平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

兄弟は最後

2009-05-24 14:45:37 | Weblog
 イエスの有名な言葉に「先のものが後になり、後のものが先になる」というのがあります。これは哲学的に理解することは出来ません。なぜならば、思想ではなくて現実に起こる事象なのですから。

 では、この不可思議な言葉の真意とは何なのでしょうか?また、自分たちが生きている間にどんな事象が目に入ってくるのでしょうか?それは簡単です。あなた達が生まれてから今に至るまでの、人間関係を見てみればよいのです。僕の古代史を知った今、最初に知り合った人達はまだ、昔のままでしょうか?

 読者の中からも、親や兄弟などで悩んでいるメールが目に付きます。特に、親や兄弟が宗教的に間違った方向に歩み、何を言っても聞き入れてもらえず、傍目から地獄に堕ちて行く様に苦悩する人が多いのです。このように地獄に堕ちた人達は、あなた方に対して軽く扱う事で、意見を聞かない事を正当化してきます。

 このような場合、親や兄弟には肉親故のフィルターや甘えがあるのです。イエスが「預言者は故郷の地以外では敬われないことはない」と述べているのも同じです。イエスでさえ、生まれ故郷では軽くあしらわれ、尊い言葉が無になったのです。母のマリアでさえ、イエスの前に躓いているのですから。預言者の言葉は絶対ですから、絶対を受け入れることを拒む近親者は悩みの種に過ぎません。ヨセフもモーセも近親者で苦労したのです。

 あるブロガーは、荒らしが酷いので調べてみたら、実の弟が犯人だったそうです。このような弟を持ったら不幸ですね。荒らした理由?無視されたのに腹が立ったからだそうです。余りに人間としてのレベルが低いですね。女にもてないタイプです。このような者は、絶対に神の門の前に立つことすら出来ないのです。

 さて、今まで述べてきたように、人間関係の古い人ほど、日々に新しい精神生活をしているあなた方に置いて行かれる傾向にあります。もちろん、ここの読者も同じです。新しい読者ほど柔軟であり、僕の意図を良く理解しているのです。そういう意味では、弟子は見込んだ通りに、置いてけぼりを食わされることなく、日々新たに自分を更新して常に先頭集団に加わっています。今日はオークスですが、先頭のままでゴールに駆け込むのは人でも馬でも大変なのです。命懸けの努力をしない限り、脱落者は二度と先頭集団に戻ることはないでしょう。

 末日というのは、この先後の逆転をする兄弟関係が人類レベルで起こるのです。絶対という事が理解できない人達は、到底受け入れることの出来ない価値観に苦しむことになります。アメリカの白人の間では既に始まっていますね。「何で、日本人の言うことを訊かなくてはならないのか」ってね。日々新たにせよ。そして絶対の預言者を受け入れよ。これが出来ない人の苦悩が、黙示録にイナゴで示される奥義なのです。

     エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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