高野山に初春の一日出かけたのである。
ここでは「弘法大師空海」が生き続けているのである。
金剛峯寺が空海の終焉の地であるけれど、空海の場合は死去したとは言わない。
「入定(にゅうじょう)」というのである。
従って、高野山金剛峯寺は弘法大師空海の入定の地なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a7/a094bc926c4f13a8aafbf1a99e47daeb.jpg)
山門である。
阿吽像が左右に鎮座ましましている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/50/0a03e2821070c3ba16c08c93be5a57d4.jpg)
阿像である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1b/b5c906be1f512954c2ab39a182d5d8e9.jpg)
吽像である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/64/e4c483c8d8d517daff3e6101b6d84c4c.jpg)
阿吽に見つめられた後、参道を行くのである。
結界に守られている霊域であって、空気すら霊験新(あらた)かなのだ。
スギやコウヤマキなどの高野六木によって、豊かで深い森林が容(かたち)作られている。
高野山では古くからヒノキ・スギ・モミ・ツガ・アカマツ・コウヤマキの六種の樹木を「高野六木(こうやろくぼく)」と呼んで重視してきたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/29/17eee90d25aaa49ff081c6b1fa720d92.jpg)
参道の沿道は約2キロ。
皇室から戦国武将、あるいは庶民までの幅広い層の墳墓が立ち並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/0d/5854dd69ed40dc4ea66e281fea8ff592.jpg)
この先に奥の院があって、そこに弘法大師空海が生きておられる。
毎朝、毎晩、一年365日、空海の食事が僧侶によって運ばれていのである。
空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)のことであり、空海が若い時に修行したことのあるこの山に真言密教の道場を設立することを天皇に願い出たというのが史実とされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fa/5cfe2130d4be6edece0ca38049603005.jpg)
この橋の先が奥の院である。
この先で空海大師が瞑想を続けているのである。
高野山は比叡山と並ぶ日本仏教の聖地である。
心が洗われ、敬虔な気持ちに立ちかえられる地である。
もっと暖かくなったら再訪しようと思っているのである。
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荒野人
ここでは「弘法大師空海」が生き続けているのである。
金剛峯寺が空海の終焉の地であるけれど、空海の場合は死去したとは言わない。
「入定(にゅうじょう)」というのである。
従って、高野山金剛峯寺は弘法大師空海の入定の地なのである。
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山門である。
阿吽像が左右に鎮座ましましている。
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阿像である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1b/b5c906be1f512954c2ab39a182d5d8e9.jpg)
吽像である。
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阿吽に見つめられた後、参道を行くのである。
結界に守られている霊域であって、空気すら霊験新(あらた)かなのだ。
スギやコウヤマキなどの高野六木によって、豊かで深い森林が容(かたち)作られている。
高野山では古くからヒノキ・スギ・モミ・ツガ・アカマツ・コウヤマキの六種の樹木を「高野六木(こうやろくぼく)」と呼んで重視してきたのである。
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参道の沿道は約2キロ。
皇室から戦国武将、あるいは庶民までの幅広い層の墳墓が立ち並んでいる。
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この先に奥の院があって、そこに弘法大師空海が生きておられる。
毎朝、毎晩、一年365日、空海の食事が僧侶によって運ばれていのである。
空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは弘仁7年(816年)のことであり、空海が若い時に修行したことのあるこの山に真言密教の道場を設立することを天皇に願い出たというのが史実とされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fa/5cfe2130d4be6edece0ca38049603005.jpg)
この橋の先が奥の院である。
この先で空海大師が瞑想を続けているのである。
高野山は比叡山と並ぶ日本仏教の聖地である。
心が洗われ、敬虔な気持ちに立ちかえられる地である。
もっと暖かくなったら再訪しようと思っているのである。
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