エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

平林寺の紅葉に捧ぐ

2010年11月25日 | ポエム
埼玉県の新座市、名刹・平林寺は色とりどりの楓が鮮やかに紅葉している。




        染まる秋


      茜色に染まっていく空を見上げながら
      ぼくは
      泣いたのだった

      深い秋は
      人を感傷の世界に引きずりこみ
      そのまま
      打ちのめしてしまうのだ

      秋の夕暮れが
      閉められた裏木戸を開くとき
      きみの香りが色濃く立ちあがる
      甘く切なく
      味蕾への刺激が立ち上がるのだ

      染まりゆく秋の大気の中で
      ぼくは
      その寂寥に耐えきれずに泣いたのだった

      楓がカエデであって
      銀杏がイテフであるような
      自然な言葉の流れにぼくは
      耽溺した

      染まりゆく秋のただ中に
      ぼくは
      すべてを投影した
      投影したその実在的な光と影に
      秋が夕暮れを迎えた
      のだった





池に映った紅葉の深さが沁みてくる。

通り抜けのような紅葉の道。
見事である。



この週末が最後の見ごろであろうか。





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                     荒野人

群馬の秋に耽る・・・かみつけは今

2010年11月25日 | ドライブ
前橋から高崎に向けて車を走らせたのである。
いわゆる「かみつけ」の国である。



天高く、あくまでも澄んだ空が広がっているのである。



気分のせいか落ち葉も美しい色彩で迫ってくる。
久しぶりの遠出である。

遠足気分で出かけたのであった。



土屋文明という歌人を輩出した街で出会った坪庭である。
赤いのはドウダンツツジの葉である。



空ばかり写真にしていたのだ。
広い空は良いものである。



花梨が実を付けていて、そのまろやかさが良い。
「マルメロ」という品種である。

実の肌触りはしっとりしている。
香りは強く、玄関に置いておくと狭い我が家全体に香りが届くのである。



赤の鮮やかさは空気の清浄さを示しているかのようである。



六地蔵が立っていて秋の陽射しを浴びていたのである。
これから寒くなる「かみつけ」。

風邪など召しませぬように、と思わずにいられない。



深く、かつグラデーションの流れるような色彩に魅せられた。



      空
      高い
      結界
      色合
      気分
      清浄
      雲

そんな言葉が想起されたのであった。




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