自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登地震から半年の風景~⑥ 逆境で盛り上がる「あばれ祭」

2024年07月06日 | ⇒ドキュメント回廊

  逆境でこそ盛り上げる、それが能登町宇出津の「あばれ祭(まつり)」の本命なのだろう。キリコを担ぐ人、鉦(かね)と太鼓をたたく人、笛を吹く人、沿道で声援を送る人が一体となった祭りだ。きのう(5日)夜、祭りを見に行った。能登にこれだけ人がいるのかと思ったくらい人でにぎわっていた。

  「イヤサカヤッサイ」の掛け声が、鉦(かね)や太鼓と同調して響き渡る。高さ6㍍ほどのキリコが柱たいまつの火の粉が舞う中を勇ましく練り歩く=写真・上=。数えると、神輿2基とキリコ37基が港湾側の広場に集っている。キリコの担ぎ手は老若男女で衣装もそれぞれ。キリコに乗って鉦と太鼓をたたく人、笛を吹く人には女性も多い=写真・中=。熱気あふれるとはこの事をことを言うのだろうと実感した。

  祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、この地で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより)。

  逆境に立たされれば、立たされるほど闘争心をむき出しにして元気よくキリコを担ぐ、そのような言い伝えのある祭りなのだ。元日の震災で能登町では関連死を含めて28人が亡くなっている。町内外の仮設住宅や親類の家に身を寄せるなどしている住民も多い。そんな中で祭りを実行した。おそらく、担ぎ手の中には宇出津以外からの応援の人たちも大勢いるに違いない。そんなキリコチームが団結して心を一つにして担ぎ上げる祭りの風景なのだ。震災にめげない能登の人々の意地でもある。

  祭りは今夜まで行われ、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。

⇒6日(土)夜・金沢の天気     くもり

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