エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

軽井沢の石の教会

2012年07月02日 | ポエム
軽井沢の石の教会について語ろうと思う。
実に静謐な時間がゆったりと、まったりと流れているのである。



枕木のアプローチ。



石畳みのアプローチ。
自然との様々な触れ合いが出来る。

林の奥深い場所に、あたかも母の胎内ででもあるかのように在る。
光と影で創られた、美しく穏やかな佇まいである。



かつて林の中の建屋で、こうした感覚に捉われたのは・・・そう八ヶ岳美術館だけであった。



八ヶ岳美術館内部である。
やはり光と影の織りなす静謐であった。







 「万緑の沈黙のまま刻過ぎぬ」


 「先の闇緑滴る石の家」







心臓の鼓動だけが規則正しく耳朶を打つ。
そうした思いが体中を貫いているのである。

不思議な感覚であるのだ。



内村鑑三氏について記録しておきたい。
教会といった仮称の祈りの場を断固として否定した宗教家でありクリスチャンであった。
その意味では、思想家である。
キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして、個人による聖書研究を重視し、教会や典礼といった制度、形式を退ける無教会主義の創始者であるのだ。



この石の教会は、クルスが見える訳でも無く、ただ石の建造物として蹲っている。
その姿は自然で・・・森羅万象と一体化したといった気配である。



石の教会自体が自然であるのだ。
「軽井沢教会」もまた内村鑑三所縁の教会である。
そこは、木の教会とも称されるのである。

祈る時、その場所が教会になる。
内村の思想の根幹は、こう言えるのでは無いだろうか。



奥深い軽井沢である。





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  荒 野人