25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

低欲望社会

2018年03月19日 | 社会・経済・政治
  名古屋駅界隈は人と物が溢れている。財界や政治家はやや景気もよくなっているというが、名古屋にくると本当にそうなのかなあ、と思ってしまう。しかしながら何年も前から同様の感想を抱いていたのだった。
 1929年にアメリカで起こったような経済恐慌は起こるはずはない。不況と好況さえも境界が曖昧になっていて、好況のところ、不況のところが斑模様のようになっているが、庶民にはそれさえもわかりにくい。これは古い製造業資本主義が終わったからだと思う。国民の消費が主となった消費資本主義の時代を今通り抜けようとしているからだ。保守政治家はこの流れに気がついていない。

 いつもの名古屋駅のビルにある三省堂で本を6冊買った。今日は腹立たしいと思っていた政府の御用学者高橋洋一の意見をきちんと読んでおくべきだと思い、「これが日本経済の邪魔をする七悪人(SB新書)」、「常勝投資家が予測する日本の未来(玉川陽介 光文社新書)、この前自死した保守思想家の西部暹「遺書(平凡社新書)。これら三冊は恐らくこれまでだったら無視してきた書物である。次に軽部謙介の「官僚たちのアベノミクス」と養老孟司の「遺言(新潮新書)」を興味本位で、あとの2冊はぼくが好きな福岡伸一の「生命科学のしずかなる革命」と敬愛する吉本隆明の本である。福岡博士の「動的平衡」では目からウロコが落ちるようなたんぱく質の性質を知ったので、おっ、新しい本がでているのかと手にとった。最後の一冊は2012年に故吉本隆明と脳科学者茂木健一郎の対談「すべてをひきうけるという思想」が文庫本になり、まだ未読であったので買った。

 お気づきのようにどれも新書であり、文庫本である。ちょっと単行本としては買うには2冊をのぞいて躊躇ってしまう。これが消費者の財布のヒモなのだ。昔のバブルの頃なら単行本でも買っていただろう。新書や文庫があり、さらに、ブックオフですぐに売ってしまうことができるようになっているから、出版社の不況は深刻だろうと思うが、出版社は電子化に進んでいき、編集者も、校正者も抱えず、生き延びを図っていくのだろう。大前研一が言うように「低欲望社会」である。人々は馬鹿らしいものの仕分けも厳しくするようになっている。特にその傾向は若者に多い。ぼくらもなんだかそうなっている。
 日銀にはお金が国債引き受けの膨大なお金が余っているが、それを貸し出す相手がいない。人も企業も借りたがらない。なのに、日銀ではまだお金をジャブジャブにしようと主張する若田部副総裁が就任した。無駄な堤防や建物をつくるより、JRを半額にするとか、高速道路を無料や半額にする方が消費社会の公共投資のありかただと思う。