25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ホルモンのせい?

2019年04月14日 | 日記
 桜が終わると山が膨らみ、モコモコとしてくる。昔は日の光が明るくなってくる二月が好きだったが、この二十年は五月の青葉の壮観さが好きだ。照葉樹林の葉は本当に光に照る。照葉樹林の林に入るとその照りかたも驚きである。
 今年も楯ケ崎を歩こう思っている。ずいぶんくたびれた脚だが、ゆっくりなら歩けるだろう。
 運動が大好き立った頃から50年は経っている。
 幾つか行ってみたい世界の町がある。町歩きをするのも脚力が必要で、すぐに歩くのが面倒になるのではないかと思う。坂の多いリスボンの路地を歩いたり、ブエノスアイレスのタンゴを見るところまでブラブラ歩いていくのが億劫になってきたらもう終わりだ。
 自分んおためにすることは結構怠け、他人のためのことを結構生真面目にやっている。母もその一人である。それで自分は運動後不足であり、太ってきて、脚の筋肉とのバランスが崩れたのだと思う。今でも急に早足で歩く、速く坂道を歩くと突っ張ってくる。
 やれやれ自分の体調のコントロールは難儀なものだ。30才まではいくら食べても太らなかった。多分実際のエネルギー消費よりも食べるカロリーの方が多かったと思う。けど太らなかったみはなぜか。逆に言えば、食べ過ぎは本当に太る原因なのか、と疑問に思う。いっぱいタベテモ太らない女性も知っているし、ぼくの息子はぼくの2倍ほど食っても太らない。
 何か太るホルモンのスイッチがあって、ぼくは35歳くらいn時に押してしまった。息子はまだ運良く押していない。なにかしらのホルモンの作用のような気がしてならない。
 遺伝的な体質ということもあるだろう。そう考えるとホルモンが一番の犯人で見えないからわかりにくい。糖分の90%は脳で使ってしまう。脂質はエネルギーとあるから必要で、最もじゅうようなのがたんぱく質だが、これにはいろいろと種類があり、確か酵素とてたんぱく質だったと思う。このたんぱく質とホルモン、脳とホルモン、なんだか、脳、たんぱく質、ホルモンの三角関係が怪しい。肥満ホルモンというのがあるのではないか。それが放出されればちょっと食っても太り始める。よく言えば、食べたものを体に溜め込む。そして飢饉に備える。飢饉があった頃の記憶が蘇る。そういうことなのかもしれんぞ、などとこれを書きながら思っている。
 


 
 

地方間の格差

2019年04月13日 | 社会・経済・政治
 新宮の佐野まで「八王子ラーメン」を買いに行った。通販で買った1ダース、京都ラーメン、札幌ラーメンも食いつくしてしまった。日清の麺NIPPONは素晴らしい。よほどの店でないとラーメンはインスタントラーメンに負けるよ、と思う。それほど美味しい。
 佐野のモールにあるスーパーオークワには鮮魚コーナーで、目当ての渡り蟹があった。このところ尾鷲の浦村ではぶりが定置網によく入るので、ぶりも豊富に売っていた。ドライの味噌汁も種類豊富にある。ウィスキーは相変わらず、知多、山崎、響、余市、竹鶴、宮城峡、THE NIKKA 12年はない。外国のウィスキーは結構あった。
 買い物の楽しみはあるもので、ぼくは毎日スーパーに行くし、自分のことは自分でするようにできている。スーパーの品揃えについても結構違いがわかるほうだと思う。
 尾鷲と新宮とではだいぶん差がついていると思うが、生活を脅かすほどでもない。

 尾鷲はすでに中部電力の三田火力発電所の解体工事が始まっている。3年かかるそうである。石油のパイプラインを工夫して歩道と釣りゾーンをつくらしい。これには大賛成だ。釣り客は結構来ると思う。家族連れだ。続いてバイオマス発電所と5市町のゴミ焼却場ができるらしい。それえ3年。つまり尾鷲には工事関係者が6年に渡って入ってくることになる。民宿や弁当屋さん、飲食業者などには良いのだろう。

