歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

古典時代の中国とギリシャ

2008-07-09 |  宗教 Religion
中国の古典時代の哲学思想のレベルに匹敵するものをヨーロッパに求めるならば、やはり、プラトン・アリストテレスの活躍した古典ギリシャ時代であろう。西洋の學者の中には孔子の時代に整備された音楽の美学におどろき、そこにピタゴラスの影響を牽強付会するものもいたらしい。これなどはオリジナルなものは皆西洋に起源を持つという一時代前の西洋人の偏見のなせる業ともおもうが、ここで古代ギリシャと中国の倫理思想ならびに音楽思想に共通するものが何であり、違いが何であったかを調べるのも面白いだろう。

 まず、アリストテレスは、「教養がない」人間のことを「非音楽的(アミュジコン)」であるといっている。要するに自己自身と他者との間に調和を保つことの出来ぬ人という意味であるが、これは孔子のもっていた教養の理想と一致する。孔子にとっては音楽こそが教養を完成するものであった。中国で、音楽を知らぬ民とは野蛮人の國という意味であった。

 アリストテレスのニコマコス倫理学の徳論の中心的な概念は「中庸(メソテース)」であり、それは内容において中国の「中庸」と驚くほどよく似ている。西洋の倫理の伝統的な徳目は、いわゆる四つの枢要徳すなわち思慮・正義・勇気・節制であり、三つの対神徳すなわち信仰・希望・愛であるが、このうち枢要徳はギリシャ起源であり、対神徳はキリスト教、それもパウロ書簡に由来するものである。

 キリスト教の影響を受けなかった中国では、これらの七つの徳目に対応するものとして、仁・義・礼・智・信の五常がある。仁は対神徳の愛に、義は正義(ディカイオシュネー)に、智は思慮(ソープロシュネー)に、ほぼ対応することを考えると、西洋になくて中国に固有の徳目は「礼」であると思われるかも知れない。たしかに後に儒教の中で発達した世俗的な礼の細目のようなものは中国独自のものであろうが、もし「礼」を「典礼」の意味にとるならば、それは西洋のカトリック教会の伝統の中で連綿と受け継がれてきた教会典礼に鮮やかに対応する。そして教会典礼こそは西洋の音楽の一大源泉であったこと、ヨーロッパの大作曲家がかならずミサ曲やレクイエムなどの典礼音楽を作曲していることを思えば、江文也が孔廟大成樂章のオーケストレーションに生命を賭けたことも首肯しうる。

 ギリシャと中国の倫理思想といえば、その違いは、ギリシャでは民主制が他の諸文明には見られぬほど高度に発達していたことに由来する。墨家はどこかギリシャのスパルタに似ていたが、アテネの民主制に該当する政治制度は中国にはなかった。もちろん民主制は衆愚政治ないし金権政治に堕落することがすでにプラトンによって厳しく指摘されては居たが、自主独立の精神と自由なる言論を尊重する気風は、ギリシャ文明の中心にあったアテナイにみなぎっていたと言える。

 また、音楽理論に関して言えば、ギリシャはピタゴラス派いらい數學との結びつきが緊密であった。そこから、一般教養として數學を学ぶことが重んじられ、また修辞学だけではなくものごとに真偽を判定すべき論理学も発達した。中国にも高度に発達した天文学や幾何学はあったが、それらは理論的なものではなかったし、一般教養に不可欠な科目として重んじられたわけではないようだ。すくなくも「幾何学を学ばざるものは入門を許可せず」とミューズの女神の學堂に書かせたプラトンのような數學重視の思想は孔子にはない。

 明治時代に儒学の教養を批判した福沢諭吉は、洋學にあって漢学にないものとして「自主独立の精神」と「数理の學」のふたつをあげたが、これは、正鵠を得たものといえよう。自主独立の精神は民主主義をしらぬ政体では育ちようがないし、「数理の學」こそがヨーロッパの近代科学を生み出した源泉の一つなのであったから。
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