親は養育する一方で無意識に負の負担・劣等感等を負わせる!!
スカーレットは、後半部分になって、見逃していた重要な場面展開を今になって、改めてその重要さに気がついた。というのは、主人公の川原喜美子が穴窯の自然釉に取り組んでいたとき、漏らす言葉である。穴窯での自然釉が成功するまでの6回の失敗を繰り返し7回目にやっと成功する間のことである。そのころ、夫の八郎とは、女性弟子の恋心にまつわる問題や、陶芸のやり方をめぐって違いが明らかになり、川原家を出ていた。
「いままで、お父ちゃんやお父ちゃんがなくなってからは夫八郎との許可を得て、物事を進めなきゃならんかった。今は一人自分の好きなようにできる。穴窯の費用の借金も(自分の責任で)自由にできる。こんなに自由なことはない。」
そして、7回目の焼き入れの前、八郎が訪ねてきて、穴窯焼きにかける日数をさらに倍かけるとのことで、火事になってしまうのでやめてくれ、そして喜美子をいままで女性として見ていたことを打ち明け、喜美子にそんな危ないまねはしてほしくないという。
しかし、喜美子はいう。「それでも、やる。女性陶芸家としてやってみる。」と言うのである。
親という場の存在は、子供にとって、養育の場であり、精神的なよりどころとなる。それが、ある時期になると、経済的な独立だけでなく、精神的にも独立していく。いわば、精神的な巣立ちの時期を迎える。
しかし、その時期がどこかになると人それぞれで、学生を卒業し社会に巣立つ時期であったり、親そのものが偉大であるとその偉大さゆえに、人生後半の親の介護の時期であったり、はたまた親の死亡まで待たないとできないこともあろう。喜美子の場合は、特に、はちゃめちゃな父親が亡くなっても、川原家には夫八郎がいて八郎との間で相談等をしなければならなかった。それが喜美子は妻ではなく女性陶芸家としてやっていくといった瞬間、これが精神的な独立であったと考えられる。特にこの喜美子の時代は、男女同権ということばはあったが、まだ女性が社会進出できる素地はできてなく、そのなかで、女性陶芸家として成功するのは並大抵のことではなかった。そんななか、八郎を振り切って、そのとき精神的独立を果たしたのであり、陶芸の道で成功をおさめたのである。
一方で、親の存在は前述のように養育者であるとともに、子供への負担を生じる、特に劣等感を温存する元となるのである。自分ができなかったことを子供に期待し、過度の期待をするがために、出来なかったときにしかりはしないが、がっかりした様子をみせる。それを子供は見てすぐに察する。そんな親をみて育った子供は、期待に沿えず劣等感が芽生えることになる。親から子へ、そして孫へと劣等感は連鎖の輪ができることになる。必ずしも、親は養育する存在だけではなく、負の負担(劣等感等)をも植え付ける存在となる。(しかし、親はそうしようとしてするのではなく、無意識のうちにそうなってしまうので、これは宿命かもしれないが・・・。)※1 ※2
そこで、真の意味での「精神的な独立」とは、この親からの劣等感・負の負担を断ち切ったとき、はじめて成り立つように思う。
喜美子の場合は、草間柔道の草間や深(ふか)先生やまた離婚するまでの八郎の存在など親の存在以上に、精神的な巣立ちする条件を整えてくれたと思う。
私のことで恐縮ですが、私の父親からは、社会での成功を願い「鶏口となるとも牛後となるなかれ」と教わってきたが、社会での鶏口とならなかったために、自分はダメな人間と心の中でいつも思っていたように思う。しかし、自分の人生の晩年なって、その親の教えは必ずしもそうではないと思えるようになった。自分が生きている、そのこと自体がすごいことだと思えるようになったからである。すでに両親とも亡くなっている今頃になって・・・※3
※1・※3 「大人になりきれない人の心理」(加藤諦三著)
こんな例えをして説明している。
ありの子供が穴を掘った。イノシシの子供が穴を掘った。それぞれ自分の体力に合わせて穴を掘った。ブルドーザーが来て、もっと大きな穴を掘った。それを見てアリの両親は子供に言った。「あなたはどうしてこのような穴を掘れないの」 この両親はアリの社会に満足していない。アリの両親は「アリ」が嫌いなのである。こうした子供は親から「死ね」と言われているの同じことである。なのに生きているのだから、自分はすごい力があると自信をもつことである。
※2 「スカーレット」でも将にこのような場面がある。第130話である。大野新作と夫婦になっている主人公喜美子の妹の百合子が、娘の桜がピアノをやめたいといったので、叱ったらすねたという。喜美子は百合子を母の仏壇の前に座らせて、娘ではなく百合子自身の気持ちを優先していないかということについて、うまく諭す。川原家・喜美子一家は、貧乏がゆえに喜美子ももちろんだが、百合子も短大を卒業して家庭科の先生になる夢をもっていたがそれができなかったので、全部させてあげたいという。その気持ちが分からない喜美子ではなかったのではないのだが、やはり娘の気持ちを大事にしなければと思ったのだろう。
