25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ドイツのこと

2019年04月03日 | 社会・経済・政治
  シェアエコノミーには車や自転車、家だけでなく、スウェーデンでは労働時間のシェアにも及んでいる。
 日本ではシェアリングはまだ進んでいないが、これは一種のデフレの現象であるとも言える
スウェーデンではデフレというより分かち合うという価値観が道具だけでなく、時間までにも及んできているのだろう。
 タクシーも分乗が解禁となった。ついでに白ミニバスも解禁してほしいものだ。既得権益団体に切り込んでほしいものだ。

 新聞の書籍広告欄に、「年収290万円で楽に暮らせるドイツ」という本があった。
 読んでいないから想像になるが、楽に暮らせるということは、教育費と老後費がかからないのだろう。そこのところは安心できるのだ。ドイツ人の外食をしない習慣は東アジアの人々と違うということもあるのかも知れない。
 会社では部下に残業させる上司ほどできない上司となる。
 先進国としてよく話題にのぼるドイツやベネルクス三国や北欧三国。日本はこのような国を範にして、良い国作りが1970年代まではできるはずだった。
 しかし今や、借金が多すぎて何事もできない国、老後も心配な国になってしまった。特別なカンフル剤などいうものはない。
 



過去のブログをコピペ

2019年04月03日 | 日記
2005年の4月からブログを始めた。Yaplog というブログだった。。それが2015年に調子が悪くなった。ウイルスが入ったのかいたずらコメントが膨大に来るようになった。それでブログを Goo に引っ越した。

 毎日 ヤプログで書いたものをコピペしている。一日一時間ほどする。今日で2007年が終わり、明日から2008年である。2015年まではまだまだ遠い。

 2005年から2007年のものをコピペしていると、まずは、立ち直るためになんだかだとやっていた時期でバリ島に通い、爆弾テロで店は休まざるをえなくなり、「田舎暮らし支援サイト」を立ち上げ、身体や力の伝え方の理論を考え、体験したり、研究したり、ようやくにぼくのエステ理論が完成に向かう頃である。別にエステが好きだったわけではなく、BBTの事務所、雑貨屋、グランブルーレストラン、エステ・デエ・マッサがレギャンにあり、そこが2度の爆弾テロによって、閉鎖を余儀なくされ、サヌールに引っ越したのはエステ部門だけであった。エステサロンでは飯も食えないので、僕は学校にしたのだった。すると教科書が必要で、しかも自分の性格がら、付加価値の高いテキストにしたく、どこでも習えない、優れたものにしたかった。
 僕はもう引退したが、卒業生は二百人ほどいた。今でもみなさん店をやっているようだ。

 ゴールデンキャンドル、ラテン語名 カシア・アラタ  日本ではハネセンナというマメ科の葉を採集して、洗って煎って、日本に運び、エステの商社に卸すこともした。便秘茶としてである。真似がでるまでは注文の量も多かった。おかげで、これでしのげたと思う。そういう時期だった。名古屋港によく荷物を受け取りに行ったものだ。

 日本は一度失敗した者には制度的に立ち直りを許さないところがある。まず銀行は相手にしてくれない。クレジット会社でもそうだ。この点が起業しにくい国柄となり、30年停滞している原因のひとつでもあると思う。このことはいつも思っていることだ。

 ヤプログだけで相当な量がある。二段組の本にしたとすると、2005年から2007年まで200ページほどの本になる量だ。一日一日の文は短いものの、貯まればすごいものだ。