エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

天気晴朗と云えども

2012年06月21日 | ポエム
天気晴朗と云えど波高し、なのである。
過去数回に亘って政治に関するコメントを残した。



今日は、コメントではなくぼく自身の思いを吐露しようと思うのである。
そうは言っても、そんなに膨大な情報を以て、かつ科学的に分析したものではないので簡単である。







 政党政治への弔句


 「時代過ぐパトスの在処青時雨」
    じだいすぐ
     パトスのありか
      あおしぐれ


 「繰言も戯言も云う木下闇」
    くりごとも
     ざれごともいう
      こしたやみ


 「過ぎたるも及ばざるも無し枇杷熟るる」
    すぎたるも
     およばざるもなし
      びわうるる







「今の政治の貧困は、ぼくの政治意識の程度であって、政治家たちを無碍に批判できない!」
といった思いである。
他者的な、かつ無責任な思いなのかもしれない。

だがしかし、中東や欧州の混乱、それも政治的・経済的混乱を見ていると日本の現状もまた同根なのだと知る。
それが辛い。

団塊の世代が生きて来た20世紀後半から21世紀のこの初頭まで、ぼくたちはどれだけ挫折を味わえばよいというのだ。

戦後の食糧難の時代に生まれ育ったぼくたちの時代。
だがしかし、きっとぼくたちの親には夢も希望もあったに違いない。
小学生の時、先生に引率されて日曜日に出かけた「愛宕山」の頂上。
先生に頂いたその時の集合写真の裏に「ほんとうはもっと立派ですが、貧しくて」とペンで書かれていた。



時代閉塞を打ち破るべく立ちあがった学生時代。
自由に憧れた子育ての時代。
バブルと言われた好況の時代を作り上げた努力。
文化すら新たに作り上げて来た自信に満ちた時代。

今、それらのことごとくが否定されつつあると感じるのだ。



保守党の一党支配にピリオドをうって、今の政権を誕生させたときの期待。
そのパトス。
あの時の熱狂!



イズムに生きた時代は既にもう過去だというのか。
そう、過去である。

今国会の与野党の駆け引きを見ていると「政治ごっこ」にしか見えてこない。
国民の期待は、彼らの議席には関係ないとでも言う様である。
民主もだめ、自民もだめ。
では責任をもって、日本を導くのは誰なのだろう。

いま、あのオウムの信者が確実に増えつつあるという。
カルトに希望を見出さざるを得ない現状が、ぼくたちの前に大河となって流れてでもいると言うのか!

自民党も公明党も、天に向かって唾を吐いている。
民主党は顔を背け、舌をペロッと出している。
乱立している小政党は、我田引水の主張に終始している。

嗚呼!
今改めて痛みをもって時代閉塞を生きているぼくたちである。

今日の夕焼けは凄かった。
この夕焼けを仰ぎ見ながら、政治はすべきではない妥協に向かっているのである。
唾棄すべきは・・・誰に向かってだろうか。






にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へにほんブログ村
  荒 野人