25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

戦争を無化する技術もしくは観念

2017年04月10日 | 文学 思想

 今日は雨。それに冷える。京都は今日ぐらいから桜が満開だという。新しい小説を書き始めて、一週間。といっても土曜と日曜は休むので、5日間。今日で六日目である。一応は新人賞応募をしようと思っている。一日に2時間、今日は3時間。できたら、引き締まった小説を書きたい。引き締まったということは脂身とか飾りが少ないことを言っている。才能があるのに、ないと思っている女と才能がないのにあると思っている男が巡り会う話である。

 前に進んで読んでもらえる配慮は必要である。小説の書き方も一度プロに校正してもらってから、それがとても役立ち、少々は進歩したように思う。東京の同人誌にも入った。友人の誘いであった。

 どうも文というのは寝かせる必要があって、2、3時間くらい書くのがちょうどよい。次の日までに、前に書いたことをなんども思い起こし、書ききれてないとか、つじつまが合わないとか、不要だ、くどい、とかいうことが一晩寝かせるとわかってくる。

 ブログは思いついたことを書くだけで、そこに工夫のひとつでもしてみようかという意思はないから、その点では小説と違う。

 太平洋戦争終結までの本を3人の視点から書いたものを3冊読み、今、また世界史の本を読んでいる。受験で世界史を勉強し、大人になってからも何度か読んだが、この記憶力の悪さにあきれながら、また読んでいる。世界現代史も際どい危ないところにある。人類は戦争を克服できない。

 かたや、iPS細胞に代わる幹細胞が発見、実験されている。エネルギーの技術もどんどん向上している。戦争というものを無化する技術はできないものか。そんな専門の科学分野があっていいと思う。無化の観念さえまだ人類の共通になっていない。こうなれば科学だと思ったりする。たぶん、だれかやっている。