25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

銀行に注目している

2018年01月14日 | 社会・経済・政治

 ハイブリッドカーに替えてからガソリン代が半分ですむようになった。

 ぼくらの経済判断は家族、周辺の町の様子、新聞やテレビニュースによる街角での地の声で、つまり感覚のようなもので判断するのがよいと思う。まず政治家や学者や経済評論家のいうことは当てにならない。官僚もだ。

 ぼくは政府の経済政策にまんまと乗り、失敗したことがある。当時は経済政策と金融政策はべつに仕立てであることも知らなかった。

 昔、ぼくが買った土地家屋は十分も一ほどまで下落分している。土地価格が上がっていかないので、壊すこともできず、廃屋になった家を多く見る。このまま子供たちが住まないことになれば、いつか誰かが壊さねばならない。そんなこtも考えておかねばならない。

 成人式の「晴れ着」サギは、見かけは値の張る着物であるが、それがレンタルであることが喧伝された。ああいう無駄なものにお金を使うなら、レンタルでよいと思うはずだ。ぼくはレンタルでさえ無駄だと思うが人それぞれなのだからしかたがないか。無駄こそ成長を促すと主張する経済学者もいる。この詐欺事件はいろいろな意味で時代を反映している。

 やはり世は倹約、節約時代で、貯金ゼロ円でも安心して暮らせる世ではないのだ。生涯で払った年金額が1950年生まれの人は総額7万円支給が多くなる、1955年生まれの人でプラスマイナスゼロであり、それ以降は年々減っていく。

 今年は経済も良さそうだ、とアホ顔していう者もいる。株価が高いことが経済がよいと思っている人もいるのだ。外国の機関投資家に売り抜けされたらどうするというのだ。

 尾鷲にいる限り好況感はない。東京に住む人も好況感があるとは思えない。家賃が高すぎる。この家賃を払って行くには夫婦共働きとなる。それが「女性が輝く社会」であり、「一億総活躍社会」である。しかしそれは詭弁である。女も老人も死ぬまで働け、おれたちに社会保障する力がない、という暗喩のように思える。大企業は外国債権の購入を増加させた。財政破綻への防御策なのだろう。銀行も生き残りに必死である。ぼくは大企業の内部留保の使い方と銀行の動きに注目している。