 バイオマスと釣り公園で尾鷲が復活できるわけではない。いつも尾鷲市には国策としての大工事が入り込んできた。現在もなお高速道路の建設中である。それが終わろうかとしているときに、火力発電所の解体工事である。運がよいといえばよい。だがいつも公共工事にあぐらをかいてきた。つまり次の策を打って来なかった。人口は約50年で半分になった。これ以上下がると、介護、看護師などの担い手がいなくなり、病院、介護施設などの存続が難しくなる。
 釣り桟橋はパイプラインにできるのだから、他の広大な土地を焼却場と小さなバイオマス発電所だけではもったいなすぎる。未来の尾鷲が描けるようななにか。価値を創造する何か。若者が全国から集まる何か。冬温かく、夏に涼しい尾鷲である。こんなところであくせくせずに仕事や研究をし、何かすごいものが発明されるとよい。バイオマス発電の電気を電源として水素発電所に繋がっていくこともあり得る。
 尾鷲市は新都市計画を作る時期がきているのではないか。

年は変わるさかよう覚えん

2019年04月12日 | 日記
 今日は母親を病院に連れて行った。車中、「あんたの夫の名前をおぼえとる?」ときくち、「のぼる」とすぐに答えた。「じゃあ、あんたの娘は?」「娘らあおったんやろか」「じゃああんたの弟の名前は?ときくと、「ジュンイチ」と答える。「それはオレやがな」と笑ってしまう。
 九鬼までいく道路も初めてみるがごとくに、「長いトンネルなあ」と言い、海を見ては「これは海かな、池かな」と訊いてくる。前にも同じ会話を何度もしている。
 病院も初めてのような態度になる。何のために病院にきているのか、という自覚もなく、腎臓と高血圧と認知症と便秘の薬を飲んでいる自覚もない。
 薬を一包化してもらっているので、今日は便秘薬だけは別にしてもらうことにした。6年前までは便がでないと気になって、すぐに便秘薬を飲んでいた。睡眠導入剤がないと気になって眠れなかったのに、今はもう気にならないので、お医者さんに睡眠薬をはずしてもらい、今日は便秘薬を外してもらい、やがて使うのをホントに便秘のときに使おうと思っている。
 お医者さんはCTを撮るというので、撮るにまかせた。このクリニックに設備があるのだから、母の脳の様子でも見てみるかと思い快諾した。母の脳は6年前と比べると萎縮はしていなかった。脳梗塞はなかった。ただ黒い影が増していた。「これは何ですか」と訊くと、「う~ん、まあ細胞の老化ですかね」「へえ、細胞の老化?皮膚の老化みたいなもんですか」「まあ、そんなもんです」「総合病院でMRI」を撮ってもいいのですが」「それはやめてくだださい」とお断りした。母をまた車に乗せて、デイケアの施設へいく。週3回通っている。ケアマネージャーのHさんに報告をし、これから昼食後、薬をのましてほしいと頼んだ。あとの4日はぼくがすることにした。これまでは母のテーブルの上に毎日置いていたものが、それでも飲むのを忘れるようになったのだった。
 アルブミンは十分にあり栄養状態は非常によかったので、Hさんに「肉、マグロ、肉、マグロの毎日やでな、これやったら100まではいくな」と言ったら、そばにいた老男性が「きょうびらあ、100歳らあいっぱいおるで。肉、マグロやっら120までいくんやないかい」と笑って言った。「ホントやなあ。その覚悟せんなんかいな」とぼくは言って、「ところでおじさんは何歳」と聞いたら笑って「忘れた。年は毎年変わるさかおぼえるのが難しんさ」と言った。

ああ、有名病院は!

2019年04月11日 | 日記
 今日は付き添いで伊勢赤十字病院に言った。14時30分に来てほしいということだった。待ちに待った。ようやく、18時に声が掛かった。なんだ、これは? 3時間半も待たせるのか。ぼくは確認した。こういうことは常なのかと。いつも1時間くらいだという。ぼくは名古屋大学、関東逓信病院などいくつかの病院への付き添いをしたことがある。3時間半待たせるところなんてなかった。
 腹の中は怒りいっぱいのはずだったが、3時間半付き添った人たちとゆっくり話ができたので、機嫌良く診察室に入ったのだった。
 こころもちよかったのか、若い医師は機嫌よく、後遺障害診断書についての話に応じてくれた。どう書くかはいわばセンスである。患者はうまく自分の状態が言えない。医者は何を聞けばいいのかわからない。客観的数値だけは言える。だから、ぼくが、患者に質問をする。「買い物はどうしてるの?」「風呂は入れるの?」「就労はできるの?」 そんなとことから、互いに言っておかなければならないことと、医者が書かなければならないことが浮かび上がってくる。医者はピンと来て、パソコンに打ち込む。「就労は難しい」と彼は打ち込む。
 お互いの機嫌がよかったからできたことだ。憤りでいっぱいならば、これでは済まなかった。
 後遺障害の検査をリハビリテーションで行って、ぼくは右手左手の後遺障害の度合いと首の後遺障害を数値として確認して、今日は良かったと思ったのだった。これがただたんなる診察の話だったら、医者の机を蹴り飛ばしていたように思う。

