ケータイという道具を媒介とした奇妙な光景が。。。

2004年09月23日 | タカシ
 この夏休みの終わりにタカシは晴れて携帯電話を所有することになった。親にしてみれば,それは苦渋の選択であった。

 中学に進学してからというもの,周囲の友達が次々と,という程でもないか,片手に余るくらいの数の友人が一人また一人と携帯電話所有者になってゆくにつれ,タカシ本人も,「ケータイ欲しいなー,ケータイ欲しいなー」と日々事あるごとに口にするようになり,それはコドモが駄々をこねるような言い方ではなく,何というか,受験生が願を掛けるような切ない物言いであったため,そのような状態をいつまでも続けてゆくのは精神衛生上よろしくないし,親としても碌々考えもせず判断を先送りにし続けるわけにはゆかない,というわけで早晩決断を迫られていたのだ。ま,いずこも同じ甘いバカ親,ってなもんですが。

 所有するにあたっては,事前にかなりキビシイ条件,というか約束事を取り付けた。その具体的内容はここでは省略させて頂くが,すべて本人は了承した。何しろタカシにとって,ケータイを所有することは万事に優先する大変メデタイことなのだから。

 キャリアは先行所有者たる父・母と同じくDOCOMO(Mova)とした。タカシの友人はAU加入者が多いらしく,その点は少々不満だったようだが,家族割引最優先ということで有無をいわせなかった。ただし,機種選定に関しては,別に「1円ケータイ」を強いたりすることはせず,彼自身の望む最新機種を好きに選ばせた(ただし,本人が半額を負担)。

 そうして新学期とともに彼のケータイ人生は幕を開けたのである。家にいるときはほとんど片時も離さず,実に興味深げに楽しそうにケータイをイジクリ回している。そして時には父の元にやってきて「オトーサン,これどうやったらいいの?」などと操作法を尋ねたりもする。コミュニケーションの機会が増えて,日頃ハブケにされている父としてはちょっとだけ嬉しい(あぁ,情けなや)。友達のメルアドも日に日に増えているようだ。最初のうちは多分に物珍しさも手伝っていると思うが,着メロをダウンロードしたり,写真画像のやりとりをしたり,動画を録画したり,ほとんど無意味なメール応対を繰り返したり,そういったケータイ・ベッタリ状態が続いている。もっとも,学校に持ってゆくことは禁止されているので,平日は夜だけ。その代わり土・日はフルタイムでケータイ生活に突入である。さてさて,月末の料金請求が楽しみだゾ。

 親としての言い訳めいたホンネをちょっとだけ述べさせていただければ,携帯電話が有する諸機能のうち,最も基本的な機能である「移動電話」としての用途,その利便性並びに必要性の高さを安易に受け入れることにより世のトレンドに屈してしまったという次第だ。面目ないことは重々承知している。しかし何しろ今日びの子供ってものは中学生になるとそれ以前に比べてテキメンに忙しくなって,それとともに行動範囲も飛躍的に拡大する。実際,タカシの生活を見ていても,休みのたんびに友人たちと市内のアチコチを出歩いて回り,あるいは部の試合がある休日にはバスや電車に乗って鶴巻方面に行ったり平塚方面に出掛けたり,さらには遠路ハルバル川崎市などにまで1日がかりで遠征に出向いたりと,そんなことは1年前までの彼には全く思いも寄らなかったことだ。小さい頃から根っからの地理音痴で,未だに自分のいる場所,自分が行きたい場所がほとんど把握できないタカシなのであるが,だからといって「アルゴス・システム」の電波送信機をくくり付けるわけにもいかないし,ここはやはり携帯電話を持たせるという選択が最善の判断であろう,と,バカ親としては敢えて自らを納得させたのだ。その一方で,携帯電話が有するインターネット端末,デジカメ撮影,音楽聴取などの付加機能,とりわけネット端末については,今日発生しているさまざまな社会的事件を鑑みるまでもなく,出来れば避けたいと思っていた。あるいは何らかのフィルターを施したいと考えていた。しかしそれとて,彼がこれまで親しんできたエンタテインメント遊具であるGBA-SP(ゲームボーイアドバンスSP)に代わって新たな第三世代の携帯ゲーム機を所有することになった,くらいに考えておけばいいのではないかと理解している(少々苦しい言い訳ながら)。

 ところで当方,最新の統計データには疎い者ゆえその実態はよくわからないが,現在,中学生における携帯電話所有率は果たしてどの程度なのだろうか? 中学生1年生で30%,2年生で50%,3年生で70%くらいが妥当なところかな? 近所の子供たちの様子などを見ていると,高校になったら恐らく90%を超えるのかも知れない。そしてこの所有率は,都会でも田舎でも,また金持ちでもビンボーでもほとんど関係ないような気がする。改めて周囲を見廻せば,ケータイという道具を媒介とした奇妙な光景が,ジョージ・オーウェルだってここまでは予見できなかったであろう実に不思議な光景がごくごく日常的に展開している。何となくこの社会は進む方向が間違っているような気がする(今さら遅い!)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ゴリラが自問自答している ... | トップ | 地図の亡霊 (主題図から基本... »
最新の画像もっと見る

タカシ」カテゴリの最新記事