1527 2006年に、もう死んでしまうのかもしれないと、何度も、覚悟させられた症状で、苦しみぬき、もがき、原因も分からず、インドネシア、日本の多くの病院に、何度も駆け込んだ。その間、どこの病院の、どの医者も、私の症状から、病名を特定できなくて、ただただ、あなたの数値はすべて正常です、と、言っただけだった。決死に覚悟で日本に戻った時には、本当に、自分が生きていたのが、不思議に思うくらいに、途中、いくつかの施設に駆け込みながら、やっと、家に、たどり着いた。
その状態で、県立静岡病院へ行って、総合診療科でパニック障害ですと、指摘され、薬を処方され、その翌日には、信じられないくらい、症状が、消えてしまった。
あれから、7年過ぎた。そして、前回も、そうだったが、今回は1年半ぶりくらいに担当医だった袴田先生を訪ねるのが主な目的で病院へ行ってみた。
久しぶりでございます、その節は、大変ありがとうございました。お陰さまで、今でもインドネシアで技術指導をすることが、出来る状態になっています。から始まって、逆に、インドネシアの医療に関してや日本ではあまり接することができない病気や動物関連のウイルス、バクテリアなどの現状について聞かれた。先生もインドネシアのある病院から、招かれているそうで、申請をしているが、病院から許可が出ないので、なかなか行けないと、不満を漏らしていた。そんな世間話をしながら10分ほど過ぎたところで、今までは三カ月分もらっていた薬を一カ月分にして処方してもらった。今は、ほとんど薬を飲んでいない。手元に置いておきたいだけである。
最後に、こんな状態でいいですから、また、日本に来た時には、寄って下さいと言われながら、失礼をした。いわば、命の恩人の様な方との出会いですから、また、いつか、訪ねる日があるでしょう。あの時は本当に死ぬことを覚悟した。
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帰る途中の駿府公園の桜は満開でした。
自動体重身長測定機、待っている間、何人かが乗った、私はそれを眺めていた、載るところに足形が書いてあってこちら向きに立つようになっているが、向こうむきに乗る人が多かった。体重計だと思っているのでしょう、乗ると、頭の上に押さえ器具が、するすると降りてきて、頭にこつんと当たる。全員がちょっと驚く。まったく、予期していないのです。直ぐに測定が終わり、傍にある小さなプリンターからデータが出てくる。それを持たずに行ってしまって、また戻ってくる人も何人かいた。観察していると暇つぶしになる。
薬局の飲料水サーバーというかディスペンサー、供給機、コーヒーや煎茶など何種類かボタンを選べる、また、熱めか温めか、濃いか薄いかなどをセッティングできるすぐれものの様子、ただ、面白いことに、出てくる液体を受け取る場所にコップがない、装置の脇に紙コップを取りだす場所があってそこのボタンを押すと、一つのコップが出てくる、それを置いてから、ボタンを押すのが手順位なっている。眺めていると、たいがいの人は。そこにコップがないが、ボタンを押せば、まず、コップがどこからか出てきて置かれ、それから液体が注がれると思っている。だから、いきなりボタンを押す、当然、その液体は、下に消えて仕舞う。それから、コップがどこにあるか探す。コップが置かれていないのは分かっていて、ちょっとだけコップにあり場を探すが、コップが見えないので、直ぐに自動でコップが出てくると思ってしまうのです。自動ならコップも自動で出て切ると思うのです。事実、そこまで児童のディスペンサーもあることはあるのですから。コップが無いところに、出てきてしまう飲み物を見て、あっけにとられ、周囲を見渡す人の表情は面白い。
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