コピペで思うこと

2019年04月10日 | 日記
 1999年から始めた「ぼくのバリ日記」2002年から「ちょっとバリ気分」というメルマガを経て、2003年からヤプログでブログを始めた。15年からヤプログからGooに舞台を替えて今日に至っている。日記ではない。日記めいたこともあるが主に言えば、感想文であり、発言である。今日で2012年までコピペをWord にした。二段組にしてコピペしてもすでに、1500ページある。1999年から始めた「バリ日記」を含めると2000ページになる。メルマガの時期もあるのでこれもコピペしようと思っている。
 コピペしていてもタイトルや文の一部分が見える。そうか、娘は2010年の12月に結婚し、息子はその翌年に結婚し、2012年には孫が二人いる。なべちゃんがバリ島まで驚かしの再会の旅に来てくれた。2011年には東日本大震災が起き、細君の家は破壊され、両親は津波に呑み込まれて亡くなったのだった。2002年、2005年とバリ島で爆弾テロ被害にあった。ぼくにとってはこれが人生を変える事件でもあった。
 この分でいくとコピペが終わるまであと2週間はかかる。
 それが終わったら、校正に入ろうと思っている。これが難儀だ。
 ちゃんと校正してブログにアップしておけばしないで済むものを。
 また、全ブログから書籍へのフォーマットに一発で変換してくれるアプリがあればいいのだが、
作ってみようかと思う。そうすれば、パソコンやスマホに電子データで、それを書籍化することも簡単にできる。いちいち一つ一つをコピーして貼り付ける作業が短縮化されてよいだろう。
 振り返っていると今になってわかることもある。無謀すぎた、衝動的過ぎた、早すぎた、自信過剰だった、反省点がいろいろある。
 1975年から1997年までは時々日記を書く程度で、まだウインドウズ95が出るまではパソコンもつかわなかったし、ワープロも簡単に持ち運べるものでもなかった。
 最初のワープロが500万円して、その機種の更新機種が250万円だったのをおぼえている。それだけかかっても必要だったのだ。
 

東京新聞記者 望月衣塑子

2019年04月09日 | 映画
 菅官房長官の名と顔を「令和」を発表したことで、ほとんどの人が知ることになった。立憲のつよい北海道知事選挙でも腕を発揮したようである。
 ぼくは東京新聞の望月衣塑子記者の質問で鋭く質問されるものだから彼女の質問を嫌がる姿が見えて、けつの穴の小さい男だとおもっている。どんな質問にも答えればいいし、姑息な手段で、マスコミ各社に記者会見のあり方を求めたり、望月記者をあてない嫌がらせをしたりするものではない。この人はコマメでよく気がつく人なのかもしれない。そういったことと胆力は別物である。ぼくは望月衣塑子の胆力のほうに軍配をあげ、そして応援している。新聞記者は政治家に従順としていてはいけない。権力をチェックするというものすごい仕事をする人なのである。政治家が権力を守ろうとするときにやることはマスコミを抱え込むか、苛めるかのどちらかだ。菅官房長官はこのどちらも使っている。

 菅が次の首相候補だと二階幹事長などがいい始めると、暗澹とした気分になりもするが、アベノミクスの行き着く先の責任の問題もあるから、複雑な思いになる。

 望月さん、気をつけろよ。昔、毎日新聞の西山記者がアメリカとの密約をスクープして、外務省の事務の女性を寝とって得たと罠にはめられたにだった。権力を維持したがるものらはなんでもするよ。そもそも日本には表現の自由というものは完全にはないのだから。
望月衣塑子記者をモデルとした「新聞記者」という映画が6月から上映されるらしい。

