エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

侘助散華す

2017年02月07日 | ポエム
今日の本題に入る前に、一言。
昨日は、少しばかり情緒に溺れてしまった。
句が、例えようもなく独りよがりとなってしまった。
訪問していただいている皆さんの期待を、大きく裏切ってしまった。
句を下記のように、推敲したところです。

   産土の地に思いを馳せていまこそ帰らんとす
   ふるさとは遠くに置くものではなく
   心の中に仕舞っておくものである
   嗚呼産土の地よ
   故郷と云う原風景よ
   いざ生きめやも久遠の郷愁に

「ふるさとや寂寥といふ淡き春」

ぼくは俳句に前書きを付けるのは、嫌いである。
だからこそ、この句には前書きを付け加えなければならないのだ。
情緒的に詠み上げるのを、前書きで消去しようとするのである。
実に陳腐な手法であるけれど、お許し頂きたいのである。

さて・・・。
侘助を、見ている。
花の例え方は、限りなくある。
そうした花であるのだ。



おちょぼ口、清廉、清楚、侘び、寂び、などなど。
比喩的表現としても、茶室、暗がり、仄灯り、などなどである。

云える事は、紛れも無く楚々としていることである。
自己表現が、誠に慎ましやかである事だ。



この花が、厳しさの中で開くのは何かの啓示でもあろうか。
そうとしか思えないのである。

侘助に少しだけ遅れて、万作が咲く。
その符号を考えているのである。







「侘助や雲の彼方へ散華する」







侘助。
気息が整ふまで、じっと対峙していたい花である。



     荒 野人