エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

網膜の記憶

2011年04月15日 | ポエム
今日は満開の桜花が盛大に舞った。
満開に加えて風が強かったのである。

桜吹雪である。



一陣の風・・・舞う桜花。
日本画の一齣である。



今日は緑も見事であった。
この良き季節、記憶に留めておかなければと思う。

あと、何度網膜に映せるのだろうか。
丁寧に押し戴くように気候の引き出しに入れておこうと思っているのである。






網膜の記憶


網膜に映ったきみの顔が
深く刻まれてしまった
網膜のその裏側にこそ真実があると
きみは言った

ぼくにとって
その言葉は重いのだ
真実の事象こそが
テーゼであって
だがしかし
それを止揚する能力に欠ける
ぼくがいる

きみの環境が輪廻であるからと言って
その連関を断ち切れないのだ

転生する何億光年かをきみは待てというのか

ぼくの悲しみはそれほどの時間を待てない

ぼくに残された時間は
ほとんど刹那に近いのであって
退化し老化する時間の短さには
底抗しきれないのだ
流され落とされ振り回され
やがて疲弊した精神に占め尽くされてしまう
慰めは
いらない
ただきみが必要なのだ
おそらくぼくは
彼岸の彼方まできみを迎えにいくだろう
その岸辺は時間が止まると
誰かが言った
それは寓話であったのかもしれないが
真実の欠片がキラッと光って
ぼくの中に入り込んでいる
彼岸は遠いけれど
時間が止まってしまえば
なんの苦痛もない

きみという網膜の記憶が薄れることもなく
風化する事もなく
何億光年の彼方を
ぼくは目指そうと思う

幾万の事象を乗り越え
幾億の支障を払いつつ
ぼくは必ずきみに到達する
歴史がそれを語り始めているのだから

一つに幹から枝分かれした
ぼくらの時代
違う枝に迷い込んだら
許してくれないか
その枝から進化して
必ずきみの枝に繋がっていく
それが必然なのだから

網膜が恐ろしく清らかになって
一点の曇りすら拒絶したとしたら
忠実な画像を
きっと結ぶだろう
そこは新たなる地平
新たなる次元
新たなる交配
新たなる接触
そして新たなる訣別
新たなる旅路が広がっていくのだ

刹那の会合におののくことは
無駄な行為である
無益な行為である
その刹那に生きよ

網膜の退化を拒絶せよ
きみが確かに像を結ぶまでの
刹那






桜吹雪の中を行く自転車の子供。
晴れ晴れとした顔である。



網膜に記憶がある。
そうだとしたら、カンダタではなく、天国で蘇らせたいものである。



ぼくには蜘蛛の糸は不要だ。
必要なのは、痺れるようなベーゼである。

そう、ベーゼによって、君を見極められるからである。






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