25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

未来を見据える人

2017年04月21日 | 文学 思想

 でっかい牡丹の花が咲いて感動した。手のひらのサイズはある。石楠花にも驚いたが、牡丹の大きさと華やかさには参った、という感じである。

 俄然、奈良の長谷寺へ行こうと思った。今月の末あたりが最盛期だと思う。奈良は隣の県なのに遠く感じる。

 現在の天皇はもしかしたら、中臣鎌足と中大兄皇子(のちの天智天皇)が蘇我入鹿を倒さなければ、蘇我入鹿が大王になっていたかもしれない。古事記や日本書記は天武や持統天皇あたりの頃に編纂されたものだから、入鹿の実像はわからないが研究は進んでいる。

 当時日本は朝鮮半島の一部を持ち、任那を手離してからも百済とは関係が良好であった。そこへ唐が介入してきた。日本、倭の国は相当な危機であった。入鹿は唐に留学していた男である。中央集権化を急ぎ過ぎたのかも知れない。入鹿は殺され、中大兄皇子と中臣鎌足が権力を握った。ところが朝鮮では白村江の戦いに敗れ、撤退することになる。のち天智天皇死後、壬申の乱が起こる。天武天皇の誕生である。一説によると、大海人皇子(のちの天武)軍の剣は相当強度が高かったようだ。

  思えばこの頃の日本は九州を中心として弧を描く文化圏、経済圏だったような気がする。

 常に朝鮮とは無意識のように奥のところで、地政学的にも、濃密な関係なのだ。背後にいつも、唐や中華人民共和国がいる。先進国から学ぶ、倣うは、昔も今も同じだ。また留学生が活躍するのも明治期と同じである。

 入鹿は性急過ぎたのだろうか。先進的に思いつく人がいて、その人が事をな成せず、十年も、二十年も、いや三十年、五十年経ってから実現化することがある。

 ゴッホとて、若仲とて同じだ。人間社会とはこんなものなのだろうか。今生きる人に、未来を見据えている人が絶対にいる。そう思う。