平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』

2011-05-18 23:46:24 | 芸術
 帰ってきてから、ケルビムジュニアの板取を修正し、ようやく裁断を頼むことが出来ました。町田のハンズは天井が低いので、120cmよりも長い板は縦に切れません。それで、120cmで一度裁ってから細かくするような板取が必要です。ジュニアに必要なソニー製の青いユニットは、何と二組も手に入りました。これで、見本としてケルビム三兄弟(三姉妹)勢揃いの写真が撮れます ホルホル。

 スーパーケルビムを作った理由の一つにピアノの再生がありました。しかし、あえてどの曲をイメージしたかを問われれば、それはベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番&第4番』という事になります。その中でも特に第3番ですね。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲と言えば、絢爛豪華な第5番『皇帝』が有名です。僕も好きな曲の一つですが、あえてベストスリーにあげるなら、モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』、ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』という事になります。ラフマニノフの2番は、僕の中では評価が低いのです。

 ラフマニノフの2番は、作曲家自身が弾いたCDを持っています。でも、1970年以降の有名なピアニストによる演奏の方が断然良いです。というのも、作曲家によって生み出された曲は、誕生するやいなや、演奏者や聴衆によって作曲者が考えもしなかった進化を余儀なくされる運命にあります。これは、大作曲家のベートーヴェンの曲でも同じです。

 ベートーヴェンの数ある名曲も、楽器の進化や新解釈や演奏者のインスピレーションの賜物で、生み出された時とは全く違う曲になっているはずです。音楽の世界では、楽譜に忠実という言葉は虚しいのです。楽譜に忠実でありたいという願望は必要ですが、絶対に無理なのです。

 何故かというと、特にモーツァルトの曲は顕著ですが、名曲は思い出している時が一番美しいからです。要するに、音楽は記憶の中で、自己の体験や想像力によって美化されるのです。その美化がプロの指揮者や演奏家の手にかかれば進化なのです。だから、美化されない曲は駄作なのです。

 手元にある(今日買ってきた)ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』は、1971年のケンプ盤(マゼール指揮、ベルリン放送交響楽団)で、無骨で陰鬱な古臭い演奏です。これが、当時の代表的なベートーヴェン像なのです。しかし、僕が愛聴するのは繊細で優しいベートーヴェンです。読者に貸しているので手元にないのですが、図書館で借りてコピーしたものです。

 スーパーケルビムで再生したベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』は、一度で読者のお気に入りに指定されました。それで、この隠れた名曲を、弟子や他の読者にも味わってもらいたいと考えました。僕の手持ちは一枚だけだったので、ブレンデルやいろいろな演奏を聴いてから推奨盤を紹介したいと思います(来週あたりに続くはず、きっと)。

19日 追加
 僕が聴いていたのは、バックハウスのピアノで、イッセルシュテット指揮 ウイーンフィルの1960年録音盤でした。コピーしたCDにプリントしたときのスキャン画像が残っていました。僕は先入観を持たないように演奏者を調べないで聴くことがあり、今回は驚きでしたね。繊細で優しいという僕の評価は、まあ他所のブログや評論では見かけることはないでしょう。なお、現在入手できるのは三枚組の全集のようです。

      エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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