平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

前世について

2009-05-20 23:23:59 | Weblog
 このブログと古代史のエフライム工房の読者は、大別して二つのグループに分けられます。一つは、弟子に代表される「勉強したい」という読者です。このような読者は、話題の『ダ・ヴィンチ・コード』よりも面白い、あるいは奥が深いと素直な感想を寄せ、配布している古代史CDが安過ぎると理解し、様々な理由を付けて何かと送ってきます。

 対して、真逆の位置にあるのが「自説を認められたい」という愚かなグループです。この世界の住人は、誰の理論や著書であれ、自分にとって都合の良い所しか受け入れません。我が強くて、自説を少しでも否定されるとヒステリックになり、古代史CDを買ってやったという傲慢な態度を取った挙げ句、悪態をついて去って行きます。僕としては煩わしいのがいなくなってホッとしますが。

 ところで、前世を信じている人達は、総じて二つ目の世界の住人なのです。これは、前世云々がサタンから来ている証拠となりますが、少し考えたら前世が成立しないことくらい分かりそうなものです。「自分が自分の祖父の生まれ変わり」が成立する理論は、はなから間違っているのです。しかも、前世の記憶があるとか言い出す人があれば、もう救いようがありません。だって、そう言う人達はこぞって、前世はエジプトかギリシャか古代日本なのですよ。アフリカや南米の未開拓人という人に出会ったことがありません。笑ってしまいますね。これは、自分の玉座を高くしたいという願望の現われなのです。

 僕は古代史の内容が凄すぎるので、多くの人から「エジプト宰相ヨセフの生まれ変わり」と言われますが、そのような人に対して違うと説明しています。僕は、世界中で最もヨセフに似たものとして、崇高なるヤコブ、ヨセフ、エフライム三代の祖先などから、極めて小さな声を通して導きを受けているだけなのです。その声が聞こえるかどうかの分かれ道が、先の「勉強したい」という素直さなのです。自分が評価されたいとか認められたいとかで鬼のようになっている人は、永遠に神からの霊感は受けられず、悪魔の誘惑の声に従ってしまうのです。

 あなたは、見知らぬ年下の15才の女の子のために、(自分がどう思われようと)世の人に頭を下げることが出来ますか?それが出来ない人は、ここのブログに来るべきではないし、古代史の方にも来るべきではありません。なぜならば、僕は狭き門の番人だからです。高慢な者、疑い深い者、怠惰な者、歪んだ性格の者、妬みや嫉みに身を焼く者、これらの人達は狭い門から入ることが出来ない、選ばれなかった人達なのです。僕は、選ばれた人には敬意を表します。それが幼い子供であろうとも。ここには、祝福と呪いの二択しかないのです。

     エフライム工房 平御幸
コメント
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