エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

再び高野山へ参内する

2010年03月09日 | 旅行
高野山は霊場であって、そこに分け入るのには、厳粛にして敬虔なしかも穏やかな人間性こそが求められるのである。

少なくともぼくはそう思うのである。

ここには空海大師が瞑想をする奥の院があるのである。
即身仏となって、森羅万象を見定めているのである。

山門から分け入り、参道のほとんどアプローチの初めに「親鸞聖人」の墓所がある。



ここである。
この階段が、墓への参道である。
この場所は、墓地内でもなく参道に設(しつら)えられている墓所である。



ここは冬でも高野六木が茂っている。
この先に、雪で裂けた杉の巨木があった。



夫婦杉である。
巨木が二本繋(つな)がっている。



名家の墓所がいたるところにある。
ここには太閤秀吉・・・豊臣秀吉も眠っているのである。



懐(ふところ)の深さが感じられるのである。
広大な土地も年月を重ねて狭小になってきたのであろう。



かつては通路だったと思われる場所にすら墓所がある。
高野山への信仰と、深い思慕の象徴のような景色である。

雪が溶け、これから山には春が訪れるのである。




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                      荒野人