25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

アマノン国往還記を思い出す

2015年06月11日 | 文学 思想
コンピュータも面倒なものになってきたものだ。
 ウイルス。それはインフルエンザウイルスと同じようなものである。新しいウイスルが発生しない限りワクチンが作れない。
 だから後手、後手にまわる。コンピュータのウイスル対策ソフトも同様である。しかもこのウイルスはなんらかの悪意をもっている。便利になればなるほそ、不便になっていくというよい例である。
 バリ島に固定電話機というものがほとんどなかった頃、携帯電話が固定電話網をつくるのをいっきに超えてしまって、携帯電話が瞬く間に普及した。この携帯普及に貢献したのはフィンランドのノキアであった。日本の携帯電話は便利であるが、複雑すぎた。バリ人たちは固定電話の代わりに、電話が使えればよかったので、ノキアはそんな簡単な携帯を作った。今ではメールや写真の転送もできる。日本の携帯電話は多くはスマートフォンに代った。iphone の登場でアップルの進出やサムソンの進出で今はしのぎを削っているが、そこに日本のスマホはほとんどみない。不要なものが多いのだ。

 今回の年金機構や東京商工会議所の情報流出はパソコンを所有する個人にも、もっていない人にも厄介な問題である。電話やメールアドレス、銀行口座番号や暗証番号など置いておくこともできない。すると、紙に記録しておくことになる。

 ウイルスを侵入させて情報を盗み取るという犯罪に厳罰を処する、という道になっていくのだろう。それも海外になるとどうにもならない。

 そこで、また倉橋由美子の「アマノン国往還記」を思い出す。この島国日本はオンナばかりである。そこに異国から男の宣教師が侵入してきた。おちゃらけた冒険話であるが、オンナはすでに出産するということもない。そのくらい科学は変化している。

 外の世界からの厄介なことはない。鎖国をしているのだから、何の問題もない。

 インターネットという地球規模のネットワークがいつ不能になるか、それは頭に入れておいたほうがいいのかもしれない。
 時々だれかと話すことがある。1970年代から1985年ぐらいにはまだパソコンもなく、携帯電話もなかった。そんな時代に特に不便であると思わなかった。トイレも共同であった。それで当たり前だと思っていた。アパートには風呂もなかった。銭湯にいくのが当たり前だと思っていた。手紙を書いていた。そのうちFAXやポケベルがでてきた。
 右肩上がりの経済であったが、それでもアパート一室4上半+畳半分くらいの台所と押入れがついて家賃は7500円で2年経って、契約を更新して8000円、次は8500円というようなものだった。

 ワープロやパソコンが出てくると紙がの使用料は減ると言っていたが、紙の量はますます増えた。パソコンだけでも使用が簡単ではないのに、ウイルス対策となってくると、しまお後手後手のウイルス対策ソフトとなってくると、もうこれはどうしてもしかたがない。コンピュータをリモートコントロールするのは簡単なことだ。
 人間というのは変わらぬものだ。インターネットんぽ時代になって人が良くなるなどと考えている人がいることはないだろうが、これは社会的な変革でもない。昔からある、イエスキリストやブッダや孔子がいるころからの連続で、彼らがいた時代から人間は進歩したかと言えば、ほとんどしていないのだ。経済というものは日本においては発展したけれど。それだって、いつかツケがくるはずだ。

両方を同時にやる人

2015年06月11日 | 日記
「今を楽しみたい」という気持ちと「将来のために今は楽しみを横に置いてでも勉学するとか苦しんでも努力したい」という気持ちは二つ同時に存在する。おそらく、後者の方が生きる意欲なのではないかと思う。ところがこれを同時にやりとげる人というのもいる。先輩のHさんはそれではないかとこの前も思った。話を聴いていると、会社には閑職においやられても給料はもらうぞと開き直って、退職まで会社には通い続け、自分で趣味に没頭した。
 退職前には結婚もした。社交ダンスに今没頭してりうが、居合術もやり、エレキバンドまでやっている。カラオケで彼は「ザ・ランチャーズ」の「冬の帰り道」を歌ったが、間奏のギターがあり、「今、これを練習してるだんけど、これがなかなか難しくて」と笑っている。これを弾けるようにするのだろう。バンドには音に厳しいドラマーがいて、なんだかんだと言ってくれるので、それが刺戟となっていいらしい。社交ダンスを踊るとサラサラとした塩になってしまうような汗をかくらしい。社交ダンスもうなく踊れるように苦労するのだろう。それも「楽しい苦労」である。

 僕なんかは唯一の楽しみと言えば、小魚を釣ったり、磯遊びを一人でするくらいのもので、努力を要するものはしていない。Hさんは僕より3歳上だが、肌艶もあって、健康な若者のように見える。それにハンサムであり、背も高い。どんどん話を聞いていくと、この人は、頑固に、自分をあんまり譲らずに生きてきたんだなあ、と思う。はまってしまうと努力してやっていく人なのだ。
中学生の頃、Hさんの家の裏小屋で「レビンズ」というバンド練習を何度か見に行ったことがある。ベンチャーズの曲のリードギターをいとも簡単そうに弾いていたのにはびっくりしたものだった。たぶん仲間をつくるのもうまいのだろう。もうひとり腕のよい1級か2級上の先輩がいたが、彼はとてもうまくリードギターが弾けるのだが、一人であった。仲間で弾いているのを見たことがなかった。
 Hさんも退職して、懐かしのベンチャズナンバーを公民館でやっているのを聞きにいったことがある。
 演奏者というのは聴衆にはわからないくらいにミスはするものだろうが、大ミスというものはない。彼らのバンドも大ミスはなかった。「オレは楽譜は読めんので、おぼえて指で探って弾いていく。あくまで我流だから、ポジションが違うかもしれん」と言っていた。それで、ビデオなども見るのだそうだ。

 ときどき夜の町にいくとこういう人と出会う。すると酒は何杯でも入っていって、翌日は二日酔いもないのである。