無意識に群がってしまうこと

2019年04月08日 | 社会・経済・政治
 統一地方選前半選の結果を見ていても、何か地方から変わっていくような気配的なものはない。和歌山県の二階自民党幹事長のお膝元である御坊市で自民党県会議員が共産党に負けたというくrしか。
 ときどきテレビを見ていて思うことがある。桜スポットとてれびで紹介すればそこに人が群がり、美味しいラーメン屋といえば人は並ぶ。令和という元号が生まれた和歌の舞台である大宰府に人がドーッと集まる。ぼくはいつも集まったり、行列しているのを見ると大変不思議に思う。人間というものはふっと同調し合う脳の働きがあるのかもしれない。考えるまでもなく、同調の脳部分が働いてしまう。

 自民党という全国で議員の議席を大きく占有する党はこの同調機能が働くような政党組織を作っているのかも知れない。
 よく地方でやっている物産展に人が集まり、無料の食材の前にして嬉しいと思う。そんなところのツボを違う形であれ心得ているのだろう。感情とは自分に利する方に流れる。

 新たな政治勢力というのは大衆の同調心理をうまく誘導できなければ勝てないのだろう。都知事選で緑のものをもってきて、と訴えた小池百合子に何か知らぬが都民の多くは同調していった。
 オリンピック開催となれば、万歳、万歳と声に出し、手を振り上げる人もいる。オリンピックなどするような余裕はない。公共工事はこれ以上要らない、と思うが、反対意見を言うことはたいへんな同調圧力に文句を言うことであるから大変なことだ。

 日本人は稲作りを主としていたから、農村共同体で、みなに合わせることを大事とする心情を醸成させたように思う。石器をもって仲間で象に立ち向かう人間は集団の力を知るようになった。このことは逆に、集団を乱せば収穫に影響することもあるから、乱す者を排除することもあっただろうから、これはたいへんな個人へのプレッシャーであったろう。石器時代というのは仲間からの排除できる武器を獲得した時代でもあった。
 集団を維持する無意識的な行動が大宰府天満宮詣でになるのかもしれないと思うのだ。
 こういうことを考えると、日本からすごいイノベーションを起こすのは難しい気もするのである。
 
 

日曜日

2019年04月07日 | 日記
 金魚の水槽の水替えをすると一浴槽で1時間15分かかる。温かくなってきたので、昨日と今日、2浴槽の水替えをした。それと苔取りなどの掃除である。
 1つの水槽に4匹。白鵬グループと稀勢の里のグループに分けて、四股名をつけていたが、稀勢の里が引退してしまったのなんとなく変な感じで眺めている。8匹とも大きくなった。網で掬い一時鉢に避難させておおく。このとき手先に網の中の金魚たちのずっしりした重さがわかる。2年半ほどの間のことだ。

 金魚ひとつとっても、コメリには専門の棚がある。様々な餌はもちろんのことカルキ抜き剤、苔防止、卵を産ませる人工藻、水槽に置く隠れ宿みたいなもの、水槽に酸素を送るものやヒーターまでもある。病気のための薬さえある。金魚は生きていくために絶対に必要な物ではないが、ささやかな癒し系の楽しみでもあり、観賞にも耐え得る。
 今年の夏はは孫娘が川魚のこどもを50匹取ってくれるというので、曽根の池に放し飼いしようと思っている。もう少し大きくなれば、何のこどもかわかるようになるだろう。この孫娘は根気よく小さな昔つかった金魚掬いのようなサイズのもので、じっと魚が入ってくるのを待ち、うまく掬うようになっていた。今年の50匹はクリアするだろう。
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サバービコン

2019年04月07日 | 映画
 コーエン兄弟の脚本で、ジョージ・クルーニーが監督をした映画「サバービコン」を観た。変んな映画だった。郊外の住宅地変だった。1950年代のあるアメリカの郊外。そこである白人一家が強盗に押し入られ、妻が殺される。同時期にある黒人一家がこの町に引っ越してくる。
 次の場面予想を「あっ」という間に裏切られ、驚くばかり。結局、白人は黒人の家の前で徒党を組み、黒人一貫を追い出そうとする。妻を殺された白人の一家もメタクタで、殺された夫が妻殺人を依頼している。妻と双子の女とできているのだ。子供はみんな知っている。
 昔、怒り狂う主婦「シリアルママ」を観たことがある。アメリカの白人住宅地もすっかり変わったのかも知れない。画像のタッチが似ている。失笑を誘う手法も同じである。白人の愚かさにフォーカスした面白い映画だった。

