歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

岩下壮一の祈りの言葉

2021-12-12 |  宗教 Religion
岩下壮一の祈りの言葉
 
長き鎖国時代に「邪宗門」扱いされ、明治以後は近代化をめざす啓蒙主義の精神から、中世暗黒時代の愚昧な迷信と蔑視されてきたカトリシズムの伝統の名誉を回復しようとした最初の日本人キリスト者といえば、岩下壮一の名前を挙げるのがもっとも適切であろう。「日本のアカデミズムの中にカトリシズムに市民権を獲得させる」ための講演・文筆・出版の旺盛な活動はよく知られている。 
 
しかし、もし岩下壮一の活動がそのような知識人向けのアカデミックな理知的領域だけに限られていたならば、その影響力は決して大きなものとはならなかったと思う。彼は、神山復生病院の院長として、病苦の人々に奉仕する司祭であり、単なる理性の人ではなく、観想と祈りに結びついた実践を重んじる人でもあった。
 
1930年に、レゼ神父の跡を継いで神山復生病院院長に就任した岩下壮一が、黙想会のあとで井深八重をはじめとする看護婦たちとともに祈った言葉が、彼の自筆によって書き残されている。
 
「主イエズス・キリスト、主は病める者を特に愛し、これを慰めいやし給ひしにより、我れ其の御跡を慕ひ、こゝに病人の恢復、憂人(うれひびと)の慰藉(なぐさめ)なる聖母マリアの御助けによりて我が身を病者への奉仕に捧げ奉る。希くはこの決心を祝し末ながくこの病院に働く恵を与へ給へ   亜孟(アメン)」
 
岩下の帰天後も神山復生病院では、黙想会のあとで、この祈りを唱えることが習慣となっていたとのことである。
 
この祈りと共に、もう一つの「岩下壮一の祈り」をここに引用したい。 以前に東條耿一の手記を編集していた時に、私は、彼が如何に岩下壮一とコッサール神父から、どれほど大きな影響を受けていたかに気づいた。とくにヨブ記をどう読むか、岩下壮一は神山復生病院の死者のためにどのような祈りを捧げていたか、それを知る手掛かりが、「ある患者の死」(「聲」昭和六年四月号)というエッセイの最後に記されている「祈り」である。
 
 
ーーーーー岩下壮一の随想「ある患者の死」からーーーーー
 
•    二月中旬のある土曜日の夜のことであった。…けたたましくドアをノックする者がある。「××さんが臨終だそうです!」かん高い声が叫んだ。それはその朝、病室まで御聖体を運んで行って授けた患者の名前であった。その夕見舞いに行った時は、実に苦しそうだった。病気が喉へきて気管が狭くなった結果、呼吸が十分できなくなっていた。…表部屋から入ってストーブの燃え残りの火と聖燭のうすくゆらぐ聖堂を抜け、廊下を曲折して漸く病室に辿り着いた時には、女の患者達は皆××さんの床の周囲に集まってお祈りをしていた。…人間の言葉がこの苦しみに対して何の力も無いのを観ずるのは、慰める者にとってつらいことであった。私は天主様の力に縋る外はなかった。望みならば、臨終の御聖体を授けてあげようと云ってみた。しかしその時もはや水さえ禄に病人の喉を通りかねる状態になってしまったのであった。…
 
•     二ヶ月ほど前、全生病院でみた、咽喉切開の手術をした患者の面影が、まざまざと脳裏に浮かんでくる。どんな重症患者でも平気で正視し得る自分が、あの咽喉の切開口に金属製の枠をはめこんだ有様を、それを覆い隠していたガーゼをのけて思いがけなくも見せつけられた時、物の怪にでも襲われたように、ゾッとしたのを想起せざるを得ない。それはあまりにも不自然な光景であった。併し、その金属製の穴から呼吸しなが、十年も生きながらえた患者があると医者から聞かされたとき、「喉をやられる」と去年の秋から云われていた××さんのために、復生病院にもそんな手術のできる設備と医者とがほしかった。
 
• 議論や理屈は別として「子を持って知る親の恩」である。患者から「おやじ」と云われれば、親心を持たずにはおられない。親となってみれば、子供らの苦痛を少しでも軽減してやりたいと願うのは当然である。しかしいかに天に叫び人に訴えても、宗教の与える超自然的手段を除いては、私には××さんを見殺しにするより外はない。癩菌は容赦なくあの聖い霊を宿す肉体を蚕食してゆく。「顔でもさすって慰める外に仕方ありません」と物馴れた看護婦は悟り顔に云った。そしてそれが最も現実に即した真理であった。
 
• 私はその晩、プラトンもアリストテレスもカントもヘーゲルも皆、ストーブのなかに叩き込んで焼いてしまいたかった。考えてみるが良い、原罪無くして癩病が説明できるか。また霊の救いばかりでなく、肉体の復活なくして、この現実が解決できるのか。
 
 生きた哲学は現実を理解しうるものでなければならぬと哲人は云う。しからば、すべてのイズムは、顕微鏡裡の一癩菌の前に悉く瓦解するのである。
 
• 私は始めて赤くきれいに染色された癩菌を鏡底に発見したときの歓喜と、これに対する不思議な親愛の情とを想い起こす。その無限小の裡に、一切の人間のプライドを打破して余りあるものが潜んでいるのだ。私はこの一黴菌の故に、心より跪いて「罪の赦し、肉身の復活、終わり無き生命を信じ奉る」と唱え得ることを天主に感謝する。
 
• かくて××さんは苦しみの杯を傾け尽くして、次の週の木曜日の夜遅く、とこしえの眠りについた。…翌日も、またその翌日も、病院の簡素な葬式が二つ続いた。仲間の患者が棺を作って納め、穴を掘って埋めてやるのだ。
 
• 今日は他人のこと、明日は自分の番である。…沼津の海を遙かに見下ろすこの箱根山の麓の墓地から××さんとともに眠る二百有余の患者の魂は、天地に向かって叫んでいる。
 
「我はわが救い主の活き給うを信ず、かくて末の日に当たりて我地より甦り、我肉体に於て我が救主なる神を仰ぎ奉らん。われ彼を仰ぎ奉らんとす。我自らにして他の者に非ず、我眼こそ彼を仰ぎまつらめ!」
 
 
 
 
 

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