自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆黄涼とした風景

2006年10月29日 | ⇒キャンパス見聞

 一面が黄色に染まっている。私はメガネをかけているが、それでも花粉のせいだろう、目が痛くなる。金沢だけでなく、能登半島でもことしはこの黄色が気になる。セイタカアワダチソウのことである。

  帰化植物(外来種)。北アメリカ原産の多年草で、土手や荒れ地、休耕田に群生している。植物に詳しいスタッフに聞くと、明治ごろに渡来し、観賞用に栽培されたものが野生化し、戦後急速に全国に広がったそうだ。北九州地方では炭坑の閉山にあわせて繁殖したので「閉山草」ともいわれているとか。花期は10-11月で、ちょうど今ごろ列島を黄色に染める。

  ところで、この外来種が在来種を押しのけて、どのようにオールジャパン化したのだろうか。再度フタッフに聞く。セイタカアワダチソウは、1本に5万個の種子をつけ、これらが風に飛ばされ生息地を開拓していく。もうひとつ勢力を拡大したは地下での攻防だ。冬の間に地下茎が地中を横に伸ばし、その先に新しい芽をつけるのだ。しかも他の植物が育つのに害となる物質(アレロパシー)を分泌する。つまり、他の植物の生長を妨げながら、空中と地下でローラー作戦を展開していくのである。この方法で百年余り、全国制覇を達成した。

  しかも、草丈も2-3㍍と高く、このことも他の植物の生長を妨げる原因となる。在来種を駆逐する勢いはまるで、戦後一躍、全国津々浦々に店を構えた外食チェーンの外資を彷彿させる。ちなみにアメリカでは、セイタカアワダチソウはケンタッキー州の州花だそうだ…。

  ところが、磐石かに見えるセイタカアワダチソウだが、在来種であるススキが自生していたところでは、一時群生したセイタカアワダチソウものちに劣勢になり、最終的にススキが巻き返すそうだ。その理由として自らが分泌したアレロパシーで自家中毒を起すことが考えられている。弱ったところで、ススキとの攻防が始まり、8年ぐらいでススキが優位を取り戻す。

  それにしても、在来植物たちをガッカリさせているのはミツバチの裏切りである。セイタカアワダチソウの黄色に目がくらみ、ハチが在来種に寄り付かなくなるのも、在来種が勢力を弱める原因といわれる。

  かつて手紙の季語で「ススキが穂を上げ…」と書いたものだ。が、「セイタカアワダチソウが野山を黄色に染め…」なんて、季語にはならない。近づいて観賞する気にもなれない。あの黄色には繊細さがないからである。

 ⇒29日(日)夜・金沢の天気  はれ

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★四高の青春グラフティ-下-

2006年10月24日 | ⇒キャンパス見聞

 四高のOBには小説家の井上靖や、哲学者の西田幾多郎らそうそうたる顔ぶれがいる。しかし、かつてマスメディアの業界にいた私には、正力松太郎は図抜けて存在感がある。正力は警察官僚から新聞王となり、政治家となり、またメディア王、テレビ王にもなった。彼を押し上げた原動力には四高の人脈があった。

   正力は明治40年に四高を卒業した。学生時代は柔道に没頭した。東京帝大を卒業し明治末年に内閣統計局へ、大正になって警視庁に入った。そこで四高・東大の先輩であった警察部長の野口淳吉に可愛がられた。その野口が急死し、正力はこのあと共産党検挙に辣腕を発揮することになる。しかし、摂政宮皇太子(後の昭和天皇)が24歳の男にステッキ銃で狙撃された虎ノ門事件で、警察部長として皇室警護の責任者の立場にあった正力も懲戒免官された。この後、後藤新平や日本工業倶楽部の支援のもと、読売新聞の経営を引き受けることになる。ここから戦後、読売新聞の部数を破竹勢いで伸ばし、日本テレビなど設立して新聞王、テレビ王として、その存在を揺るぎないものしていく。

