歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

2022/01/09

2022-01-09 | 美学 Aesthetics
上智大学の中世思想研究所の江藤信暁さんから、ケーベル博士来日百周年を記念して設立された「ケーベル会」の会誌(1993−1996)を贈っていただきました。
 島尻政長先生(ケーベル会会長)の「日本美学史とケーベル先生」、上智大学中世思想研究所にケーベル会誌を寄贈された榎本昌弘先生の「岩下壮一の神父の遺品」、アウグスチヌスの神国論に関する卒業論文をめぐる記事など、多彩なその内容に興味を惹かれました。
 ケーベル博士の信じていたキリスト教は、ギリシャ正教なのか、プロテスタントなのか、ローマン・カトリックなのか、カトリックに歸正したのはいつであったのか、榎本昌弘先生の「ケーベル先生改宗日の謎」や、巽豊彦先生の「ケーベル的キリスト教について」を読むと、周辺にいた人の間で、実にさまざまな議論があったことがわかります。
 ケーベル博士の影響は、無教会の内村鑑三、プロテスタントの波多野精一、ローマン・カトリックの岩下壮一というように、宗派を超えて、キリスト教のすべてに及んでいるのですから、私に言わせれば、彼の立場は、古典の伝統を重んじる「無教会」のカトリックと呼ぶのが適切ではないでしょうか。その立場を音楽の創作と上演活動によって表現し、その活動を美学的に反省しつつ生きたところに、ケーベル博士の独自性があったと思っています。
 私は、一昨年以来、沖縄音楽大学の皆様とともにバロック・オペラ「勇敢な婦人(細川ガラシャ)」の日本での蘇演を計画し、キリシタン時代の東西文化交渉の歴史を継承する試みをしてきました。ケーベル会の創設者とも言うべき島尻政長先生が、沖縄を本拠地として活動されていたこと、またその御命日が、今日の1月9日であることを知りました。偶然といえばそれまででですが、ケーベル博士の日本での音楽活動を継承された島尻先生に倣いつつ、ケーベル博士のご業績を偲びたいと想います。

   ケーベル博士の肖像ーケーベル会誌創刊号(1993)から転載
(和服姿のケーベルと家人たち<駿河台邸>写真提供/久保いと)は来日してからまだあまり時を経ていないころの写真とのことです。





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