何なのだ,このペダリング感覚は。ゼルダのホバーブーツか! そんな昂ぶる感情を,しかしながら理性と良識とで制御しつつ,まずはゆっくりと北東方面に向かい,源実朝ゆかりの金剛寺の裏手を抜けて東京電力新秦野変電所へと通じる坂道を登っていった。この坂は,距離は短いながらも最大斜度20パーセント近くのソレナリニきつい急坂で,以前には日頃の体調チェックの指標とすべく時々通っていた坂道でもあるのだが,その日は心拍数もさほど上がることなく,拍子抜けするほどスンナリと登りきれてしまったことにまず驚いた。変電所の入口でいったん自転車を降り,そこのピークから眼下に見渡せる新東名高速道路工事現場のゴチャゴチャとした佇まいと工事進捗状況を一瞥したのちに再び乗車,県道70号の方へと下り,さらに小蓑毛の細道に入り込んで,県道701号の方に向かって坂道を進んだ。手打ち蕎麦屋・石庄庵の脇を過ぎ,なおも快調にスイスイと登ってゆくと,やがて山中で道は途絶えた。さすがにその先のヤブに覆われたケモノ道を押し歩きで進むわけにもゆくまいから,体力の方はまだまだ十分に温存されてはいたけれども,残念ながらそこで引き返すことにした。帰路は田原ふるさと公園のある田圃地帯の中を抜け,また別の坂道に寄り道などもしながらノンビリ・ユックリ走行で無事に家までたどり着いた。トータルで小一時間ほどの行程で,改めてGPSメーターを見ると,走行距離20.6km,上昇高度442m,平均心拍数120BPMと記録されていた。おお,電動アシスト自転車ってすごい!
次の日は,葛葉川に沿って上流方面へと漕ぎ出した。新東名・羽根トンネル西出口の菩提工事現場を過ぎて葛葉川上流の谷間に入り,くず葉学園から表丹沢野外活動センターを経て「葛葉の泉」まで続く坂道を登った。この道も斜度20パーセントを超える急坂が続くかなりキツイ道なのだが,さほど息を切らすこともなく,泉のある園地まで一気に登り切ることができた。とにかく心拍数が急上昇せずに比較的低めに抑えられたままでいることは,脆弱老人としてまことに有難いのだ。坂の途中で白のクラウンが私の右側をゆっくり追い抜いていったが,数分後には終点の泉でそのクルマと合流した。乗っていた老夫婦は,すぐに追いついてきた当方の姿を見て初めビックリしていたが,「すごいなぁ,と思ったら,な~んだ電動アシストでしたか」,などと後から得心したように当方に声を掛けてきた(クラウン・ジジババに言われたくないワイ!) ま,世間的評価はそんなもんでしょうケド。取りあえずは持参したボトルに泉の水を満たしてから,さて,このまま下っちまうのももったいないなぁ,というわけで,すぐ先にある車止めゲートの脇をすり抜けて,桜沢林道をさらに上へと登っていくことにした。思い返せば,この林道を走るのもかれこれ4,5年振りのことだ。次々に現れるカーブの曲がり具合や谷筋ごとの地形の特徴,谷を渡る風の吹く様子などに以前の記憶がジワリよみがえってきて,懐かしくも楽しく,そしてとても呑気な走行だった。別段苦もなく漕ぎつづけて,いつのまにか登りきって表丹沢林道との合流点に出た。さらに菩提峠へと登りつめる林道の方に向かおうかとも思ったのだが,何せその日はサンダル履きだったものだから,やむなく自主規制し,そこからは表丹沢山群の山腹をほぼ水平に通じている表丹沢林道を西へと進むことにした。途中,荻山林道分岐まで来たところで,そういやこっちもしばらく通っていないなぁ,ということで,その先の戸沢林道の方には下ってゆかずに表丹沢林道とはここで分かれ,そこから三ノ塔尾根沿いの荻山林道の急坂を一気に下っていった。以前はかなり荒れた凸凹林道だったが,現在では路面が整備されて大分キレイになっていた。ただし,昔のように「かっ飛び下り」することは決してせずに,ユックリ・スイスイと気持ちよく下った。下りきった先には,秦野戸川公園の山岳スポーツセンターがあるが,公園の中に入り込むのはパスし,白泉寺(枝垂桜の寺)の裏手に続く道へと回り,そこから横野,菩提,羽根のを経て自宅に戻った。メーター記録は,走行距離26.8km,上昇高度705m,平均心拍数121BPMとなっていた。いやはや,電動アシスト自転車って,全くすごい。改めてそう思った。これは例えて言えば,アフリカ大陸のカラハリ砂漠を日々走りまわっているホッテントット族が,ある日突然,自転車という強力な武器を贈与されたような状態デハナイカ! いやチョット例えが不適切か,も少し言葉を選ぼう。そうさな,支那奥地チベット方面の急峻な山岳地帯に住み暮らす少数民族が,それまでは荷車を曳いて険しい畑道を毎日ウンショウンショと苦労して登っていたのが,ある日突然,いかなる神の思召しによるものなのか,その荷車に「エレキ」という不可思議な力が加わって,あれよあれよという間もなく楽に急坂を登れるようになったという,そんな戸惑いと,そして心からの喜び。いずれにしても,それは天から降りそそがれる恩寵のごとき,大きなそして至上の喜びなのである。アリガタキかな,カタジケナキかな。
私は少々ハシャギ過ぎだろうか? 多分は年甲斐もなく,手前勝手な,身の程知らずのオロカナ老人と指弾されるに十分な為体だろう。これもまた認知症の一形式なのである,などと勿体つけた反論は返すまい。愚かさもまた生きとし生けるものの抱える基本的宿命である。やがては我が命もどこかの地で尽き果てるであろうが,それまでは間違ってもクルマなんぞには係りをもたずに,あくまでも自転車に拘っていたいと思う。
それにしても,自転車ってヤツは!