 こんな映画を観たあと、白人たちが分断していると思う。ビル・ゲイツのような成功者以下上流層にいるものと、ラストベルトにいて、製造業の仕事を失い、白人プライドを取り戻したい層で、移民を排除してもらいたい人々。やがてアメリカは白人の数が過半数を割っていくことになる。トランプ大統領が再選されたとしても人口の流れは白人が少数になっていくのである。
 アメリカ合衆国が3つほどの国に分かれるかもしれない、という言葉も耳にするようになっている。
 大衆としての白人もメチャクチャ。家庭人としてに白人もメチャクチャというこの映画はジョージ・クルーニーという白人が作っているのだから、白人に向かって何か言いたいのだろう。世界は民俗資料館独立化と同時に、人種の混合化、融合化が進み、共生化が進んでいる。
 人口18000人の尾鷲市のマクドナルド店には、行けば毎回少なくとも4人の外国人がいる。

恥じ

2019年04月06日 | 社会・経済・政治
 技能実習生という枠で外国人労働者を日本で働かせる制度は即刻やり直しの体制を整えた方がよいと思う。これは一種の奴隷制のようなものだ。将来日本を恨む人が増えるかもしれない。名テレ「正義の味方」ではこのことを話し合っていた。
 
 僕にも外国人労働者のビザ取得の問題で、「奇妙な実態」をみたことがある。
 大阪にレストランを作った時、バリのうちのスタッフを日本で働いてもらうことにした。コックには在留許可証も労働ビザも発行されるのである。
 いろいろな書類が必要になるわけで、その中に航空チケットがある。あるいはコックとしてのキャリア証明書も必要だ。ぼくは代理人を雇わず、自分で手続きをした。
 ビザを発行してくれるのかわからないから、飛行機チケットが買えない。チケットがないと書類不揃いになる。
 入国管理局の天下り団体「国際経済交流協会」のようなものがあり、そこの会員になればビザの発行日も飛行機チケットの購入日の目安も教えてくれる。そんなことは全く知らなかった。ただ正規に手続きしただけだった。
 正規の入国管理局ではそんなことはしてくれない。ぼくは結局粘って、時間的な余裕も考えて管理局の課長を待ち伏せまでして、法律に準じて早急に進めてもらうようお願いしたことがある。管理局事務所で、大きな声を出したこともある。キャリアにパーティーシェフと書いていたのをこれはシェフではない、とイチャモンをつけられたこともあった。シェフとパーティーシェフがどう違うのか自分らで調べてみろよ、と言いたかったが、こちらで区別の説明を準備し、むしろパーティーシェフの方がキャリアとしては経験が高い、ということで説得した。
 この時、官僚というのは巧妙に、合法的に組織を作り、本筋から外れた場合の受け入れ先を作っていることを知った。これは賄賂ではないのだ。
 バリ島でちょっとした賄賂はあった。ミルク代の足しになるくらいのものだ。日本とて昔はあったのだろうが、賄賂そのものを高度に合法化したのが日本である。

 話を戻すが、技能実習生制度は早く止める方がよい、
恥ずかしいほどのこの制度の目的が美辞麗句で書かれている。ベトナムにお互いの国の研修中施設を作り、仲介ブローカーもなんらかの形で国が関わり、管理ができるものでなければならない。
 技術も教えず、原発の汚染作業をさせられたり、穴掘りをさせられるだけでどんな技能がつくというのか。
 現実の下層で生きる人々のことを今の政権はわからないのだと思う。ぼくはこれは「恥」だと思う。

遅すぎ感

2019年04月05日 | 社会・経済・政治
 弁当をもって桜見物に出かけた。空は薄く曇ったところと、青く澄んだところがある。玄工山の桜は昔より勢いを失っているが、今年できる限り咲いたという感じである。上り坂を歩いていく。すぐに脚の筋肉が突っ張ってくるので、そろそろと歩いた。全くトボトボのじいさんである。細君はさっさと歩いていく。参ったな、これは。これからずっとこんなことではだめだ。
 広場のようなところがあってベンチもある。これは田舎に住む者の特権である。都会なら、この昼休み人でごったがえすことだろう。

