25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本列島人の弱み

2018年03月10日 | 社会・経済・政治
 尾鷲市の財政はかつてない危機だという。地方都市がほとんど同じ危機の中にいるのだろう。日本国そのものもかつてない危機である。
 1985年のプラザ合意により、ドル安が合意され、日本の対ドルは240円から、じょじょに上がり始め、77円にまでなったのおぼえている。その間、金融緩和策がとられ、お金が銀行に有り余るようになった。銀行は高度な銀行経営に変わるべきだったのに、土地にお金を融資し始めた。バブル経済となって、バブルの恩恵を受けたものは浮かれ調子で日を送っていた。
 バブルが崩壊し、経済はデフレ基調となり、日本の企業は軽薄短小の商品作りにいそしんだが、時代は製造業を中心とする資本主義から、消費資本主義へと姿を変えていた。大企業は第三次産業革命に乗ることができなかった。インターネットを深く考えなかったのだ。
 小泉政権も依然として製造業中心の資本主義経済の発想から抜け出せなかった。安部政権も同様で、相変わらず、東日本大震災の復興事業で堤防作りに精をだしている。建造物への公共事業に経済効果があると思っているのである。
 どんなに考えても1000年に一度といわれる地震と津波対策に堤防を作ることが今後どれだけの生産性を高めるだろうか。津波で破壊された家を希望するところに建ててあげたほうがよほど経済効果があったことだろう。

 公共投資をするべきところは第三次産業であるはずだ。すでに第三次産業は70%を占めるのである。ここに投資をしていれば、次の高次な産業を産み出せたかもしれない。第三次産業への従事者の賃金は少ない。非正規の社員も多い。堤防を何兆円もかけてつくるより、この第三次産業に従事する人々に賃金アップのお金を配るとか、介護や保育士賃金を上げるほうがまともに経済は好転するはずである。
 異次元の金融緩和により輸出企業の株価を上げても輸出産業は、為替のリスクを背負う。企業は円安になった分、海外で価格を下げて売ることはなく、生産高も上がっていないのが実情である。為替差利益を内部留保するだけである。
 このような経済、財政、金融政策で、つまり昔の資本主義にとらわれた人々の中から、アップルやマイクロソフト、グーグル、フェースブック、アマゾンのようなパラダイムを書き換える企業は出て来ないのは当然だ。
 それはぼくが住む尾鷲市でも同じだ。浦村は限界集落である。この集落の人々をごっそり旧尾鷲町に移住してもらい、人が住まなくなった浦村を産業区域に指定して、合理化、効率化することが必要に思えるが、抵抗はきついことだろう。すでにそのような施策もうてない財政状況であるが、このままでは消滅都市まっしぐらである。
 日本国も、地方自治体も変わることいやg抵抗を恐れて大胆な改革ができなかった。それが現在の膨大な借金となっている。企業も個人も財布のヒモを簡単には緩めない。政治家や財界人や連合のような組織に大胆なことはできないと見定めているからである。
 日本列島人の中に潜む横並びで和をもって尊しとする意識、資本のないものは起業しにくいというシステムなどありとあらゆる構造改革が必要に思えるが、一度破産してやり直しを図るほうが早いかもしれない。