   そして、昭和34年(1959)6月25日、天皇が初めてプロ野球を観戦した後楽園球場の巨人-阪神戦9回裏に、長島が劇的なサヨナラホームランを放った天覧試合。正力が用意したそのロイヤルボックスに、天皇・皇后を据わらせたのは四高人脈である宮内庁の小畑忠や瓜生順良、そして文部省の初代体育局長の清水康平らだったといわれる。この天覧試合でプロ野球ブームが幕開けするのである。

  先日訪れた四高展示室には正力が寄贈した四高の学舎の模型が展示されていた。精巧なつくりで樹木の配置まできちんとかたどってある。おそらく業者に製作させたのだろうが、このときはメディア王はどんな思いでこの模型を眺めたのだろうか。自らの青春を懐かしんだに違いない。

 ⇒24日(火)朝・金沢の天気   くもり

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☆四高の青春グラフティ-上-

2006年10月23日 | ⇒キャンパス見聞

 先日、「四高開学120周年記念展示~学都金沢と第四高等学校の軌跡」という少々長いタイトルの展示会を見てきた。終戦直後まで続いたナンバースクールの学生のたちの青春ほとばしるグラフティである。

  近隣県との激しい誘致競争の末、金沢に第四高等中学校の設立が認可されたのが明治27年(1894)で、高等学校令の公布により第四高等学校と改称される。その後、昭和25年(1950)3月にその歴史を閉じるまでの60年余りの間、金沢のシンボルでもあった。

 展示で面白いのが学生たちの生活である。写真(上)は、寮祭のポスター(昭和15年ごろ)である。褌(ふんどし)姿で踊る姿が当時の寮生のバンカラぶりを彷彿させる。ちなみに最近の金沢大学の寮祭の立て看板と比較すると、最近のは少々品がよくなっている。が、寮では酒を飲み、大いに語り、青春が満喫できる。これは今も昔もそう変わらないのではないか。

  別の展示を見ると、当時、四高の新入寮生には怪談話を聞かせる催しがった。学生の自主企画なのだが、電気を消した講堂で、金沢にまつわる怪しげな夜話が語られたのであろう。私も「カルシウムが足りなかった四高の学生がよなよな墓地に現れて、密かに骨をしゃぶった」などという怪談話をかつて四高OBから聞いたことがある。が、この話が当時の怪談会のネタの一つであったかどうか定かではない。

  何しろ金沢は泉鏡花が育った街である。そんな怪談話が妙に合う。初めて金沢に来た学生たちはそんな怪談話の「洗礼」を受けてこの街に興味を持ち、金沢の人々と接するきっかけを持ったとしても不思議ではない。

⇒23日(月)夜・金沢の天気  くもり 

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★成熟社会の実りの秋

2006年10月18日 | ⇒トピック往来
 私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」が子どもたちの歓声で包まれた(17日)。収穫した稲の脱穀作業があった。何しろこの農作業は50年前の方法で農業体験を試みるというもの。千羽こき、足踏み脱穀機などいまでは民俗文化財のような道具を使っての作業だ。

 子どもたちにすれば、足で踏んでローターが回転するだけでも楽しく、さらにそこに稲穂を差し込むとモミが簡単に取れるから面白い。50人ほどの子どもたちが入れ替わり立ち代わり試みる。子どもたちの歓声は絶えなかった。

 なぜ金沢大学で子どもたちが、と思われるかもしれない。近くの金沢市立田上小学校の5年生の総合学習の時間を大学として支援している。このため、子どもたちは春にはキャンパス内の竹林でタケノコ掘りを体験し、初夏には田植え、草取り、秋には稲の収穫を行っている。

 こうした作業を学生や教員が支援するのではなく、地域のボランティアの人たちが子どもたちに手ほどきをしている。大学は場所の提供と、ボランティアと学校をつなぐ役目に徹している。ボランティアの中には91歳のおばあさんもいる。

 これまでの話を次ぎように考える。大学キャンパスを学問の砦(とりで)として閉ざすのではなく、地域に開放している。学校は地域の人々の協力でさまざまな子どもたちへの教育を試みている。ボランティアは高齢であっても地域参加の志(こころざし)を持って生きがいとしている。この3つの要素がうまくかみ合った結果として、子どもたちの歓声が沸き起こったのである。

 もちろん、この3つの要素は偶然に重なったのではない。ここに至るまでに大学は大学で地域開放と社会貢献の論議をし、学校は学校で管理教育とゆとり教育の論議をし、地域は地域で人のネットワークづくりの長い歴史があったろう。そのお互いの試みが広がる裾野の一端で重なり合って、今回の「歓声のトライアングル」の光景があった訳である。季節は収穫の秋であり、成熟した社会の実りの光景でもある。

⇒18日(水)午前・金沢の天気  はれ
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☆メディアのツボ-24-

2006年10月13日 | ⇒メディア時評

 電波メディアの老舗と言えばラジオである。あまり知られてはいないが、3月22日の放送記念日は1925年のこの日、東京放送局(現在のNHK東京放送局)が芝浦の仮送信所でラジオ放送を開始した日にちなむ。

      政治オンチのラジオ

  ラジオが誕生した背景には、1923年に起きた関東大震災での情報混乱の経験があったようだ。そして、戦時はラジオの絶頂期と重なる。先の戦争は、「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス・・・」で始まりを、「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・」の玉音放送で終わりをラジオを通じて、国民に知らされた。

  だから、お年寄りの中には、ラジオと言うと「何だ大本営か」といまだに揶揄(やゆ)する人もいる。それだけ戦時における情報統制とラジオの使命は重なった印象がある。もちろんかつて深夜族と言われた我々の世代には前述のような印象はない。

  ところで、今回のテーマは「政治オンチのラジオ」である。オンチは漢字表記で音痴だが、漢字にするとストレートに意味づけされるので、少しクッションを置いた。というのも、けさのFMラジオでアナウンサーのコメント内容がいかにも稚拙に聴こえ、その理由を考えてみたからである。

  その男性アナは今回の北朝鮮の核実験をめぐってコメントしていた。前段で識者のインタビューを受けてのことである。「核実験の狙いは、北朝鮮がアメリカとの2国間での協議を望んでのこととの(識者の)分析があるようです。それだったらアメリカも話し合いに応じてあげればよいと思います。そして、6ヵ国協議での話し合いにも出てもらって、とにかく話し合いを続けることが大切ですね」と言った内容なのだ。

 アメリカは前回のクリントン政権での2国間協議は失敗だったとして、6ヵ国協議の枠組みをつくったのである。つまり、男性アナのコメントは入り口と出口が逆なのである。

  この男性アナは時折りニュースを読んでいる。上記のアドリブのコメントにはこれまでの時事・外交からの視点があればこのような解にはならない。おそらくニュースは読んでいるものの、政治が絡まった討論番組などに身を置いたことはないのだろう。あるいはまったく外交や政治にこれまで無関心だったのかもしれない。突然、プロデューサーから何かコメントするように突然指示されたのかもしれない。その程度の内容だったのである。しかし、この男性アナがこのようなコメントをするようになったのは果たして彼の責任だろうか。

  実は、ラジオは戦争に加担したとの反省から、戦後一転して政治と無関係を装う。情報トーク番組、音楽番組、深夜番組では独自のジャンルを築いた。しかし、報道、とりわけ政治はニュースとして淡々と伝える。速報性という強みがありながらも、政治ネタには頓着しない。そんなメディアになった。

  一方、1953年、戦後生まれのテレビはスタートは娯楽だったが、72年の連合赤軍による浅間山荘事件などをきっかけにニュース番組、硬派のドキュメンタリーなど報道へとジャンルを広げた。政治討論なども番組化し、たとえば升添要一氏ら多くの論客を誕生させた。その勢いが強い余り、1993年の細川内閣誕生のころ、「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」とするテレビ朝日の椿貞良報道局長の発言が新聞メディアから叩かれもした。

  ラジオが権力者のプロパガンダのツールとして時代を逆戻りすることはもうあるまい。ラジオを「大本営」と称する人も稀有だろう。むしろ、その男性アナを政治の雰囲気に引っぱり張り出してトレーニングさせてやってほしい…。いや、ラジオはもっとリアルの政治を伝えるメディアであるべきだと思ってもいる。

