丁寧な「人生」

1999年05月16日 | タカシ
 タカシは現在,習い事として「習字教室」と「体操教室」にそれぞれ週1回づつ通っている。体操教室については以前に少し触れたとおりで,本人はそれなりに楽しくやってはいるものの,同じ教室の多くの子供らに比べると基礎体力において脆弱・非力なこと明らかである。

 もうひとつの習字教室の方は,つい最近,四級になったようだ。本人が教えないものだから暫く気がつかなかったのだが,母が道具箱の中に詰め込まれていた書き終えた半紙の束を見ていたら,こんなものが出てきた。いやいや,甘親の贔屓目で言うのも何だがなかなかに立派な“人生”である。引っ張る・曲げる・撥ねる・留める,などのメリハリがしっかりしており,なによりもバランスが良い。父も見習いたいくらいであります(立派な人生を?)。

 変に神経質,というか細かいところに妙にこだわるタカシの性格は,多分「お習字」という静的な稽古事に向いているのだろう。子供によっては,習字教室などは例えばスイミングなんかに比べると退屈極まりないものとして苦痛に感じ,途中で辞めていく例も少なからずあるようだ。けれど,タカシは結構楽しそうに,もう2年以上も通い続けている。絵を描くように字を書いているのかも知れない。

 体操教室の方でも,以前タケダ先生が「筋力や瞬発力は正直いってやや欠けているが,ひとつひとつの動作が丁寧で美しいこと,それがタカシ君の真骨頂です」などと御世辞半分で評されていた。このあたり,父の遺伝かな,とシミジミと思う。

 ここで,もうとっくに時効になったと思われる昔々のエピソードを臆面もなく開示させて頂くが,ワタクシ自身は幼少時,小学校1年生の頃から字がかなり下手くそだった。粗雑な汚い字では決してなかったと思うけれども,バランスの悪いやや歪んだ字を強い筆圧で書いていた。言い訳めくが,幼時に左利きであったのが学校に上がるや半強制的に右手で字を書くよう変更指導されたことが多分に影響していたと思う。以後,小学校を通じてずっと下手文字時代が続いた。それが中学1年の頃,何がきっかけだったかは忘れてしまったが急に字をゆっくりと丁寧に書くようになった。それもまるで「丸ゴシック体」のような活字風の文字を苦労して真似するように書き始めた(「丸文字」とまでは崩れなかったと思う)。要するにペンキ屋が看板文字を描くみたいなもんですな。で,その結果どうなったかというと,中学2年の時,担任であった国語の先生から校外で催される「ペン習字コンクール」のクラス代表になるように推薦された。正直なところ,国語教師の眼力なんてその程度ものかと落胆しましたね。ワタクシは先生に対して,自分は絶対に代表になど相応しくないと強硬に主張し,頑としてその推薦を受け入れなかった(ああ恥ずかしい)。

 タカシの話に戻るが,習字の方はなかなかに立派だけれども,常日頃,鉛筆やボールペンで書く字,少なくとも家で学校の宿題やサブドリルをやっている時に書く字は,はっきり言って結構ぞんざいだ。それは何故かと言うと,第一に書く時の姿勢が悪い。何故姿勢が悪くなるかというと,心ここに在らず,といった様子で嫌々書いているからだ。どうもタカシは国語とか算数とかの基礎的勉強がキライらしい。特に,家で母や父にヤイノヤイノ言われながら行う強いられた勉強がね(多分どこの子もそうでしょう?)。

 まあ,学校の勉強さえ日々きちんとやっていれば,取りあえずはそれでいいと思う。先生の指導力,というか技術力に努めて期待する所以であります。いや決して親の責任放棄という意味ではない。少なくともクモンやらニチノーケンやらに依存して事足れりという方向付けは本末転倒であると思うし(親も子も),学校教育の有効性・可能性を当面は固く信じ動向を見守ってゆきたい(未熟な親でありますゆえ)。
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