 玄工山の前に中電のどでかいタンクがある。そばにドラム缶が20本ほど置いてある。タンクのなかに一体何千本、何万本のドラム缶が入るやら。そんな巨大タンクが玄工山から5つは見える。
3年のうちに解体するらしい。そのあとには、焼却場やら、バイオマス発電所や、釣り公園ができるらしい。三田火力発電所の解体工事で3年。次からの建設工事で数年。尾鷲では数年関係者は民宿なども含めて工事労働者による消費も少々はあるだろうから、尾鷲市はこの工事でよしと思わず、その間に何か手を打つ必要があるだろう免許証を返上すれば尾鷲に住むものはおしまいであるから、これは急務の策をたてないといけない。
 韓国の会社とアメリカの会社が5Gをスタートさせた。これが自動運転に活かされるなら、尾鷲市内で客をピックアップし、降ろしながら、10分や15分に一度は通りを通るようになるだろうか。どうもならないような気がする。それより一人乗りのドローンが開発されるかもしれない。いや老人には免許がでないだろうとも思うし、どうやら通信が5Gになろうとも、過疎地の村や町では、都市計画のやり直しでもしない限り、どうしようもないように思える。これもまた「遅すぎ感」がする。
 
 

 

ドイツのこと

2019年04月03日 | 社会・経済・政治
  シェアエコノミーには車や自転車、家だけでなく、スウェーデンでは労働時間のシェアにも及んでいる。
 日本ではシェアリングはまだ進んでいないが、これは一種のデフレの現象であるとも言える
スウェーデンではデフレというより分かち合うという価値観が道具だけでなく、時間までにも及んできているのだろう。
 タクシーも分乗が解禁となった。ついでに白ミニバスも解禁してほしいものだ。既得権益団体に切り込んでほしいものだ。

 新聞の書籍広告欄に、「年収290万円で楽に暮らせるドイツ」という本があった。
 読んでいないから想像になるが、楽に暮らせるということは、教育費と老後費がかからないのだろう。そこのところは安心できるのだ。ドイツ人の外食をしない習慣は東アジアの人々と違うということもあるのかも知れない。
 会社では部下に残業させる上司ほどできない上司となる。
 先進国としてよく話題にのぼるドイツやベネルクス三国や北欧三国。日本はこのような国を範にして、良い国作りが1970年代まではできるはずだった。
 しかし今や、借金が多すぎて何事もできない国、老後も心配な国になってしまった。特別なカンフル剤などいうものはない。
 



過去のブログをコピペ

2019年04月03日 | 日記
2005年の4月からブログを始めた。Yaplog というブログだった。。それが2015年に調子が悪くなった。ウイルスが入ったのかいたずらコメントが膨大に来るようになった。それでブログを Goo に引っ越した。

 毎日 ヤプログで書いたものをコピペしている。一日一時間ほどする。今日で2007年が終わり、明日から2008年である。2015年まではまだまだ遠い。

 2005年から2007年のものをコピペしていると、まずは、立ち直るためになんだかだとやっていた時期でバリ島に通い、爆弾テロで店は休まざるをえなくなり、「田舎暮らし支援サイト」を立ち上げ、身体や力の伝え方の理論を考え、体験したり、研究したり、ようやくにぼくのエステ理論が完成に向かう頃である。別にエステが好きだったわけではなく、BBTの事務所、雑貨屋、グランブルーレストラン、エステ・デエ・マッサがレギャンにあり、そこが2度の爆弾テロによって、閉鎖を余儀なくされ、サヌールに引っ越したのはエステ部門だけであった。エステサロンでは飯も食えないので、僕は学校にしたのだった。すると教科書が必要で、しかも自分の性格がら、付加価値の高いテキストにしたく、どこでも習えない、優れたものにしたかった。
 僕はもう引退したが、卒業生は二百人ほどいた。今でもみなさん店をやっているようだ。

 ゴールデンキャンドル、ラテン語名 カシア・アラタ  日本ではハネセンナというマメ科の葉を採集して、洗って煎って、日本に運び、エステの商社に卸すこともした。便秘茶としてである。真似がでるまでは注文の量も多かった。おかげで、これでしのげたと思う。そういう時期だった。名古屋港によく荷物を受け取りに行ったものだ。

 日本は一度失敗した者には制度的に立ち直りを許さないところがある。まず銀行は相手にしてくれない。クレジット会社でもそうだ。この点が起業しにくい国柄となり、30年停滞している原因のひとつでもあると思う。このことはいつも思っていることだ。

 ヤプログだけで相当な量がある。二段組の本にしたとすると、2005年から2007年まで200ページほどの本になる量だ。一日一日の文は短いものの、貯まればすごいものだ。 

令日

2019年04月02日 | 日記
 1日、2日とやけに冷たい空気で桜も身をすくめているようだ。4月はこんなに冷えただろうか。思い出せない。今年の花粉はどうも強烈のようだ。外へでるのも億劫になる。

