全国各地で大雨被害・土砂災害が報道されている
毎年、この時季・台風シーズンなどには被害が多発するが、
人間の防災対策が、この時期に一気に自然の力に追い越されるような気がする。
特に、広島市の大規模な土砂災害、死傷者・行方不明者のほとんどが
土石流が生じた地域で発生している。
あんな市街地が土石流の被害を受けるとは!
あれだけの市街地が形成されてきたのは、
土砂災害は起きない、という前提があったとしか思えないが、
土石流などは全く想像できない地域だったのだろうか。
いずれにしても、住民や行政、人々の想像を超えた土砂災害だったと思う。
避難勧告の遅れなどが取りざたされるが、避難できる時間だったのだろうか?
外に出たら更に被害が出ていなかったろうか?
勧告されたら直ぐに避難できるだろうか?・・・・いろんなことを考えてしまう。
何年間も、日々何事もなく生活している場所に土石流が押し寄せるとは、
誰が現実的に予測できるだろうか? 地質学者などが可能性を指摘できる程度であろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6a/295bc36dc64a23d6dc32d3a4c3606fe7.jpg)
こんな看板が立っている地域があるが、そこに暮らす人達は
指定地に暮らしていることを意識して理解できるだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/fe/2acc9500a203e43d33fa6fd1f8f6bad1.jpg)
先代は意識していても、世代交代とともに薄れていき
そんなときに災害が起きるのだろう。
近年三浦半島では大規模な雨被害が起きていないが、広島の被害を見て
自分の周りの地形などを気にしている人も多いと思う。
40年前、昭和49年7月8日、三浦半島地域にも大雨被害が続出して
がけ崩れなどで十数人が亡くなった。
川が氾濫した流域では床上浸水190cmの水没地帯もあった、
河川管理を巡って住民訴訟も行われた。
このときは、その教訓を生かそうと意識が高まるが、年数とともに風化していくように思う。
喉元過ぎても、そのときの気持ちを忘れず、持ち続けなければならない。
土砂災害を防止する手立てを講じてはいるが、全ての完成までには時間がかかるだろう。
我々が暮らす場所をジオラマのように俯瞰してみる。
子供の頃、土遊びで作った山に雨を降らせて遊んでいた時、
水が流れる道が自然とできたのを思い出す。
多分、そんな場所が自分の住んでいるところかもしれないのです。
毎年、この時季・台風シーズンなどには被害が多発するが、
人間の防災対策が、この時期に一気に自然の力に追い越されるような気がする。
特に、広島市の大規模な土砂災害、死傷者・行方不明者のほとんどが
土石流が生じた地域で発生している。
あんな市街地が土石流の被害を受けるとは!
あれだけの市街地が形成されてきたのは、
土砂災害は起きない、という前提があったとしか思えないが、
土石流などは全く想像できない地域だったのだろうか。
いずれにしても、住民や行政、人々の想像を超えた土砂災害だったと思う。
避難勧告の遅れなどが取りざたされるが、避難できる時間だったのだろうか?
外に出たら更に被害が出ていなかったろうか?
勧告されたら直ぐに避難できるだろうか?・・・・いろんなことを考えてしまう。
何年間も、日々何事もなく生活している場所に土石流が押し寄せるとは、
誰が現実的に予測できるだろうか? 地質学者などが可能性を指摘できる程度であろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/6a/295bc36dc64a23d6dc32d3a4c3606fe7.jpg)
こんな看板が立っている地域があるが、そこに暮らす人達は
指定地に暮らしていることを意識して理解できるだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/fe/2acc9500a203e43d33fa6fd1f8f6bad1.jpg)
先代は意識していても、世代交代とともに薄れていき
そんなときに災害が起きるのだろう。
近年三浦半島では大規模な雨被害が起きていないが、広島の被害を見て
自分の周りの地形などを気にしている人も多いと思う。
40年前、昭和49年7月8日、三浦半島地域にも大雨被害が続出して
がけ崩れなどで十数人が亡くなった。
川が氾濫した流域では床上浸水190cmの水没地帯もあった、
河川管理を巡って住民訴訟も行われた。
このときは、その教訓を生かそうと意識が高まるが、年数とともに風化していくように思う。
喉元過ぎても、そのときの気持ちを忘れず、持ち続けなければならない。
土砂災害を防止する手立てを講じてはいるが、全ての完成までには時間がかかるだろう。
我々が暮らす場所をジオラマのように俯瞰してみる。
子供の頃、土遊びで作った山に雨を降らせて遊んでいた時、
水が流れる道が自然とできたのを思い出す。
多分、そんな場所が自分の住んでいるところかもしれないのです。