南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆Surgaから帰り

2013-03-13 23:07:14 | 体験

 1517 9時に出発、16時に家に着いた。途中、ポンパベンシンに寄って、給油とトイレとブログの送信をした。ロスは30分でした。順調に近かった。

 パンガンダランは、すでに乾季に入ったようだ。ヌサカンバンガンで泳いだり、戻る途中、バトゥ ラヤン付近で、素潜りに挑戦、などで、肌を出す機会が多かったので、見事に日焼けをしてしまった。背中や肩がピリピリ、痛くて、気になる。

 

出発前にウミさんのレストランに寄って、挨拶をすませたところで、一人の女性が近づいてきて、エビのてんぷらを買って下さい、と、日本語で言ってきた。あなたは日本人でしょ、韓国人には見えない、と、付け加えた。びっくり、日本語がこんなに上手な人がパンガンダランにいるとは全く情報が入っていなかった。15年以上通って、初めて、日本語をまともに話せる人に会った。

 聞きもしないのに、身の上話の様なものをし始めた。急ぐので、ごめんなさい、と言いながら、Oishi dan freshと書かれた試食用パックから、摘まんで、食べてみた。美味しいとは言えない。しかし、四パックを2万Rpで買ってやった、ハイ、さようなら、と言いかけたら、横から、今度はイカンアシンの干物を買わないかと他の女性が寄ってきた。私の本命はそれだった。それを買いながら、No,HPを教えて、ということになって、お互いのNO,HPを交換して、またいつか、会えるといいですねと、言って、別れた。

 見かけは、理知的、何故、こんなところで、観光客の間を回って、自分で作ったという、小エビのてんぷらなど売っているのでしょうか、似合わない感じがした。チカラン辺りへ出てくれば、日系企業に勤められそうなのに。私が次に行くのは何時になるかわからないが、話を聞いてみたい気もある。SMSで、英語で一通りの挨拶の後にフェースブックのアドを書いてあった。

 

今朝のサンライズ、三日目にして初めて、まともだった。しかし、寝坊して、日の出に間に合わなかった。がっくり、15分ほど遅かった。

 

8時ごろの西海岸、ヒンドゥーの新年、ニュピで祭日、ナショナルホリデーだが、土曜日に比べると半分ほどの人出だった。

 

帰る途中の土産物やだが、手造り雑貨屋、おもちゃ屋という感じ。昔懐かしい、シュロの箒もつるしてあった。子供頃、荒物屋だったので、売っていて知っていた。今の若い人はシュロやジュートなどと言っても知らないでしょうね。

分厚くて高級感があった。座敷を掃く箒だった。それに比べると、今のインドネシアの箒は薄くてへなへな、つるして売っているのは、当然だ。薄っぺらの上に、インドネシアでは、柄の先端に紐で輪っかを作って箒を吊るして置く習慣がない。立てかけて置くだけだから、へたってしまって、穂先では掃けないようになってしまっている。安物中の安物という感じ。何故、こんな箒しか思いつかないのか、不具合があるのは誰もがわかっているはずだから、改善しようとする人もいていいはずだが、いないらしい。子供の頃のシュロの箒は値段が高く高級箒という印象だった。それでも日本への土産にとして二本、」手に入れた。

危惧 無事 帰還

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする