自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「見せたくないTV番組」

2006年06月30日 | ⇒メディア時評

 先日、あるテレビ系列のキー局から事業報告書が郵便で届いた。放送業界の動向を理解するために株を持っている。送られてくる事業報告書はいわば株主向けの1年ごとの業績報告だ。それによると昨年度の売上高2493億円、経常利益173億円となっていて、ここ5年間でともに最高ある。この数字で見る限り、すでに株式公開(2000年10月)で得た手元資金でデジタル化を乗り切り、経済循環の好転を受けて巡航速度で母船(キー局)は走り出している、との印象だ。

   今回この話題を取り上げたのは、好調な業績に拍手を送るためではない。ちょっとした問題提起をしたかったからだ。事業報告書の3㌻目にテレビ放送事業という欄があり、レギュラー番組の中から高視聴率の番組が写真付きで紹介されている。少々違和感があったのは、火曜日夜9時の「ロンドンハーツ」である。「平均14%を超える高い視聴率をマークした」との説明がある。が、先月18日付の新聞各紙にはまったく反対の評価が掲載されている。

  その内容は、日本PTA全国協議会が小学5年生と中学2年生の保護者らを対象にした「子どもとメディアに関する意識調査」で、子どもに見せたくないテレビ番組の1位が3年連続で「ロンドンハーツ」、見せたい番組の1位は「1リットルの涙」だった。見せたくない理由は「内容がばかばかしい」「言葉が乱暴である」、と。

  PTAの調査内容をもう少し細かく紹介すると、「ロンドンハーツ」は親の12.6%が見せたくない番組に挙げ、素人参加のトーク番組「キスだけじゃイヤッ!」(8.3%)やバラエティーの「めちゃ×2イケてるッ!」(8.1%)を大きく引き離している。若者には14%を超える人気番組かもしれないが、子を持つ親には「二桁もの反感」を買っているのである。かつて見た番組の印象では、女性タレントが言い争うコーナー「格付けしあう女たち」が人気のコーナーだが、冷静に考えば、ギスギスした人間関係を助長し、「だからそれが何だ」と思いたくもなるシーンもままある。

  大学に勤める身だからといって、何も堅物になっているわけではない。実は、日本小児科学会は2004年4月、児童の言葉の遅れや表情が乏しい、親と視線を合わせないなどの症状を抱えて受診する幼児の中にテレビやビデオの長時間視聴する子どもがいることを指摘して、「2歳までのテレビ・ビデオ長時間視聴を控える」「授乳中、食事中のテレビ・ビデオの視聴は止める」「子ども部屋にはテレビ、ビデオ、パソコンを置かない」などの提言をまとめた。

  この提言以来、月刊誌「COMO」(主婦の友社)などの子育て雑誌には盛んに子どもの発達とテレビ、あるいはテレビゲームとのかかわについて特集が組まれるようになった。ちなみに最新の「COMO」(8月号)では「子どもとテレビ&ゲームどうつきあわせる?」の特集が掲載されている。子どもを持つ親は食の安全の問題と同等に、心の発達の問題としてテレビやテレビゲームに気を使うようになってきている。また、子育てを目的にしたNPOなどが提唱して、テレビを視聴しない日をつくる「ノーテレビデー」を実施する動きが各地で広がっているのだ。

 つまり、テレビが子どもに与える影響について親たちが深刻に考え、一部では行動を起こしていると言いたかったのである。

  テレビ局側は「頭の固いPTAが感情論で…」などと軽んじないほうがよい。子どもを持つ親たちは感情論ではなく、医学や発達心理学の論拠を得て理詰めで考えている。業を煮やしたPTA全協が「物を言う」一株株主になって、「3年間も連続でワースト1と指摘されているのに、なぜ改善しない。学童を持つ視聴者の声を聞け」などと突っ込んできたらどう対処するのだろうか。

 ⇒30日(金)夜・金沢の天気  あめ    

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☆透けて見えるシナリオ

2006年06月29日 | ⇒メディア時評

 その劇的な再会に水を差すつもりはない。だた、演出されたシナリオが透けて見える分、しらける。日本の新聞でも1面で掲載された、韓国人拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さんと母親が28年ぶりに北朝鮮・金剛山で対面したニュースのことである。

 実は同じようなシーンは19年前にもあった。1963年5月、石川県能登半島へ漁に出たまま行方不明になり、87年1月に北朝鮮で生存が判明した寺越武志さんと、両親の太左衛門さん、友枝さんが再会(同年9月)した場面である。武志さんが不明となったのは中学生、13歳のとき。

 母と再会を果たしたものの、97年9月、武志さんはマスコミのインタビューで「自分は拉致されたのではない。遭難し、北朝鮮の漁船に助けられた」と主張した。その主張は、02年10月、39年ぶりに一時帰国し、故郷の石川の地を踏んだ10日間の滞在中も繰り返された。拉致疑惑を否定するために帰国したようなものだった。

  再会した親子はその後どうなっているのか。武志さんは朝鮮労働党党員で平壌市職業総同盟副委員長のポストにあるとされている。02年の帰国も職業総同盟の訪日団の一員として訪れたのだ。友枝さんがこれまで北朝鮮を訪れたのは30回以上。新潟に寄港する北朝鮮の貨客船「万景峰号」などを利用する。出発する前に武志さんから電話がかかり、土産のオーダーがある。ダンボールにして10数箱分。衣料や薬、食料など半端な量ではない。この様子は寺越さん母子をテーマにしたドキュメンタリー番組などで何度か見た。

  どれほどの量の土産が北朝鮮に持ち込まれるのか。こんな数字がある。今月25日に北朝鮮・元山に向けて新潟西港を出稿した万景峰号の乗客は217人、積荷の中の雑貨は151㌧だった(26日付・新潟日報)。雑貨を北朝鮮への土産とみなすと、1人当たりざっと700㌔である。

 以下は推測である。北朝鮮にいる肉親から仕送りを求める手紙や電話がある。求められた土産の中には、生活物資もさることながら職場の上司への「貢物」も多分に含まれているだろう。あるいは、日本に親戚がいることをいいことに、上司が土産を「指示」していることもあるだろう。日本に住む家族はそんなことも暗に理解しつつ、せっせと仕送りをする。こうなると、これは北朝鮮の「ビジネス・モデル」ではないか、と思ってしまう。

  各新聞記事によると、28日の面会時、英男さんは、母の崔桂月(チェ・ケウォル)さんらに拉致された経緯や北朝鮮での元妻の横田めぐみさんとの生活について一切語らなかったという。おそらく英男さんは韓国には帰国せず、寺越友枝さんのように母が北朝鮮を往復することになるだろう。土産を山ほど持って。

 ⇒29日(木)夜・金沢の天気  はれ

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★炭窯の哲人

2006年06月28日 | ⇒ドキュメント回廊

  金沢大学には地域おこしのリーダーから教えを請う「里山駐村研究員」という制度がある。北陸3県で活躍する、里山をテーマにした地域おこしのプロたちである。人材がバリエーションに富んでいて、山中塗り木地職人、製材業者、農産加工グループ代表、木竹炭生産、有機農業、山菜・きのこグループ、酪農家、農家レストランの経営者、草木染め作家、天然塩生産者と多士済々だ。中には、道なき道を手探りで歩いて成功を収めた人も多く、人生については一家言を持つ。

   そうした駐村研究員の中で、声が大きくヒゲの風貌が似合うのが炭焼きの安田宏三さん(62)だ。安田さんについては以前、ことし3月6日付「奥能登へ早春行」でも紹介した。その安田さんが先日、私のオフィスがある創立五十周年記念館「角間の里」を訪ねてこられた。その時の話である。

   安田さんは抜群に記憶力がいい。なにしろ転職以前の国鉄時代、同僚400人の名前をすべて覚え、列車ダイヤもおおかた頭に入っていたそうだ。今でも、これまで読んだ本の作者や論文の研究者の名前が日本人であれ外国人であれ、すらすらと出てくるのだ。高校時代は生物部に所属し、動植物の名前を徹底して覚えた。

   山に入り、木を切り、炭窯に向かう毎日。孤独な作業だが、自然とは何か、人間とは何かを自らの来し方行く末に照らし、問いかけ、そして山中の動植物の生態をつぶさに観察する。「木のにおいを嗅ぎ、炎を見つめていると考えるヒントが浮かんでくる」 と。

