黄泉に下る菩薩―道元の遺偈についての考察
前に法華経の行者としての道元について語ったときにも言及したが、入滅を前にして道元は法華経神力品の一節を唱えながらそれを柱に記した。その翌朝、道元は居ずまいを正して次の遺偈(遺言としての詩)を弟子達に残したと云われている。(建撕記)
五四年第一天を照らす この𨁝跳を打し大千を触破す
咦、渾身もとむるなし 活きながら黄泉に陥つ
道元禅師の遺偈の遺偈、とくに「活陷黄泉」(活きながら黄泉に陥つ)の結びの言葉についていささか私見を述べたい。
生前に悟りを開いた人ならば、肉体の死は「無余涅槃」に入ることを意味するのだから、輪廻転生の世界から完全に解脱するはずである。浄土を信ずる他力門の人ならば、肉体の死後極楽往生が決まっているはずであるから、地獄に落ちる心配など無いであろう。それでは、道元禅師の遺偈の「活きながら黄泉に陥つ」とは何を意味するのであろうか?
道元の遺偈は単独で考察するのではなく、師の如浄と弟子の懐奘の二人の遺偈との関連で考察するのが妥当であろう。六六歳でなくなった如浄禅師、八三歳でなくなった孤雲懐奘のどちらの遺偈にも「黄泉に陥つ」ないし「地泉に没する」の句があるからである。
如浄ー道元ー懐奘 と受け継がれたものは「菩薩戒」による仏道の実践であったと思う。菩薩の道は、「一切の衆生を救済しようという」大悲の誓願に基づく。如浄から嗣法した道元の仏道とは「見性成仏」だけの「禅宗」という宗派ではなく、菩薩道の実践としての大乗禅であった。
「黄泉に陷つ」とはマイナスのイメージを持つ言葉である。端的に言えば「地獄に落ちる」ことであり、悟りを開いた人が行くべき処ではないであろう。鈴木大拙によれば、「凡ての人を救うためならば、自分はたとえ地獄に落ちてもかまわない」という心構えが菩薩道だとのこと。上求菩提下化衆生の菩薩の誓願をさらに徹底した禅師の言葉として道元の遺偈を読み直してみたい。
「五十四年 照第一天 打箇𨁝跳 觸破大千」
大千とは三千世界のことで、法華経の行者でもあった道元は、第一天から地獄に至るまで、一瞬にしてこの世界すべてに触れ、それらを突破したであろう(一念三千の徹底)。
「渾身無覓 活陷黄泉」
菩薩はあえて涅槃に入らず、地獄に落ちた罪人を救うために自ら黄泉に下っていく。「無覓」とは「求むること無し」という意味であるが、それは「自分一身の幸せを求むること無く」と解したい。
「渾身」という言葉は、「身の全体をあげて」という意味であるが、道元の「正法眼蔵」の「摩訶般波羅密」で引用されている如浄禅師の「風鈴頌」のキーワードでもある。道元はこの詩について「これ仏祖嫡嫡の談般若なり。渾身般若なり。渾他般若なり。渾自般若なり。渾東西南北般若なり」と云っている。般若心経の「般若」とは仏の智慧を意味するが、単なる分別知などではなく、「一切の苦しみを度する智慧」「一切を差別せずに救済する知恵」であり、菩薩道では「大悲」となって働く。
如浄の遺偈には「罪犯彌天」、懐奘の遺偈には「一生罪犯覆弥天」の言葉がある。これは罪の懺悔であるが、菩薩の懺悔は、衆生の犯したすべての罪を自己自身の罪として引き受けるところから発する。それこそが縁起(自己と無関係なものは何一つない相互依存性)を活きる菩薩の実感なのであろう。
如浄から菩薩戒をうけて嗣法した道元の遺偈を、この意味で「黄泉に下る菩薩」のことばとして読むのが妥当であろう。
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如浄禅師の遺偈
六十六年 罪犯彌天 打箇𨁝跳 活陷黄泉
咦 従来生死不相干
道元禅師の遺偈
五十四年 照第一天 打箇𨁝跳 觸破大千
咦 渾身無覓 活陷黄泉
孤雲懐奘の遺偈
八十三年如夢幻 一生罪犯覆弥天 而今足下無糸去
虚空踏翻没地泉