25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

遅すぎ感

2019年04月05日 | 社会・経済・政治
 弁当をもって桜見物に出かけた。空は薄く曇ったところと、青く澄んだところがある。玄工山の桜は昔より勢いを失っているが、今年できる限り咲いたという感じである。上り坂を歩いていく。すぐに脚の筋肉が突っ張ってくるので、そろそろと歩いた。全くトボトボのじいさんである。細君はさっさと歩いていく。参ったな、これは。これからずっとこんなことではだめだ。
 広場のようなところがあってベンチもある。これは田舎に住む者の特権である。都会なら、この昼休み人でごったがえすことだろう。

 玄工山の前に中電のどでかいタンクがある。そばにドラム缶が20本ほど置いてある。タンクのなかに一体何千本、何万本のドラム缶が入るやら。そんな巨大タンクが玄工山から5つは見える。
3年のうちに解体するらしい。そのあとには、焼却場やら、バイオマス発電所や、釣り公園ができるらしい。三田火力発電所の解体工事で3年。次からの建設工事で数年。尾鷲では数年関係者は民宿なども含めて工事労働者による消費も少々はあるだろうから、尾鷲市はこの工事でよしと思わず、その間に何か手を打つ必要があるだろう免許証を返上すれば尾鷲に住むものはおしまいであるから、これは急務の策をたてないといけない。
 韓国の会社とアメリカの会社が5Gをスタートさせた。これが自動運転に活かされるなら、尾鷲市内で客をピックアップし、降ろしながら、10分や15分に一度は通りを通るようになるだろうか。どうもならないような気がする。それより一人乗りのドローンが開発されるかもしれない。いや老人には免許がでないだろうとも思うし、どうやら通信が5Gになろうとも、過疎地の村や町では、都市計画のやり直しでもしない限り、どうしようもないように思える。これもまた「遅すぎ感」がする。