  茶道で使う高級木炭、「お茶炭」をつくる。ある日、茶人たちの茶話会に招かれ講演した。その席で質問された。「炭焼きの仕事は、夏は何をなさるのですか」と。「夏は動植物たちの営みが盛んな季節。そんな中に人間が入ってろくなことがありません。だから休みます」と答えた。するとある人が驚いたように、「仏教用語でそれを夏安居(げあんご)と言いますが、仏教にお詳しいのですか」と。詳しくもないし、その言葉は聞いたことがなかった。

   安田さんはそのとき気づいた。仏教は頭の中でつくり上げたイマジネーションなどではなく、山の暮らしの中で動植物の観察の中から、自然と人がどう共存するかという知恵のようなものではないか、と。修行僧が山にこもるのも、自然から教えを請うためではないか。

   この話を安田さんから聞いて、夏安居を調べた。「大辞林」(三省堂)によると、インドの夏は雨期で、仏教僧がその間外出すると草木虫などを踏み殺すおそれがあるとして寺などにこもって修行したことに始まる、とある。雨安居(うあんご)とも言う。この3文字になんと生命感があふれていることか。

   安田さんは時折り、自らの炭窯に入り、レンガの状態など調べる。内部は直系2㍍、高さ1.2㍍ほど。狭くても、安田さんにとっては樹木という自然、炎、そして空気が激しく燃焼し炭化する宇宙でもある。その宇宙を眺めながら、ヒゲを撫でてを哲学的な思索にふける。その様子から、私は安田さんを「炭窯の哲人」と名付けた。一度じっくりと時間を割いてもらい、炭窯の壮大な宇宙の話を聞かせていただきたいと思っている。

 ⇒28日(水)夜・金沢の天気  くもり

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☆床の間の生命感

2006年06月27日 | ⇒トレンド探査

  古色蒼然とした床の間をいきいきとしたオブジェの空間に変えたのは一葉の植物だった。

   私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は築280年の古民家を再生したものだ。黒光りする柱や梁(はり)に風格というものを感じている。以前にもこの「自在コラム」で触れたが、この柱や梁(はり)を眺めていると、イギリス大英博物館の名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏のことを思い出す。去年7月9日だった。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人だ。日本語は達者である。年季の入ったこの建物の梁や柱を眺めて、「この家は何年たつの?えっ280年、そりゃ偉いね。大英博物館は250年だからその30年も先輩だね」と、ハリス氏は黒光りする柱に向かって軽くおじぎをした。古きもの、価値あるもを見抜く目利きのスペシャリストの所作というものを垣間見た思いだった。

   きょうの話はここからだ。私はハリス氏が講演した1階奥の間の床の間になぜか据わりの悪さを感じていた。掛け軸はかかっているが、どこか古めかしく、山水画の絵柄もいまひとつ雰囲気とマッチしない。床の間全体が古色蒼然とした感じなのだ。

   そこで一枚の葉っぱを置いてみることにした。するとどうだろう、床の間に命が吹き込まれたかのようにいきいきとした空間になったではないか。床の間に緑の配色は似合う。さらに、葉から出ている2本の新芽が生命の躍動感というものを感じさせるのである。見向きもされないデッドスペースだった床の間が生命感あふれるオブジェの空間に様変わりした瞬間だった。

   周囲のスタッフに尋ねると、この葉はセイロンベンケイソウ、沖縄では子宝草とも言う。あるいは、葉から芽が出ているのでハカラメとも呼ばれるそうだ。底浅の皿に水をためて葉を浮かべておくと発芽する。手のかからない観葉植物だ。葉がこれ以上大きいと床の間のバランスが崩れ見栄えはしないだろう。そして新芽が出たものこそ価値がある。

   一枚の葉で人の感動が生み出せる。人の造形など自然のそれにはかなわない。

⇒27日(火)午後・金沢の天気  くもり

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★バス代ランキング上位の理由

2006年06月25日 | ⇒メディア時評

  ニュースの面白さというのは記事の長さだけでは測れない。そのニュースのバックグラウンドを読み手が理解できていれば、長短にかかわらず、「なるほど」とうなずけるものだ。書き手はそこまで意識して書いているのか、と逆に推測したりする。

   きょう25日の朝日新聞第2石川面の記事。「なんでもランキング」で1世帯当たりの年間支出額の統計(県庁所在地と政令指定都市など)から、タクシー代とバス代のランキングを上げていて、そのトップ(1位)がともに長崎市であるという解説記事を読んだ。で、そのランキングトップの理由は、坂道が多い街の地形による。長崎市はことし3月にプライベートで旅行をしたので、実感としてうなずける。坂道の街なので自転車の購入額は、長崎市が下から2番目という裏づけ記事も好感が持てる。

   少々不満に思ったのはバス代の支出額である。ランキングでは、1位は前出の長崎市なのだが、金沢市も9位にランキングされている。タクシー代とバス代は地形という事情から相関関係にあり、上位のランキングはほとんどだぶると思ったらそうでもない。上位10でだぶりがあるのは長崎を除いて2都市(札幌、神戸)だけである。バス代では福島、奈良、徳島などが金沢と並んで上位にランキングしてくる。ところが記事にはその言及がない。では、なぜなのだろうか。これは当地に住んでいる人は実感として理解できるかもしれない。バス運賃が高いのである。もっと有り体に言えば、地域交通の独占度が高いエリアだ。

   金沢市を例にとれば、民間のほぼ1社独占。JRバスも走ってはいるが特定路線のみ。だから高い。最近では100円で乗ることができる区間を設けたりして、その批判をかわす努力はしている。金沢大学のバス停を利用する特定区間でも「100円バス」を試験的に実施しているが、去年5月の同区間の利用は9420人だったのが、100円バスを実施したことし5月は26245人に伸びた。ざっと2.8倍である。バスの運賃が下がれば、利用者も増えるという証左である。通勤でバスを利用している身なので目に止まった記事かもしれない。

   もう一つ。そのランキングの下の記事。福井県が1口5万円(年利1.34%、1人当たり100万円限度)の新幹線債を発行した。すると10億円分が3時間半で売り切れた、というニュース。新幹線債は新幹線福井駅の建設に充てる。短時間で売り切れた理由の分析記事がないので、ここからは私見である。共働き率が高く年間世帯収入は全国一、失業率の低さも全国一、世帯当たりの貯蓄残高も全国一という福井県は経済的な充実度が高い。預貯金の額が多ければ、それだけ金利には敏感になる。現在の金利が低すぎる。それに比べ、県の公募債の金利1.34%は魅力である。この思惑がどっと「3時間半」の間に流れた。これは郷土愛のバロメーターなどではない。

 ⇒25日(日)夜・金沢の天気  くもり

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☆見栄あり母心あり

2006年06月22日 | ⇒ランダム書評

  北陸・石川県は四季を通して食材の宝庫でもある。飲んで食べてさまざな話題が弾むのだが、実は人間模様もその食には投影される。きょう打ち合わせ先でふと手にした「いしかわ食の川柳入選集」(社団法人石川県食品協会刊)が面白い。川柳に映す家族の情景である。

  北陸といえば冬の味覚、カニである。冬のシーズン、金沢の近江町市場では観光客がよく手にぶら提げる姿を目にする。「加賀の旅帰りはカニと手をつなぎ」(三重・男性)。太平洋側の人にとっては日本海のカニは珍味でもある。それを持って帰宅するのだが、「手をつなぎ」でニコニコと連れて帰ってきたという雰囲気、そしてどこか誇らしげな雰囲気が伝わる。

  もう一つカニの句を。「香箱の卵をねらう父の箸」(金沢・男子高校生)。金沢ではズワイガニのメスを香箱(こうばこ)ガニという。金沢人には身がつまって小ぶりの香箱ガニを好む人が多い。何より、高くても1匹1000円前後でオスのズワイガニより格段に安い。そしてその卵は酒のサカナである。家族の食卓で、晩酌の父親の箸が妙に小まめに動くのが気になる。そんな家族の光景である。

