25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

袋穴

2018年03月30日 | 文学 思想
 特定秘密保護法、安保法制(集団的自衛権)、共謀罪、決定的となるのが緊急事態法であり、可能性として人々は監視され、自由に物事が言えなくなり、緊急時には政府に権力が集中することになる。戦前と同じようになってきた。憲法も穴の空いた袋みたいになってしまっている。怪しい、危険な状態を安部政権は作ってしまった。選挙があるのだから国民の多数が一穴、二穴と空けてしまったということになる。これが戦後レジームからの脱却を意味するのだろうか。
 密告、たれ込み社会なってしまう可能性がある。
 本来、穴は空けず、しっかりと閉じておくべきだった。

 保守とは長々と続いてきた伝統や慣習、文化は歴史を通じて長らえてきたものだから、それは守るべきものだ、ということだ。天皇制の継続がそれを象徴している。
 これは個人的主観であるが、日本会議や元生長の家原理主義者や安倍首相を支える日本政策研究センターが描く天皇像と天皇家自らが描く天皇像とは違っているように思える。
 昭和天皇も平成天皇も靖国神社には行かない。女系天皇についても互いに意見が違うように思える。天皇が慰問の旅をして、戦後の象徴天皇のあり方を探ってきたように思えるが、天皇を絶対視する一部学者らは不服であるように思える。
 現天皇は戦争を嫌い、平和を希求する精神が見える。もしかしたら、英国王室みたいな在り方を目指しているのかもしれない。もっと天皇家に自由があっていいように思えるが、次の天皇、その次の天皇がその在り方をちょっとずつ変えて行くように推察する。
 これはすべて憶測である。願うは天皇を利用して二度と戦争はしない国になってほしいものだ。

 アメリカから押し付けられた憲法と石原慎太郎などはいうが、当時の民間人を見捨てて満州から逃げてしまった軍人や、なにもできなかった政府に憲法を作る力などあるはずもなかった。農地開放もできなかったと思う。教育基本法も作れなかったと思う。幣原喜重郎が平和主義をマッカーサーモに進言した。出来上がった憲法は国民、国会によって承認された。アメリカのおかげと言っても過言ではない。
 高度経済成長を果たし、アメリカあの言うなりにならず、ドイツのようにアメリカにも率直に物をいい、対等に交流していくというのは外交の手腕である。「アメリカの属国」という言葉がよく聞かれるが、対等になればいいだけの話である。それには堂々と交渉する技術が必要である。背後に軍事力があるかどうかではない。政治家の資質である。