2週間休んでおいて、それでのっけから個人的な話で恐縮だが、この間に知り合いが亡くなった。
彼は近くの行きつけの鮨屋からこの1月に独立したばかりで、正にこれからという矢先での逝去だった。年齢は確か僕よりも一つ上、まだまだ死ぬには早すぎる。買い出しに行った先で突然倒れ、そのまま病院に運ばれたものの手遅れだったという。
朝の仕入れから、仕込み、そして店の切り盛りまですべて一人でこなし、また当初は店を毎日開けていたと聞く。おそらくそうした無理がたたったのであろう。独立し一国一城の主となっての責任、重圧なのか、彼がもう少し体の変調、異常に気を付けていればと本当に残念でならない。
その鮨屋に行くようになって5年近くになる。鮨は大将と彼とで握っていた。僕達夫婦はカウンターに座ることが多く、彼らとよく話をしていた。光物では今日は何がおいしいとか、白身は何が良いとか、ねたの話は勿論、祭りの話(何分下町の鮨屋なので)やゴルフの話、それに他の常連さんの話などである。ただ、話をするのは大将の方が圧倒的に多い。彼は出前や奥での仕事もあって席を外すことが多かったし、一緒にいてもやはりメインは大将で彼は一歩引いた感じがあった。
しかし、新しいものを勧めてくれるのはいつも彼だった。鯛のかぶと焼きを食べ、その骨で出汁を取って吸い物にする。ほたてを醤油バターで焼き、小さく握ったシャリをその汁に付けて食べる(フレンチなどでパンを料理のソースに付けて食べるのと同じ感覚)。酢飯と醤油バターの相性が抜群だ。そして“大人のかんぴょう巻”。かんぴょう巻にわさびとゴマを入れるだけなのだが、存外これが旨い。このときから僕らの〆はいつも“大人のかんぴょう巻”になった。
たまたま彼のアパートがわが家の斜向かいだったり、また年齢が近いこともあって、彼は僕らに親近感を持ってくれていたと思う。一度彼に今度アメリカに試験を受けに行くのだと話したことがあった。それっきりその話はしなかったが、1年くらい経ったある日、彼があの試験はどうなりましたと聞いてきた。なんとか受かったと話すとそれは喜んでくれた。こちらにしてみると、もう古い話でその感激を忘れつつあったのだが、僕には彼の不器用なやさしさが身に染みて嬉しかった。
彼は今回の独立の案内を直接わが家のポストに入れてくれた。彼の店は門前仲町。家からさほど遠くないが、職場と方向が違い、なかなか行くことが出来なかった。開店早々に一度お邪魔したきりで、結局、それが彼との最後になってしまった。ちょっと照れながらも、嬉しそうに鮨を握っていた彼の姿が目に浮かぶ。お祝いの振舞酒を頂いたが、そのお返しが出来ないうちに彼は逝ってしまった。
心の準備など出来ようもない突然の死。僕には彼に掛ける言葉が見つからない。それ以上に、今でも信じられない気持ちの方が強い。が、あの日以来、いつもアパートの前にあった彼のバイクが無くなった。いつもの風景から、当たり前のようにあったもの、本来あるべきものが欠け落ちてしまった。この空白を埋めるものがない。彼のご冥福を祈る。
彼は近くの行きつけの鮨屋からこの1月に独立したばかりで、正にこれからという矢先での逝去だった。年齢は確か僕よりも一つ上、まだまだ死ぬには早すぎる。買い出しに行った先で突然倒れ、そのまま病院に運ばれたものの手遅れだったという。
朝の仕入れから、仕込み、そして店の切り盛りまですべて一人でこなし、また当初は店を毎日開けていたと聞く。おそらくそうした無理がたたったのであろう。独立し一国一城の主となっての責任、重圧なのか、彼がもう少し体の変調、異常に気を付けていればと本当に残念でならない。
その鮨屋に行くようになって5年近くになる。鮨は大将と彼とで握っていた。僕達夫婦はカウンターに座ることが多く、彼らとよく話をしていた。光物では今日は何がおいしいとか、白身は何が良いとか、ねたの話は勿論、祭りの話(何分下町の鮨屋なので)やゴルフの話、それに他の常連さんの話などである。ただ、話をするのは大将の方が圧倒的に多い。彼は出前や奥での仕事もあって席を外すことが多かったし、一緒にいてもやはりメインは大将で彼は一歩引いた感じがあった。
しかし、新しいものを勧めてくれるのはいつも彼だった。鯛のかぶと焼きを食べ、その骨で出汁を取って吸い物にする。ほたてを醤油バターで焼き、小さく握ったシャリをその汁に付けて食べる(フレンチなどでパンを料理のソースに付けて食べるのと同じ感覚)。酢飯と醤油バターの相性が抜群だ。そして“大人のかんぴょう巻”。かんぴょう巻にわさびとゴマを入れるだけなのだが、存外これが旨い。このときから僕らの〆はいつも“大人のかんぴょう巻”になった。
たまたま彼のアパートがわが家の斜向かいだったり、また年齢が近いこともあって、彼は僕らに親近感を持ってくれていたと思う。一度彼に今度アメリカに試験を受けに行くのだと話したことがあった。それっきりその話はしなかったが、1年くらい経ったある日、彼があの試験はどうなりましたと聞いてきた。なんとか受かったと話すとそれは喜んでくれた。こちらにしてみると、もう古い話でその感激を忘れつつあったのだが、僕には彼の不器用なやさしさが身に染みて嬉しかった。
彼は今回の独立の案内を直接わが家のポストに入れてくれた。彼の店は門前仲町。家からさほど遠くないが、職場と方向が違い、なかなか行くことが出来なかった。開店早々に一度お邪魔したきりで、結局、それが彼との最後になってしまった。ちょっと照れながらも、嬉しそうに鮨を握っていた彼の姿が目に浮かぶ。お祝いの振舞酒を頂いたが、そのお返しが出来ないうちに彼は逝ってしまった。
心の準備など出来ようもない突然の死。僕には彼に掛ける言葉が見つからない。それ以上に、今でも信じられない気持ちの方が強い。が、あの日以来、いつもアパートの前にあった彼のバイクが無くなった。いつもの風景から、当たり前のようにあったもの、本来あるべきものが欠け落ちてしまった。この空白を埋めるものがない。彼のご冥福を祈る。