エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春は連翹(れんぎょう)とともに

2010年03月28日 | 日記
春は満開の桜花とともに訪れるけれど、実は黄色い連翹(れんぎょう)の花こそが春を連れてくると言いたい。



連翹の黄色が目に沁みるようになってくると、穏やかに空気が熟成してくるのである。
それは春の気配であり、春の風景のたおやかさでもある。



お隣の国「韓国」のソウルは、ハンガン沿いにこの連翹が咲き誇ると春が来るのである。
インチョン空港から海岸沿いを走り、やがて漢江(ハンガン}に沿ってソウルに向かうと、川沿いに黄色い連翹の花が咲き誇る。

美しい川沿いの道路である。
ソウルのこの季節が、ぼくは大好きである。



菜の花の色とも違い、一つ一つの花がシャープである。
それが連翹の特徴でもある。

日本列島を連翹が染める頃、ぼくは春の「あけぼの」を楽しみたくなる。





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                荒野人

歩道沿いのマンサクの植え込み

2010年03月28日 | 日記
最近目につく植え込みの樹木に、ピンクの花がある。
その花は、新築マンションの玄関脇にもさりげなく植えられている。

「ベニバナトキワマンサク」である。
マンサクの花は山野では、真っ先に咲いて春の訪れを告げるのである。



紅い線のような花弁が風に揺れている。
楚々とした花である。



白い花は「トキワマンサク」としか言われない。
素っ気無くいわれるだけであるけれど、形と言い色と言い存在感はある。



白であれ、紅であれマンサクはマンサクである。
この木は小さいけれど、年月を経ると結構大きい木に変身・成長する。

この写真を撮った日、桜の樹は花が咲き初め風に揺れていた。



古びた廃屋の、薄汚れた壁や瓦に開いたばかりの桜花が映える。
こうした佇(たたず)まいが日本である。

この桜の樹のそばに、古い道標がひっそりと残っている。



庚申塔である。
この庚申塔は、江戸時代に設置されたものである。
川越街道沿いに立ち尽くしている。



刻字された年代は「文政」とある。
江戸時代の文化・文政年間の石である。

苔むした時代であるけれど、目を瞑(つむ)ると人々の往来の姿が浮かんでくる。




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