   もう一つの冬の味覚は「かぶら寿し」だろう。青カブにブリの切り身をはさんで漬け込む。ただ、漬かり具合でカブの部分がまだ硬かったりする。でもそれは食べてみなければ分からない。そこで「かぶらずし入れ歯の意地の見せどころ」(金沢・女性)。少々硬くても食べなければ、金沢を冬を食べたことにはならない。何しろかぶら寿しは料亭ものだと1枚1000円もするのである。そして、食べた感想がご近所の女性同士のあいさつにもなる。「暖冬のせいか、(かぶら寿しは)あんまりいいがに漬かっとらんね」といった具合である。高根の花のかぶら寿しをもう食べたという見栄の裏返しと言えなくもない…。一方、男は単純だ。「かぶら寿し九谷に盛って炬燵酒」(鳥取・男性)。とっておきの九谷焼の皿に盛るかぶら寿しはそれだけで最高の贅沢ではある。こたつに入って辛口の吟醸酒でも飲めば、天下人になったような気持ちにもなる。これは男の妄想である。

  さらに、「からすみを高価と知らず丸かじり」(金沢・女子高校生)。からすみはボラやサワラなどの卵巣を塩漬けにした高級珍味。これをがぶりと食べるのは若気のいたりである。

  最後に、「芝寿しを土産に持たす母が居る」(松任・男性)。これは石川の多くの人が経験していることだろう。帰省した息子や娘がUターンする際、母親が「小腹すいたら食べて」と持たすのがこの芝寿しなのである。寿しネタを笹の葉でくるんだ押し寿しで、地元では本来、笹寿しと呼ぶ。これを手土産に持たせる。母心がにじみ出る、しばし別れの光景でもある。

  ところで、この芝寿しは金沢市にある笹ずしの食品メーカーの社名である。もともと東芝系列の街の電気屋さんだった。電機炊飯器を売るために、「笹寿しもおいしくつくれます」と実演して見せた。この笹寿しが人気を呼んで業種転換した。そして社名に東芝の「芝」を一つをつけて「(株)芝寿し」とした。いまでは社名が笹寿しの代名詞のようになった。甘系の酢の利いた押し寿司である。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  雨     

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★ベートーベンの「田園」を愛す

2006年06月19日 | ⇒トピック往来

  今月13日に亡くなった指揮者の岩城宏之さんのことを今回も書く。岩城さんはベートーベンの「田園」が好きだった。交響曲第6番である。ちょっとしたエピソードがある。

   2004年の大晦日(12月31日)、東京文化会館でベートーベンの交響曲1番から9番をすべて演奏するという大勝負をした。その時のことである。5番「運命」を終えて、夕食をとり、続いて6番へと続けた。ところが05年の大晦日に再度ベートーベンの連続演奏に挑戦したときは、4番を終えてから夕食に入った。この違いについて岩城さんはこう説明した。「曲の順番からも『運命』が一つのヤマなのでこれを越えてひと安心して、前回は夕食を食べた。ところが、『運命』が終わったのと、夕食を食べたのとで、『田園』になかなか気持ちのエンジンがかからなかった。そこで、今回は工夫して『運命』の前に食事を済ませることにしたんだ」と。気が乗らないとの理由で、大休憩(食事)の時間を大幅に前倒しした。そのほどの思い入れが「田園」にあった。

  もう一つエピソードを。このベートーベンの連続演奏に鹿児島の麦焼酎の造り酒屋がスポンサーについた。なぜか。この焼酎メーカーが発売している「田苑ゴールド」という銘柄は、すばり「田園」を聞かせて熟成させた酒なのである。コンサートのスポjンサーになったのも、あやかったというわけだ。会場でその説明を受けた岩城さんが思わず手を打って、「モーツアルト熟成は聴いたことがあるけど、ベートーベン熟成ね…」とニコリ。それまで緊張の面持ちだったのが相好を崩した瞬間だった。

  ベートーベンは、この曲に小川のせせらぎや小鳥のさえずりをイメージさせた。詩人のロマン・ローランは次のように言ったという。「私は第2楽章の終わりに出てくる小鳥のさえずりを聴くとき、涙が出てくる。なぜなら、この曲をつくったとき、ベートーベンにはもはや外界の音は聞こえなかったからだ。彼は心の中の小鳥のさえずりを音符を書きつけたのである」と。