 ⇒13日(金)午後・金沢の天気   はれ  

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★メディアのツボ-23-

2006年10月07日 | ⇒メディア時評

 前回の「メディアのツボ」でNHKが東京都内の48の世帯・事業所について今月中に支払いがない場合、11月に簡易裁判所に支払い督促を申し立てることについて関連して述べた。で、また不祥事である。

          作り手の人格と番組

  6日、NHK富山放送局の54歳の局長が富山市内で万引をしていたことが明らかになった。事実関係を詳しく読む。局長はことし5月20日(土)午後5時ごろ、富山市内のホームセンターで、ボールペンやひげそり、木工用のキリなど7点、5000円相当を万引し、上着のポケットや袖に隠して店外に出たのをホームセンターの保安係に発見された。駆け付けた警察官に万引の事実を認めた。警察は被害額が少なかったことから送検しなかった。おそらく素直に事情聴取に応じて、費用を弁済。示談で済んだのだろう。が、万引きは窃盗罪である。万引をした日は休みで、木彫り教室へ行った帰りだった。

  そのことを局長は隠していた。最近になってその事実を嗅ぎつけた地元のメディアから取材を受けた局長が慌てて、本局に報告した。局長は去年6月から富山に赴任していた。予断は禁物だが、54歳の万引きは手癖が悪い。初犯なのか。NHK本局ではニュース番組「おはよう日本」などのプロデューサーだったという。

  これは私の経験則での解釈であるが、番組は作り手の人格そのものである。取材が甘ければ番組の構成も甘くなる。心に欺瞞性があれば、「やらせ」を生む。つまり詐術が含まれる。作り手の人格と番組は表裏一体なのだ。だから、この局長が名プロデューサーであって、今回のことを「出来心だった」あるいは「魔が差した」と弁明しても、私はその人が過去に制作してきた番組そのものを疑ってしまう。過去にその心の緩みや欺瞞が含まれる番組をつくってきたはずと解釈するからである。

  NHKが簡易裁判所に支払い督促を申し立てると言っているが、そんなことより信頼の回復が先だろう。業務上横領、放火、万引き(窃盗)…NHKの番組プロデューサーや記者の犯罪は枚挙にいとまがない。NHKの局内には危機感とか倫理性を重んじる雰囲気が欠けているのではないか。どこか組織のタガが緩んでいるに違いない。

  NHKは局長職を解いて停職3ヵ月の懲戒処分にしたが、局長は6日のうちに退職願を提出し、受理された。局の名誉を著しく傷つける行為であり、報告義務違反でもある。本来なら懲戒免職に相当するのだろうが、懲戒処分にした。その代わり辞表を提出させたとも取れる。退職金のことを考えた「温情」と言えなくもない。

 ⇒7日(土)午前・金沢の天気  くもり  

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☆メディアのツボ-22-

2006年10月05日 | ⇒メディア時評

 これはTVメディアの奇観である。時代にあえぐメディアの吐息が聞こえる。
        テレビの奇観3題

 10月3日、この日のニュースは画期的だった。「メディアの日」として日本新聞協会や民間放送連盟はどこかの機関に記念日の申請してもよいのではないか。なにしろ、最高裁が「事実報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもない」(最高裁決定の全文から)とし、取材・報道の自由の価値を重く見る司法判断を初めて示したのである。

  アメリカ企業の日本法人が所得隠しをしたとする報道に絡み、NHK記者が嘱託承認尋問で取材源にかかわる証言を拒んだことの当否が争われた裁判の決定である。このところ、人権擁護の名目で個人情報保護法などに押され、メディアの取材は萎縮でもしたかのように窮屈さをかこっていた。それが、今回の最高裁のお墨付きでメディアは「錦の御旗」を得たといえる。

  奇観というのは、新聞メディアなどは一面でトップ扱いだったが、テレビ各社は「NHKが裁判に勝った」程度の扱いで、まるで他人事なのである。メディアがこの最高裁の決定をしっかり噛み締めないと、自分が拠って立つところの論拠を失うではないか。

