25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

楯ケ崎から新宮へ

2017年04月30日 | 旅行

 楯ケ崎に若葉の島見に行った。毎年の行事のようにんsっている。眼前の山をいていて、同い年くらいの夫婦と、なんとなく、会話を交わした。和歌山市からきて、熊野から先はいったことがないということだった。

 「神武軍は和歌山から灰って生駒辺りで負けたんですな。それでこっちにまわった。それで奈良方面にむかったのですな」

 ぼくは、「有馬辺りに相当長く滞在したと思いますよ。花の窟があるでしょ。あれはイザナギを祀っています。鎮魂とか除霊とかのために神社にした。結構地元住民は殺されたんじゃないでしょうか」と言う。

「そうかもしれませんな。女陰(ホト)を焼いて死んだもでしたか。それにしても美しいですね。桜は女ですが、この青葉は男ですな」

 と言ってなにやらつぶやいた。

 眺むれば 円の縁あり 熊野灘

「季語がありませんね」

「そうですな。 無季語です。いいんです。ときに俳句、ときに川柳、中上健次の小説の新宮ものは読みましたな。」

千年の愉楽、が最高傑作ですね。ぼくはそう思います

、ほらあそこが二木島ですよ」

「中上は本島はナカウエだったんですってね。土建の息子」

 いろいとろなことを知っいる人だ。もうしばらく話をして彼らは尾鷲方面に向かった。僕らは新宮方面である。

 さて、新宮まできて、書店で「ヤタガラスの正体」

という本を買った。ヤタガラスの三本足は、宇井、衛本

鈴木だという言い伝えがあるので、そのあたりもたしかめたいと思ったもだった。