 「マエストロの最期」で岩城さんが容態が急変するまで病院のベッドの中にあっても両腕で小さく円を描き、まるでタクトを振っているかのようであったと書いた。話せる状態ではなく、何の曲を指揮していたのかは周囲も分からない。が、ひょっとして、その曲は小川のせせらぎや小鳥のさえずりの「田園」ではなかったのか…。ベートーベンをこよなく愛した岩城さんの冥福を祈る。

 ⇒19日(月)午後・金沢の天気   はれ

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☆ブログの技術-25-

2006年06月18日 | ⇒ノウハウ検証

  ブログというのはある意味で「個人メディア」でもある。面白いもので、別にお願いをしたわけではないか、それを見て評価してくれ人もいる。そして、ついにテレビに出ることになった。

     番外編:ブログをテーマにテレビ出演

  6月13日、金沢市に本社がある、地元民放テレビ局のMRO北陸放送の取材を受けた。テーマはズバリ、ブログだ。ブログを作成するノウハウや楽しみ方、注意点などについてインタビューがあった。なぜ私にというと、実は私のかつての同業のM氏は現在MROの報道制作担当の現場のトップ。取材の数日前、彼から「宇野さんのブログ(「自在コラム」)をたまに読ませてもらっている。ぜひインタビューさせて」と電話で取材の依頼があった。インタビューというからにはインタビューに耐えるだけのレベルのブロガーであると評価してくれた証左でもあると勝手に解釈し、「OKですよ」とその場で返事をした。

   13日の取材では、アップロードのノウハウや、作成する上での注意、たとえばこの「ブログの技術」のシリーズでも何度か書いた著作権やプライバシーの侵害に対する注意事項などリポーターに説明した。もちろん、説明というのはすなわちインタビューである。また、インタビューのほかに、金沢市のブログ仲間で動画ブログに挑戦しているK氏を紹介した。どうやら、私の後、取材を受けたK氏は取材ディレクターをその場で逆取材して動画ブログのテーマにするらしい。ここが個人メディアの小回りの効くところなのである。

   6月23日(金)午後4時45分からのMROワイド番組「金沢発イブニング5」のコーナー「おさえと考」で紹介される。上の写真はリポートしてくれた小野ちづるアナウンサー。本人の許可を得て、番組のPRのためならという条件で使用の許可をもらっている。念のために。

 ⇒18日(日)午前・金沢の天気   くもり  

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★マエストロの死、その後

2006年06月16日 | ⇒トピック往来

  オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督だった岩城宏之さんが13日に急逝した。地元金沢では後継者問題などいろいろと話題が出始めている。そして追悼の番組やコンサート、追悼行事が具体化してきた。マエストロの死のその後を…。   

  地元テレビ局の北陸朝日放送はきょう16日(金)午前10時半から、岩城さんがベートーベンの交響曲1番から9番を演奏し終えるまでを描いたドキュメンタリー番組「人生振るマラソン」(55分)を再放送した。2004年12月31日から翌1月1日までの9時間40分にも及ぶ演奏。指揮者控え室に固定カメラを置いて、ベートーベンの交響曲の一曲一曲ごとの指揮者の息遣いを撮り続けた。控え室で休憩中、苦しげでうなだれるマエストロ岩城が、「時間ですよ」のステージマネージャーのひと声で気を取り直してまたステージへと向かう。プロの宿命と気迫、そして使命感をタクトのひと振りひと振りに刻んでいく姿がリアルに描かれる。見ていて、なぜそこまで人生を追い詰めるのかと物哀しくもあり、また「ベートーベンを指揮してステージで倒れるなら本望」と言い切る姿はまさに悟りの人であり神々しくもある。その生き方をどう受け止めるかは、視聴する側の人生観によるだろう。

  6月18日(日)午後11時10分からNHK総合テレビでは05年12月31日のベートーベン演奏を追ったドキュメンタリー番組「岩城宏之ベートーヴェンとともにゆかん」が予告されている。

  追悼コンサートは7月16日(日)午後3時から石川県立音楽堂で。指揮者は岩城さんと親交があった外山雄三、OEK初代常任指揮者の天沼裕子。武満徹、モーツアルトなどの曲が予定されている。その2日後の7月18日(火)午後2時から東京・サントリーホールの小ホールで「岩城宏之お別れの会」がある。岩城さんが拠点としていたNHK交響楽団、OEK、東京コンサーツ、メイ・コーポレーション(三枝成彰事務所)の4者が実行委員会をつくり追悼の会を催す。

