歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

福音歳時記 正月の読書始め

2025-01-08 | 福音歳時記

福音歳時記 正月の読書始め

迫り来る「死」を「姉妹」とぞ呼びし人フランシスコの伝記読み始(そ)む

フランシスコについてもっとも信頼できる伝記のひとつは、彼から直接の教えを受けた弟子の一人であるチェラノのトマスの書いた伝記「敬慕する魂の追憶」であろう。

「(師父フランシスコは)仲間の兄弟たちの中でも特に愛していた兄弟たちに、自分と一緒にキリストを賛美するように願い、その帰天まで残されていた僅かな日々を讃美のうちにすごしたのでした。

(師父)自身は、その力の限りを尽くして、次の詩編を唱え始めました。「私は声を限りに主に叫び、私は声を限りに主に願います」云々と。また、嘗て(師父)自身が、神の愛を頌えるように励ますために作り上げた言葉を用いて、神を賛美するように、すべての被造物を招いたのでした。

そして、すべてのものにとって恐ろしく厭わしい死さえも賛美へと鼓舞し、喜び迎え、自分の客に加わるように招いて、「ようこそ、おいでくださいました、わたしの姉妹なる死よ」と言いました。医者に対してはこう言いました。「兄弟なる医者よ、勇気をもって、死が間近になったことを知らせて下さい。死は私にとって命の戸口となるのですから。」
(チェラノのトマスの、アッシジの聖フランシスコの第二伝記(小平正寿・フランソワ・ゲング共訳(あかし書房)257頁より引用)

下図はアッシジの聖フランチェスコ聖堂に描かれたジオットによるフレスコ画の連作「聖フランシスコの生涯」から「小鳥に説教するフランシスコ」

 

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東西文化交流の足跡ーザビエルの旅

2025-01-08 |  宗教 Religion

東西文化交流の足跡

裸足にて立つザビエルの辻説法   
        雪の比叡に大學望みて

 上智大学がザビエルの遺志にもとづいて建学されたという話をよく聞きましたが、これは、彼の書簡や当時のイエズス会宣教師の記録に基づくものです。
 スペイン出身の司祭で日本に帰化された結城了悟師の「ザビエル」史伝には、時代を隔てて受け継がれた宣教師の精神と日本の文化を大切に思う気持ちに溢れています。この本の表紙のザビエル像は、結城了悟師が館長をつとめておられた日本26聖人記念館にあるものですが、いかにも東洋の使徒にふさわしいイメージだと思いました。
 都を目指したザビエルの目的のひとつは比叡山に行くことでした。このときの彼は貧しい托鉢僧の身なりで(アッシジのフランシスと同じく)裸足で雪道を歩くという苦行を自らに課していました。そのときの乞食同然のザビエルの姿は、布教許可を獲得するという彼の目的には全くかなわないものでしたが、それでも堺の商人たちとの出会いと彼らの助力が後の日本布教に大いに手助けとなりました。
 時の権力者に贈呈する高価で珍しい進物や、西欧の王侯の使節と見まがうばかりの豪奢な装いをする南蛮の宣教師のイメージとは程遠い、このときのザビエルの乞食姿のほうに、私は惹かれます。

 

 

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