歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

ザビエル帰天記念日に寄せて

2020-12-03 |  宗教 Religion

 

スペイン出身の司祭で日本に帰化された結城了悟師の「ザビエル」史伝には、時代を隔てて受け継がれた宣教師の精神と日本の文化を大切に思う気持ちに溢れています。この本の表紙のザビエル像は、結城了悟師が館長をつとめておられた日本26聖人記念館にあるものですが、いかにも東洋の使徒にふさわしいイメージだと思いました。

 

 

 都を目指したザビエルの目的のひとつは比叡山に行くことでした。このときの彼は貧しい托鉢僧の身なりで(アッシジのフランシスと同じく)裸足で雪道を歩くという苦行を自らに課していました。そのときの乞食同然のザビエルの姿は、布教許可を獲得するという彼の目的には全くかなわないものでしたが、それでも堺の商人たちとの出会いと彼らの助力が後の日本布教に大いに手助けとなりました。時の権力者に贈呈する高価で珍しい進物や、西欧の王侯の使節と見まがうばかりの豪奢な装いをする南蛮の宣教師のイメージとは程遠い、このときのザビエルの乞食姿のほうに、私は惹かれます。

 

 ザビエルに出逢ったポルトガルの商人でのちにイエズス会に入会し、西洋医学を初めて日本に伝えるとともに、日本の漢方医と協力して、貧民救済のための病院施設を造営したアルメイダは、訪日前のザビエルの印象を次のように記している。

 

『ある日、突然インドの俗僧のような黒衣をまとい、腰帯も長衣もつけていないみすぼらしい人がこの島(モルッカ諸島)にあらわれました。彼の行動を見てみますと、現地人たちをさかんにイエズス会に改宗させようとして働いているのです。どうして南方のこんな野蛮で未開な僻地の島々にまで来て、何のためにあんなに命がけで改宗の仕事に従事しているのか。彼の行動は、不思議であり、私には謎のような人物に見えました。そのとき彼はしばしば、アモール(愛)ということばを話していました。この日本では「アモール」という言葉はありません。この「アモール(愛)」に相当する言葉は、「Taixet(大切)」であると、あとになってから知りました。この黒衣をまとった人物こそフランシスコ・ザビエルでした・・・・・

 そしてこのザビエル師の行動の中から、ひとつのたしかな心の安らぎになるような生き方を教えられました。それは「Taixetyni moyuru(大切に燃ゆる」というものでした。私はこのザビエル師の処世の信条である「大切に燃ゆる」という生き方に強く心を動かされました。そのころ私は帆船の船主という身分で万に届くほどの莫大なクルサド貨幣を獲得していましたが、なぜか心の中は空しく、強い罪悪感のようなものがうごめいていました。私はこのことについてザビエル師に告解しました』

 

『一五五四年夏、ドアルテ・ダ・ガーマらの船主たちと共同経営で、四隻の商船に財貨ー唐生糸、絹織物、琥珀織を満載し、日本に向かったところ、まもなくひどい暴風雨に遇いました。そのとき生まれて初めて自然の脅威と神の恐ろしさに戦慄しました。勇壮だった私の帆船の大きな白布はずたずたに破れ、マストは捻れるように折れ曲がり、竜骨だけがむきだしに残りました。マストの下方には船員や雇用兵たちが溺死しないようにしかりと躰をマストにくくりつけていましたが、最後の祈りのまま、無慚な姿で息絶えていました。その悲惨な光景を見た瞬間、それまで私が執拗に憧れ求めたもの、それがどんなに儚い幻のようなものであったかということが一瞬のうちに私の全身を貫きました。そのときザビエル師がつねづね申されていたマタイの言葉が大きく耳底で聞こえました。(一五五五年九月一五日付フロイスの書簡)

 

  ここでいうマタイの言葉とは、「人、もし、全世界を得るとも、その魂を失わば何の益があろうか」(16:26)でしょう。 

 アルメイダは、貿易商人として成功する前、一五四六年に母国で外科医の資格を取得していたので、回心後に豊後に、社会から見捨てられた人々のための病院を作ることを発願します。

 

『私が豊後に来て Nossa Senhora da Piedade (慈悲の聖母の住院)のため病院を創りたいと思ったのも、ひとつにはそれまでのおろかだった私のデウスに対するせめてもの贖罪のようなものでした。

 私が南の香料の島でザビエル師からこの目で学んだ「大切に燃ゆる(Taixetni moyuru)」これが病院創設の発願の動機になったように思います。・・・・

 私は「病める人間」の治療には「肉体の薬」と「魂の薬」の二通りの薬を併用しなければならないということを知りました。しかし、現在の私の力では、少しばかりの肉体の薬を与えることしかできません。必ず死ぬ運命にある人間の治療には「魂を癒やす薬」こそ最高の薬だと思っています。』

(ガゴ、トルレス、ビレ等、アルメイダの書簡)

 

使徒行伝と福音書を書き残したルカも、パウロによって「愛する医師ルカ」(コロサイ4-14)と呼ばれているように医者でした。時代は変わって、パウロやルカの時代ではなく日本の戦国時代でしたが、アルメイダもまた、当時のイエズス会の宣教師を財政的に援助するために全財産を抛って当時の日本社会で差別されていた人々を収容する病院を豊後(いまの大分県)に創設したのです。

 

ここで「大切(愛)に燃ゆる」キリスト者ザビエルの心を最もよく表現している祈りを紹介させてください。それは、『純一なる愛の働き』actus puri amoris というザビエルの祈りです。
 
「ああ、神よ、私はあなたを愛します!私を救けてくださるから、愛するのではありません、あなたを愛しないものを永遠の劫火に罰するから、愛するのでもありません。私の主、イエスよ、あなたは、私が受けなければならない罰の全てを、十字架の上で受けて下さいました。釘付けにされ、槍で貫かれ、多くの辱めを受け、限りない痛み、汗、悩み、そして死までも、私のため、罪人なる私のために、忍んでくださいました。どうして、私が、あなたを愛しないわけがありましょうか。ああ、至愛なるイエスよ、永遠にあなたを愛します、それは、あなたが天国に私を救ってくださるからではありません、永遠に罰せられるからでもありません、何か報いを希望するからでもありません。ただ、あなたが私を愛してくださったように、私もあなたを永遠に愛するのです。それは、あなただけが私の王であり、私の神であるからです」
 
 ザビエルは、自分が神を愛するのは、天国へゆくことへの期待からでもないし、永劫の罰を受けることへの恐怖からでもない、とはっきりと言っています。何か報いを受けることを希望するがゆえに神を愛するのではないのです。そういうことを望むのは、「純一なる愛の働き」ではなく、ただひたすらに私への愛のために十字架につけられたイエスへの愛のみが歌われています。私はこの祈りこそ、イエスのために殉教した日本人の心に直接に訴えたものだと思いました。
 
ザビエルの祈りの原文も紹介します。
 
   Actus Puri Amoris
 
O Deus amo te!
Nec amo te ut salves me,
Aut quia non amantes te
Aeterno punis igne;
Tu, mi Iesu, totum me
Amplexus es in cruce.
Tulisti clavos, lanceam,
Innumeros dolores,
Sudores et angores
Ac mortem, et haec pro me,
Ac mortem, et haec pro me,
Ac pro me peccatore!
Cur igitur non amem te,
O Iesu amantissime,
Non ut in caelo salves me,
Aut ne in aeternum damnes,
Nec praemii ullius spe,
Sed sicut tu amasti me;
Sic amo et amabo te,
Solum quia Rex meus es,
Et splum quia Deus es!
Amen.

 

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