昨日の日曜日,タカシとアキラをさそって近所の「弘法山」に出掛けた。確かこの春以来御無沙汰していたように思うので,久しぶりに晩秋の弘法山~権現山界隈の丘陵地などをちょっと散策してみたくなった次第。いや何,家からクルマで10分もかからない所なんだけれど。
弘法山と聞いてタカシは何だか気乗り薄な様子だった。というか出来れば行きたくないという態度がありありと伺えた。何となれば「弘法山はサルが出るから」だという。夏休みの少し前だったか,そのような連絡通知が学校の方からあったような気がする。子供は特にサルに狙われやすいという。飛びかかって引っ掻いたり噛みついたりもするという。もし襲われたらドウシヨウ,必死で逃げても追いつかれたらドウシヨウ! だいたいが恐がり屋のタカシであるが,単純なる無知は恐怖心を一層助長する。仕方ないのでまずはタカシの説得にあたった。
ねぇタカシ,サルなんて普通にしていれば全然ダイジョウブだよ。サルだってニンゲンなんだから(ん?) オトーサンなんかねぇ,このあいだの出張で山奥の川で仕事してるとき,すぐ目の前の川をサルが渡っていくのを見たよ。川岸からこっちをチラッチラッと見たりして,多分,オトーサンのことをクマの仲間か何かと思ったんだろうな,慌てて逃げるように渡っていったよ。ピョンピョンピョンと石を飛び伝って,そりゃあ上手いもんだった。それから,川から上がって山道に出ると,すぐ回りの山の中に,ななな~んと何10頭ものサルが隠れていたんだ。木の繁みの間から,ガサガサガサと,みんながこっちを恐る恐る見ているんだ。なかにはお母さんザルに必死でしがみついてるヌイグルミみたいな赤ん坊ザルもいたりしてね。いや,なかなか可愛いかったよ。とにかくこっちの方から先にチョッカイ出さない限りはサルだって何もしないってば。サルだって実はコワイんだってば。だからダイジョウブだってば.... いや,これは本当の話であります。
という風にタカシを何とか説得してメデタク三人で出掛けることになった。弘法山の中腹にある駐車場で車を下りると,天気の良い日曜日とあって結構たくさんの人が来ている。近所の散策者やらハイカーやら犬の散歩付き添い人やら道端で絵を描いている人たちやら,ヲイヲイなかには山の斜面でバーベキューをやって盛り上がっているフトドキモノまでいるゾ。それぞれに秋日和を楽しんでなかなかに賑わっている。かてて加えて「馬場道」と呼ばれる平坦で幅7~8mもある広い尾根道を歩いていると,前方から「なんたら歩行会」といった名札を付けたジーサンバーサンの集団が,何と数百人もの塊になってゾロゾロゾロゾロやってきたのには少々面食らった。ま,別に定員があるわけじゃないんだから文句は言えませんが。
これだけ人が多いと,さすがの恐がりタカシもサルのことなどすっかり忘れてしまったようだ。アキラの方は,もともと山を歩くのが好きな子だ。二人で競争しながら坂道をダッシュで登ったり,ときおり木の間隠れに見える遠くの風景や建物の「当てっこ」をしたり,権現山の頂上では二人仲良くシーソーを延々とやっていたり,野外彫刻「森の妖精」君の頭によじ登ってポーズを決めたりして,それなりに楽しい時間を父子で過ごした。そしてその後は「遊戯王カード」を買いに駅前の本屋さん方面へと勇んで向かったのでありました(ガックリ)。
ちなみにこの日,母は間近に迫っている幼児園のバザーに出品する「リース」の制作とやらで超多忙につき,ひとり家でオルスバンであった。何でもバザーには「手作り品」がとりわけ尊ばれるものらしい,というか,バザーの「体裁」を整えるために是非とも手作り品をある程度の数は揃えねばならないらしい。そしてその準備の多くは当年度の園の役員が引き受けるものらしい。それにしてもこのバザー準備関係に費やされる時間がまたハンパではない。日々鬼のような忙しさ,ということで,ざっと控えめに積算してもかれこれ4時間×20日=80時間くらいになるのではなかろうか。これをアルバイト時給に換算すれば.... てなことは言わない約束なのだそうだ(別に計算したっていいと思うのだが)。そもそも「バザー」って何だろう。我がPCにインストールされている広辞苑には《公共事業・社会事業などの資金を集める目的で催す市。慈善市》とある。要するに何々のために「金を集める」ことが主たる目的なわけだ。だったらもう少し「採算効率」を考えて計画準備してもいいのではなかろうか。「真心込めた手作り品」などという今時誰も信じちゃいない幻想(ファンタジーないしイリュージョン)に拘泥する必要などないのではなかろうか。慈善と偽善とがどっかでコンガラガッテはいまいか。例えば昨今ブームの『捨てる技術』に便乗するわけじゃないが「ガレージ・セール」に徹するとかしてもいいのではないか。どこの家庭にも「捨てる」モノは山ほどありましょうし,そして捨てるカミあれば拾うカミあり,ってわけで。
おっと,話が弘法山ハイクからとんでもない迷い道に入り込んでしまった。余計なことを申したようで恐縮です。いずれにしても,恐らくは戦後から今に至るまで連綿と続いているのであろう「バザー」という名の特殊マーケットの存在が,世紀末の現在においては何とも理不尽な世界となっていることに疑いの余地はないと思う。多分は「二十世紀に置いてゆくモノ」のひとつではありましょう。
