能登の輪島で一度だけ食べたことがある。サバの刺し身を。サバは「生き腐れ」といわれるように傷み速い。しかし、輪島では釣り上げてから3時間以内なら大丈夫という経験則のようなものがあって、食することを勧められた。軟らかく、あまい赤身。ダイコンおろしにしょう油、一味唐辛子を混ぜた「弁慶しょう油」をちょっと付ける。その味が忘れられず、以来、鯖(さば)好きになった。20年も前の話である。
輪島で教わったサバの食し方3題
さらに同じ輪島でサバのダイナミックな食べ方を教わった。塩サバである。8月下旬、輪島の大祭が恒例だ。祭りが終わり、神輿や奉灯キリコをしまう。その後、直会(なおらい)があり、神饌(しんせん)やお神酒(みき)のお下がり物を参加者が分かち飲食する。このときに、塩漬けされたサバが大皿に乗って出てくる。お神酒を飲みながら、塩で身が硬くなったサバを手でむしって食べる。これがなんとも言えず美味なのだ。残暑の中、塩サバに日本酒を食するので当然、喉が渇く。そこで水の代わりにお下がりのスイカを食べる。冷やしてはないが清涼感があり甘い。するとまた塩サバが食べたくなる。手はサバの脂でベタベタになるが気にせず、むしり取る。そして飲む。またスイカを食べるという繰り返し。
日差しがまだ高い、日中での昼酒である。外に出ると一瞬、白昼夢でも見ているような錯覚に陥ったことを覚えている。
その後、珍しいサバ料理を食べさせてもらった。サバのスキヤキである。輪島塗作家の角偉三郎さんのお宅に招かれたときに出された料理だった。肉ではなく、サバの赤身を入れる。豆腐にも、糸コンニャクにも、ネギにも合う。肉の代用ではなく、れっきとしたサバ料理なのである。
そのサバスキをつつきながら、角氏は夢を語って聞かせてくれた。その後、角氏は話通りに、日展を脱会して、「日常の生活に生かされる器(うつわ)」をめざし、合鹿(ごうろく)椀などの能登に古来からある漆器を発掘して、独自の道を歩む。無骨ながら使いこなされてこそ器である、と。気取らず、朴訥とした風貌だったが、眼光は鋭かった。05年10月に他界。享年65歳だった。
※写真は、セリが始まる前の輪島市漁協の様子
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