  TBS系の報道番組「筑紫哲也 NEWS23」の山本モナキャスターが番組をしばらく休むことになった。今月2日夜の放送で「体調不良のため」と発表された。山本キャスターは、民主党の細野豪志衆院議員との不倫を先週発売の写真週刊誌で報じられていた。「NEWS23」は先月25日にリニューアルされ、山本キャスターは起用されたばかりなのだ。

  奇観に思うのは、写真週刊誌で報じられたくらいでなぜ休むのか。視聴者はキャスターに潔癖性を求めてはいない。不倫の相手が民主党の代議士であり、政治的に中立性を失っているではないかと糾弾する自民党寄りの視聴者もなかにはいるかもしれない。しかし、問題はキャスターの発言内容が中立性を保っているかどうかであり、不倫は大人の世界の別次元である。「キャスターが不倫をして何が悪い」くらいの小悪魔的なキャラクターがあった方がむしろ信頼がおける。

  「みなさまのNHK」から「取り立てのNHK」に変身した。不祥事をきっかけに急増した受信料不払い問題で、NHKは5日、再三の説得にも支払いに応じない東京都内の48の世帯・事業所について今月中に支払いがない場合、11月に簡易裁判所に支払い督促を申し立てると表明した。不払い者が簡裁からの督促を放置すれば、財産を差し押さえることも可能だ。

  奇観はNHKが相手を見誤っていることだ。受信料不払いが112万件となっているが、NHKも説明しているように、その理由のほとんどは番組プロデューサーによる業務上横領、記者の放火事件など一連の不祥事に拒否反応を示した「確信犯」だ。実際、私の周囲にいる不払い者は正義感が強い。つまり、レジスタンスなのである。

  この人たちを納得させるには、地上波とBS波の6波に肥大化した組織を徹底的にリストラし、災害と報道に強いNHKに蘇生するしかない。その上で受信料を下げて、なおかつ「今後、不祥事が起きた場合は1件につき月100円下げる覚悟」くらいの厳しさを自ら課さなければ、不払い者は納得しないだろう。さらに未契約者989万件をどうするのかの指針も示すべきだ。

⇒05日(木)夜・金沢の天気   くもり 

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★メディアのツボ-21-

2006年10月03日 | ⇒メディア時評

 総理の「ぶら下がり」会見を1日2回から1回にするとした官邸サイドに内閣記者会が反発している問題を連続で取り上げた。すると、何人かの方から意欲的なコメントの書き込みをいただいた。

     「ぶら下がり」問題の深層

 「いつも見ています」さんから以下の書き込みを。「結局は情報リテラシー(技術)の問題です。ネットという新しいリテラシーが登場し、TVがそれを敵視したところに始まります。TVジャーナリズムはそれを習得しようとせず、反対に政治は、政府インターネットテレビのように新しいリテラシーを導入し、TVが得られない成果を上げようとしている。それに対する恐れでしょう。通信とネットの融合を拒否した、つまり時代の流れに逆らった付けが、一番根本のところで回って来たと言うことでしょう。どちもどっちというより、明らかに政府が新しい情報リテラシーの習得に一歩先を行っているこの現実を恐れなければならないと思います。」

 「いつも見てます」さんの論評の切り口は、情報リテラシーへの思い入れの差が政府とTVメディアを分けているという主張に読み取れる。即時性や広範囲性、ローコスト配信などネットが持つ価値や凄みを知っているのは政府の方だ、と。「いつも見てます」さん自身がITの相当の使い手とお見受けした。

  それはともあれ、既存のメディアというのはニューメディアを疎んじるものだ。1950年後半にテレビが普及し始めたとき、活字メディアのテレビに対するバッシングが沸き起こった。社会評論家の大宅壮一が述べた「一億総白痴化」は流行語になったほど。テレビというメディアは非常に低俗な物であり、人間の想像力や思考力を低下させると酷評した。大宅だけではなく、作家の松本清張も「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と初期のテレビに違和感を露にした。