スカーレットは、後半部分になって、見逃していた重要な場面展開を今になって、改めてその重要さに気がついた。というのは、主人公の川原喜美子が穴窯の自然釉に取り組んでいたとき、漏らす言葉である。穴窯での自然釉が成功するまでの6回の失敗を繰り返し7回目にやっと成功する間のことである。そのころ、夫の八郎とは、女性弟子の恋心にまつわる問題や、陶芸のやり方をめぐって違いが明らかになり、川原家を出ていた。
「いままで、お父ちゃんやお父ちゃんがなくなってからは夫八郎との許可を得て、物事を進めなきゃならんかった。今は一人自分の好きなようにできる。穴窯の費用の借金も(自分の責任で)自由にできる。こんなに自由なことはない。」
そして、7回目の焼き入れの前、八郎が訪ねてきて、穴窯焼きにかける日数をさらに倍かけるとのことで、火事になってしまうのでやめてくれ、そして喜美子をいままで女性として見ていたことを打ち明け、喜美子にそんな危ないまねはしてほしくないという。
しかし、喜美子はいう。「それでも、やる。女性陶芸家としてやってみる。」と言うのである。
親という場の存在は、子供にとって、養育の場であり、精神的なよりどころとなる。それが、ある時期になると、経済的な独立だけでなく、精神的にも独立していく。いわば、精神的な巣立ちの時期を迎える。
しかし、その時期がどこかになると人それぞれで、学生を卒業し社会に巣立つ時期であったり、親そのものが偉大であるとその偉大さゆえに、人生後半の親の介護の時期であったり、はたまた親の死亡まで待たないとできないこともあろう。喜美子の場合は、特に、はちゃめちゃな父親が亡くなっても、川原家には夫八郎がいて八郎との間で相談等をしなければならなかった。それが喜美子は妻ではなく女性陶芸家としてやっていくといった瞬間、これが精神的な独立であったと考えられる。特にこの喜美子の時代は、男女同権ということばはあったが、まだ女性が社会進出できる素地はできてなく、そのなかで、女性陶芸家として成功するのは並大抵のことではなかった。そんななか、八郎を振り切って、そのとき精神的独立を果たしたのであり、陶芸の道で成功をおさめたのである。
一方で、親の存在は前述のように養育者であるとともに、子供への負担を生じる、特に劣等感を温存する元となるのである。自分ができなかったことを子供に期待し、過度の期待をするがために、出来なかったときにしかりはしないが、がっかりした様子をみせる。それを子供は見てすぐに察する。そんな親をみて育った子供は、期待に沿えず劣等感が芽生えることになる。親から子へ、そして孫へと劣等感は連鎖の輪ができることになる。必ずしも、親は養育する存在だけではなく、負の負担(劣等感等)をも植え付ける存在となる。(しかし、親はそうしようとしてするのではなく、無意識のうちにそうなってしまうので、これは宿命かもしれないが・・・。)※1 ※2
そこで、真の意味での「精神的な独立」とは、この親からの劣等感・負の負担を断ち切ったとき、はじめて成り立つように思う。
喜美子の場合は、草間柔道の草間や深(ふか)先生やまた離婚するまでの八郎の存在など親の存在以上に、精神的な巣立ちする条件を整えてくれたと思う。
私のことで恐縮ですが、私の父親からは、社会での成功を願い「鶏口となるとも牛後となるなかれ」と教わってきたが、社会での鶏口とならなかったために、自分はダメな人間と心の中でいつも思っていたように思う。しかし、自分の人生の晩年なって、その親の教えは必ずしもそうではないと思えるようになった。自分が生きている、そのこと自体がすごいことだと思えるようになったからである。すでに両親とも亡くなっている今頃になって・・・※3
※1・※3 「大人になりきれない人の心理」(加藤諦三著)
こんな例えをして説明している。
ありの子供が穴を掘った。イノシシの子供が穴を掘った。それぞれ自分の体力に合わせて穴を掘った。ブルドーザーが来て、もっと大きな穴を掘った。それを見てアリの両親は子供に言った。「あなたはどうしてこのような穴を掘れないの」 この両親はアリの社会に満足していない。アリの両親は「アリ」が嫌いなのである。こうした子供は親から「死ね」と言われているの同じことである。なのに生きているのだから、自分はすごい力があると自信をもつことである。
※2 「スカーレット」でも将にこのような場面がある。第130話である。大野新作と夫婦になっている主人公喜美子の妹の百合子が、娘の桜がピアノをやめたいといったので、叱ったらすねたという。喜美子は百合子を母の仏壇の前に座らせて、娘ではなく百合子自身の気持ちを優先していないかということについて、うまく諭す。川原家・喜美子一家は、貧乏がゆえに喜美子ももちろんだが、百合子も短大を卒業して家庭科の先生になる夢をもっていたがそれができなかったので、全部させてあげたいという。その気持ちが分からない喜美子ではなかったのではないのだが、やはり娘の気持ちを大事にしなければと思ったのだろう。
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