  今月26日(月)午後7時から朝日新聞金沢総局の4階ホールで講演が開かれる。講師はOEKゼネラルマネジャーの山田正幸さん(63)88年の創設当初からのメンバーで、岩城さんが「ジミー」とニックネームで呼んで信頼を置いた人だ。舞台裏から見た岩城さんの知られざるエピソードが語られるかもしれない。

  ところで、岩城さんの後継について、岩城さんがだれかれと具体名をあげたという話を聞いたことがない。むしろ、周囲には「そろそろ考えて置けよ」と笑いながら言っていた。人事に頓着せず、だった。  

 ⇒16日(金)夜・金沢の天気  くもり

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☆マエストロの最期

2006年06月14日 | ⇒トピック往来

 きょう14日、東京の文部科学省へ仕事の打ち合わせのため出張した。小松空港の発券カウンター近くでかつての会社の上司の顔が見えたので声をかけた。すると向こうから「東京へ行くの、岩城さんの…」と。私の顔を見て「岩城さん」を連想してくれたのはある意味でうれしかった。半面、生前お世話になりながら、東京へ行くのにお線香の一つも上げることもできない自分にもどかしさも感じた。

  13日逝去した指揮者の岩城宏之さんの密葬がきょう都内で営まれた。葬儀に参列したオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の関係者によると、岩城さんは生前、「荼毘(だび)に付すまで秘してほしい」と言葉を遺していたようだ。この遺志に沿って、付きあいがあった指揮者仲間からの参列の申し入れも遠慮願っての、ごく内輪の密葬になった。

  岩城さんは胃がんや咽頭がん、肺がんなどこれまで30回近くも手術を繰り返した。5月25日に容態が悪化し、聖路加病院に入った。6月1日に見舞った上記のOEK関係者によると、この時点で話ができる状態ではなかった。でも、午前10時ごろになると、両腕で小さく円を描いた。オーケストラの練習の時間になると、決まってその仕草をした。そして、夫人の木村かおりさん(ピアニスト)が「休憩ですよ」と声をかけるとその両腕は止む。そしてゲネプロ(本番前のリハーサール)の時間である午後4時ごろになるとまた両腕で円を描く。その繰り返しだった。「10時と4時のタクトは長年しみついた指揮者の職業病のようなもの。それにしても何を演奏していたのでしょうか」と、1988年のOEK創立からの関係者は顔を曇らせた。

  東京出張の目的地に向かう際、少し時間があったので上野の東京文化会館に立ち寄った。04年12月31日、岩城さんがベートーベンの交響曲1番から9番の連続公演の「偉業」を初めて成し遂げたホールである。チラシのスタンドを見ると、岩城さんが指揮する予定だった東京フィルハーモニー交響楽団の公演チラシが置いてあった。そのチラシを手にして、ふとある考えがよぎった。この東京文化会館を「ベートーベン演奏の聖地(メッカ)にしてはどうか」と。岩城さんが偉業を打ち立てたこのホールを。ベートーベンの1番から9番の連続演奏を試みる次の指揮者をここで待ちたいと思った。

 ⇒14日(水)夜・金沢の天気 くもり 

<「自在コラム」で紹介した岩城さんの人となり、業績などは以下の通り>
05年5月14日・・・岩城流ネオ・ジャパネスク
05年6月10日・・・マエストロ岩城の視線
05年6月12日・・・続・マエストロ岩城の視線
05年10月5日・・・「岩、動く」「もはや運命」
05年12月20日・・・岩城宏之氏の運命の輪
05年12月21日・・・続・岩城宏之氏の運命の輪
05年12月22日・・・続々・岩城宏之氏の運命の輪
06年1月1日・・・「拍手の嵐」鳴り止まず
06年1月2日・・・続・「拍手の嵐」鳴り止まず
06年2月6日・・・ちょっと気になった言葉3題
06年6月13日・・・マエストロ岩城の死を悼む
06年6月13日・・・ベートーベンに抱かれ眠る

 

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