弘法山と聞いてタカシは何だか気乗り薄な様子だった。というか出来れば行きたくないという態度がありありと伺えた。何となれば「弘法山はサルが出るから」だという。夏休みの少し前だったか,そのような連絡通知が学校の方からあったような気がする。子供は特にサルに狙われやすいという。飛びかかって引っ掻いたり噛みついたりもするという。もし襲われたらドウシヨウ,必死で逃げても追いつかれたらドウシヨウ! だいたいが恐がり屋のタカシであるが,単純なる無知は恐怖心を一層助長する。仕方ないのでまずはタカシの説得にあたった。
ねぇタカシ,サルなんて普通にしていれば全然ダイジョウブだよ。サルだってニンゲンなんだから(ん?) オトーサンなんかねぇ,このあいだの出張で山奥の川で仕事してるとき,すぐ目の前の川をサルが渡っていくのを見たよ。川岸からこっちをチラッチラッと見たりして,多分,オトーサンのことをクマの仲間か何かと思ったんだろうな,慌てて逃げるように渡っていったよ。ピョンピョンピョンと石を飛び伝って,そりゃあ上手いもんだった。それから,川から上がって山道に出ると,すぐ回りの山の中に,ななな~んと何10頭ものサルが隠れていたんだ。木の繁みの間から,ガサガサガサと,みんながこっちを恐る恐る見ているんだ。なかにはお母さんザルに必死でしがみついてるヌイグルミみたいな赤ん坊ザルもいたりしてね。いや,なかなか可愛いかったよ。とにかくこっちの方から先にチョッカイ出さない限りはサルだって何もしないってば。サルだって実はコワイんだってば。だからダイジョウブだってば.... いや,これは本当の話であります。
という風にタカシを何とか説得してメデタク三人で出掛けることになった。弘法山の中腹にある駐車場で車を下りると,天気の良い日曜日とあって結構たくさんの人が来ている。近所の散策者やらハイカーやら犬の散歩付き添い人やら道端で絵を描いている人たちやら,ヲイヲイなかには山の斜面でバーベキューをやって盛り上がっているフトドキモノまでいるゾ。それぞれに秋日和を楽しんでなかなかに賑わっている。かてて加えて「馬場道」と呼ばれる平坦で幅7~8mもある広い尾根道を歩いていると,前方から「なんたら歩行会」といった名札を付けたジーサンバーサンの集団が,何と数百人もの塊になってゾロゾロゾロゾロやってきたのには少々面食らった。ま,別に定員があるわけじゃないんだから文句は言えませんが。
これだけ人が多いと,さすがの恐がりタカシもサルのことなどすっかり忘れてしまったようだ。アキラの方は,もともと山を歩くのが好きな子だ。二人で競争しながら坂道をダッシュで登ったり,ときおり木の間隠れに見える遠くの風景や建物の「当てっこ」をしたり,権現山の頂上では二人仲良くシーソーを延々とやっていたり,野外彫刻「森の妖精」君の頭によじ登ってポーズを決めたりして,それなりに楽しい時間を父子で過ごした。そしてその後は「遊戯王カード」を買いに駅前の本屋さん方面へと勇んで向かったのでありました(ガックリ)。
ちなみにこの日,母は間近に迫っている幼児園のバザーに出品する「リース」の制作とやらで超多忙につき,ひとり家でオルスバンであった。何でもバザーには「手作り品」がとりわけ尊ばれるものらしい,というか,バザーの「体裁」を整えるために是非とも手作り品をある程度の数は揃えねばならないらしい。そしてその準備の多くは当年度の園の役員が引き受けるものらしい。それにしてもこのバザー準備関係に費やされる時間がまたハンパではない。日々鬼のような忙しさ,ということで,ざっと控えめに積算してもかれこれ4時間×20日=80時間くらいになるのではなかろうか。これをアルバイト時給に換算すれば.... てなことは言わない約束なのだそうだ(別に計算したっていいと思うのだが)。そもそも「バザー」って何だろう。我がPCにインストールされている広辞苑には《公共事業・社会事業などの資金を集める目的で催す市。慈善市》とある。要するに何々のために「金を集める」ことが主たる目的なわけだ。だったらもう少し「採算効率」を考えて計画準備してもいいのではなかろうか。「真心込めた手作り品」などという今時誰も信じちゃいない幻想(ファンタジーないしイリュージョン)に拘泥する必要などないのではなかろうか。慈善と偽善とがどっかでコンガラガッテはいまいか。例えば昨今ブームの『捨てる技術』に便乗するわけじゃないが「ガレージ・セール」に徹するとかしてもいいのではないか。どこの家庭にも「捨てる」モノは山ほどありましょうし,そして捨てるカミあれば拾うカミあり,ってわけで。
おっと,話が弘法山ハイクからとんでもない迷い道に入り込んでしまった。余計なことを申したようで恐縮です。いずれにしても,恐らくは戦後から今に至るまで連綿と続いているのであろう「バザー」という名の特殊マーケットの存在が,世紀末の現在においては何とも理不尽な世界となっていることに疑いの余地はないと思う。多分は「二十世紀に置いてゆくモノ」のひとつではありましょう。