 ヒラメ釣りを前に録画しておいたので、それをのんびりと観ることにした。細君は娘たちを津駅まで送っていき、ぼくは母親急な電話に備える。
 房総半島には2月になるとイワシがやってきて、イワシを追って寒ヒラメが大原沖に入って来るらしい。寒ヒラメはキロ5000円はするそうだ。餌はイワシである。親バリと孫バリでひっかける。ヒラメの血抜き、捌きかたも紹介してくれる。3kg級を釣っていた。羨む限りである。

 続いて、石垣島でのリーフ(珊瑚礁)フィッシングを観た。沖縄に行くと魚があんまり美味しいと思ったことがないが、「ミーバイ」という魚メニューはよく見た。ミーバイとは何か知ることができるだろうと、楽しみにして観た。釣り人が釣った魚は全部メモしておくことにした。ルアーで釣るのである。以下釣った魚である。タマン、イソフエフキ、イシガキハタ(イシミーバイ)、シロブチハタ(ハヤーミーバイ)、バラハタ(ナカジューミーバイ)、スジアラ(アカジンミーバイ)、クロハタ(ジャコクェーミーバイ)、オジロバラハタ(ナガジューミーバイ) 要するにミーバイとはハタのことなのではないか。カサゴよりは味が落ちる。南の海の魚だから脂はないだろう。
 アマチュアの釣りもすごいもんだ。最後は沖縄三大高級魚といわれるスジアラという、これもハタ系の魚を釣った。60cmのサイズだった。ミーバイはバーベキューで食べたら美味しいのかも知れない。薄造りもいいのかも知れない。
 沖縄にいくと食べる物に困った。何度も行っているうちにだんだんと美味しいものもみつけ始めた。海ブドウ、島ラッキョウがあり、11月になると美味しい巻き貝が出てくる。この貝は尾鷲にはいないが、引本や矢口にはいる。身の崎に刀のような爪がある。名前を忘れてしまった。4、5年前ブログ出てくるはずだ。
 案の定母親から電話がきて、母の不安を解消し、すでに5時を過ぎたもで、食べる物を持っていった。確か朝、薬をテーブルに置いたはずだったが、それがない。すでに飲んでしまったのか、ぼくが本当は置き忘れたのか、判然としない。こういうとき、自分の記憶力も当てにならないな、と思う。
 まっ、令日ではあった。
 

成長の階段を駆け上る

2019年04月02日 | 日記
テレビは新しい元号「令和」のことばかりである。それを思うとテレビやラジオのない時代にはふつうの人は元号など知らずに生きていたのかもしれない。借用書を書いたりするときには日付が必要だったはずだから、そういうときには顔を見せるのだろう。まあ、とにかく現在ほど騒がなかったことだろう。だいたい何にしてもテレビが騒ぎすぎるのである。何においてもそうであるが、肝腎なことには忖度しているように見える。
 今日は娘と二人の孫たちが東京に帰る日で、ようやく喧噪も終わる。明日からまた静かな夫婦二人の生活に戻る。
 長女の7歳の子は一月のときよりずいぶんと成長しているように見える。三歳下の弟は何事においても姉から習えるので相当得しているように見える。ちょうど自分がそうだった。三歳上の姉がいたから足し算や引き算でも、九九でも、漢字でも、姉が習うときに習っていたのだと思う。おそらくなんにも勉強しなくても小学3年生や4年生まではやっていけたはずだ。

 下の弟のほうはとにかく「車、電車」に詳しい。車に乗せて走っているとほとんどの車の名前とメーカーがわかり、特別な車もわかる。電車も同じだ。もう二つ得意がある。県の形をみるだけで県名がわかるのと、世界の国旗を見て国名が言えることだ。
 子供の頭はどうなっているのか。とにかく記憶の力は凄まじいのだろう。
 上の子は小学2年生になる。早生まれなので、どうなることかと思ったがだんだんと追い付いていくものだ。下の弟は幼稚園に入る。集団の中で鍛えられることが始まる。
 息子の娘はようやく小学一年生である。この子は早くから保育園に通っていたので、「ようやく」という副詞がついてしまう。成長の階段を駆け上っていくわけだ。
困難に直面することはわかっている。その耐え方、突破のしかたをいつか言っておきたい。
 この令日にヒノキ花粉が大量に飛び散って鼻がむず痒い。山林主に腹立たしい思いがする。