  時代はめぐり90年代のインターネットの勃興期、テレビがメディアの主流であって、インターネットは有象無象、寄せ集めぐらいの認識だった。ネットがブロードバンド化して映像が流れるようになり、テレビの対抗メディアとしてようやく認識されるようになった。それでも、既存のメディアはいまだに「ネットは裏付けのない情報をまき散らかし、メディアには値しない」と十把一からげで考えているようだ。

  しかし、今回の官邸と内閣記者会の押し問答は既存メディアとニューメディアの相克の構図ではなく、別次元のような気がする。

  花形である官邸の記者はテレビも新聞も比較的若い記者が多い。なぜならどんな人物が総理と会うのか見張り番をしなければならず、これは体力勝負である。そんな記者たちの出番が「ぶら下がり」会見での質問なのだ。その出番が減らされたのでは記者の存在意義にかかわる…。頑なに「1日2回」を主張する記者の本音は案外ここらあたりではないか、と私は睨んでいる。

  ところがそれを「国民の知る権利」云々と理屈づけするからややこしい。また、「記者の取材に、広報である政府のテレビカメラを入れてネット配信するのは筋違い」と言い張るから会見情報を記者クラブが独占する気かとネットユーザーから批判されもする。素直に「出番が減るから何とかしてくれ」と言ったほうが反感を買わずに済む。

⇒4日(水)午後・金沢の天気   くもり

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☆メディアのツボ-20-

2006年10月02日 | ⇒メディア時評

 ついに記者たちはゲリラ戦法に打って出ることにしたらしい。でも、それは見苦しい。

       記者たちのゲリラ戦

 懸案となっている「ぶら下がり」会見の回数について、世耕弘成総理補佐官(広報担当)は2日、内閣記者会からの「ぶら下がりは1日2回」との申し入れに対し、「1日1回しか応じられない」との回答をした。これを受けて記者会側は世耕補佐官に対し、総理が1日2回のぶら下がりに応じなければ、十分な取材機会を確保する観点から官邸や国会内などで「歩きながら」の取材に踏み切ると口頭で通告した、と各紙のインターネット版が報じている。

 「ぶら下がり」は総理が立ち止まっての会見だが、「歩きながら」は記者がざっと総理に近づいて、ぞろぞろそと併行しながら質問を投げかける、という取材手法だ。

  総理へのぶら下がりは今年7月、小泉前総理がこれまで原則1日2回から1回にしたのを安倍総理も踏襲するとしたのに対し、記者会側は先月29日、1日2回の取材機会確保など5項目の要望を申し入れていたものだ。記者会側は「ゼロ回答」だっとして、「2回の原則を破ったのは官邸サイドだ。だから、ぶら下がりこだわらずに歩きながらでも質問をする」と、食い下がりのゲリラ戦に出ると宣言したわけだ。

  でも、ゲリラ戦法を実施しても、おそらく安倍総理は口をつぐんだまま答えないだろうし、ヘタをするとSPに遮られてしまう。それでも記者会側は「国民の知る権利に応えるため」と意を決して突撃するのだろうか…。見方によっては、そのくらいの意気込みを記者は持って当然との評価もあるだろう。が、一方でどこかの国の自爆テロを想像しておぞましくもある。

  前回の「メディアのツボ」でも指摘したように、われわれ読者や視聴者は別に「ぶら下がり」の回数にはこだわってはいない。むしろ、どのような総理と記者のやり取りがあったのか全容を知りたい。どこの記者がどんな質問をして、それに対して総理がどう答えたのか、ノーカット編集のものを見たい。それゆえ、記者には質問の回数ではなく、質問の鋭さで勝負してほしい。

  仮にメディアの側が2回にこだわっている本音が夕刊と朝刊、あるいは昼ニュースと夜のニュースという紙面や時間枠に間に合わせるためにあるとすれば、それは「国民の知る権利」に名を借りたメディア側のご都合主義といわれても仕方がない。

 ⇒2日(月)夜・金沢の天気  くもり 

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