エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

歩道沿いのマンサクの植え込み

2010年03月28日 | 日記
最近目につく植え込みの樹木に、ピンクの花がある。
その花は、新築マンションの玄関脇にもさりげなく植えられている。

「ベニバナトキワマンサク」である。
マンサクの花は山野では、真っ先に咲いて春の訪れを告げるのである。



紅い線のような花弁が風に揺れている。
楚々とした花である。



白い花は「トキワマンサク」としか言われない。
素っ気無くいわれるだけであるけれど、形と言い色と言い存在感はある。



白であれ、紅であれマンサクはマンサクである。
この木は小さいけれど、年月を経ると結構大きい木に変身・成長する。

この写真を撮った日、桜の樹は花が咲き初め風に揺れていた。



古びた廃屋の、薄汚れた壁や瓦に開いたばかりの桜花が映える。
こうした佇(たたず)まいが日本である。

この桜の樹のそばに、古い道標がひっそりと残っている。



庚申塔である。
この庚申塔は、江戸時代に設置されたものである。
川越街道沿いに立ち尽くしている。



刻字された年代は「文政」とある。
江戸時代の文化・文政年間の石である。

苔むした時代であるけれど、目を瞑(つむ)ると人々の往来の姿が浮かんでくる。




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                     荒野人

草の花に魅せられる

2010年03月27日 | 日記
かつて良く食べに行った焼肉屋に「草の家」というのがあった。
場所は赤坂。
TBSの直ぐ傍である。

これは脱線。
ボーリングならガーターである。

今、目を凝らすと植え込みや雑草の中に草の花が咲いているのを目撃できる。
楚々として凛と咲いている。



ヒメオドリコソウである。
ピンクの花に、踊り子のスカートのように葉が覆っている。
この草の花は、群生している様が多いのである。



ホトケノザである。
蓮華のような葉の上に、ピンクの花が鎮座している。
この二つの花は、兄弟のように似ている。



花の咲く位置で、どちらがヒメオドリコソウであるのか見分けられる。



歩道の脇にすら咲いている。
どちらも生命力の強い草である。

ピンクつながりで言えば、今ごろが最盛期の草の花はカラスノエンドウである。



我が故郷の山梨県では「シビビー」と言った。
その語源は判然としないけれど、ぼくにとってはシビビーである。

花が終わり、豆が結実する。
その豆が青く丸々と太った時に、摘んで中の青い小さな豆をこそぎ落とす。
それを縦に唇に挟んで吹くと、素朴な音が出るのである。

ビーッと鳴る。
それでシビビーと言ったのかもしれない。
擬音が名前になったのであろうか?

母の綺麗な形の良い唇からその音が出る頃、故郷は夏を迎えるのだった。






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花の終わりに~ミモザを追悼する

2010年03月26日 | 日記




         花の終わりに


      ミモザが終わった
      黄色の鎖のように花を連ねて
      季節を教えてくれた
      あなたの楚々たるたたずまいに
      ぼくは
      涙した
      いま
      ミモザは落花して
      大地を彩っている
      枝に残された
      黄色の花が
      ぼくに教えてくれるのは
      虚しき生への執着であるのか
      樹の上から
      じっと見つめているのは
      輪廻転生の司祭である

      ミモザは
      いま
      静かに終わろうとしている






ミモザが終わった。
黄色のたおやかな花である。

大きな房が垂れ下がって、優雅な肢体でもある。

この季節、一つの花が終わると次ぎの花が盛りを迎える。
その花の循環が嬉しいのが春である。





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ボケの花

2010年03月26日 | 日記
ボケの実は、ゴツゴツした印象であるけれど果実酒にすると際立ってくる。
変に雑味が無く美味いのである。
花梨(カリン)と同属である。
ということは薔薇と同じなのだ!






        ボケの花


    ボケが榊の塀の中で秘めやかに咲いて
    春の日差しに咲いて
    ぼけが咲いて
    しとやかに咲いている

    ぼけが咲くのは
    通年の出来事であって
    別段めずらしくも無く
    ひっそりと咲く技術は優れて
    優れて隠れた技術である

    ボケが咲く日には
    ぼくが
    思考を倒錯させる日であって
    日差しは妖しく煌(きら)めくのである
    倒錯は沈思黙考を招来した

    ボケが榊の塀の中に秘み咲く
    春の日差しに咲く
    ぼけが咲く
    しとやかに咲き続ける






ボケの花は、彩が様々で楽しませてくれる。
これは赤に近い花が着いている。

赤から白までの変化を楽しめるのが今の季節である。



これも赤。



これは橙色。



これは白である。
長い期間咲き続けるのである。

ボケは漢字で書くと「木瓜」である。
花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」「平凡」である。

ぼくは「妖精の輝き」が好きだ。
もともと、木瓜の学名のspeciosa は 美しい、華やかである。

平安時代に帰化した植物である。

妖精が美しく輝き、華やかに舞っている・・・、そんなイマージュが脳裏を掠(かす)めていく。
脆(もろ)いようでいて、堅牢(けんろう)なイマージュである。





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勿忘草に寄せて

2010年03月25日 | 日記
勿忘草・・・わすれな草は紫色の可憐で孤高の花である。
花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで下さい」である。



この花には、悲しいロマンスが語り継がれているのである。

中世ドイツの物語である。

昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまった。
ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んでしまう。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にしたというのである。



美しくも悲しい物語である。

英語圏でも「私を忘れないで!」とこの花を表現する。
「フォーゲットミーノット(Forget-me-not)」である。
「フォーゲットミーノット」がそのものズバリ、花の名前となっているのである。



ぼくはイタリア民謡が好きだ。
マンマ(ママ)、カタリカタリ(つれない心)、そうそうオー・ソレ・ミオ、帰れソレントへなど有名である。

でも、ぼくは「勿忘草」というタイトルのイタリア民謡が好きである。

歌い出しは「Non ti scordar di me ・・・(ノン チ スコルダ イ メ)」である。
ぼくはこの旋律を聞くと、思わず涙が出てくる。


  忘れないで
  過ぎたあの頃を
  夢のような
  二人の思い出


叙情的な美しくも切ない歌である。

日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。



ぼくは最も愛する女性に、この花をブーケにして捧げよう。
そして永遠の愛を誓い、揺るぎなくきみを愛するのだ!
と告白しよう。

ぼくの内なるベルタよ!






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