自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登半島地震 地域再生は可能か~7 節目の3ヵ月

2024年03月31日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の地震から間もなく3ヵ月となる。政府は新年度予算で予備費を1兆円規模に倍増し、能登半島地震の被災地のニーズをくみ取り、復興の取り組みを全速力で実行していくと強調している(今月28日・岸田総理の会見)。

  石川県も今月11日に2023年度の補正予算案と新年度の当初予算案を成立させ、震災の復旧・復興経費として7830億円を盛り込んだ。道路や河川などの公共土木工事に4142億円、仮設住宅の整備など「災害救助法に基づく応急救助」に2492億円、農地や漁港などの復旧に432億円を充てる。

  先日(今月24日)能登空港に行くと、滑走路から離れた多目的用地にカプセル型やコンテナ型の仮設住宅がずらりと並んでいた。目立つのは2階建ての茶色いコンテナハウス=写真=。まだ建設中だったが、作業をしている人に尋ねると、復興支援者向けの仮設宿泊所ということだった。多目的用地の宿泊所を数えると、カプセル型が29室、コンテナ型は1人部屋11室と4人部屋1室の計41室ある。6月末までに250室が新たに造られるそうだ。また、空港に隣接する日本航空学園の学生寮225室も仮設宿泊所として活用されている。震災以降、校舎が損壊したことや道路状況が悪化したため、生徒はオンラインで授業を行っている。

  空港の仮設宿泊所は石川県が経費を出して設置。きょう31日から全国から支援に来ている自治体職員向けに提供が始まる。被災地には全国知事会が要請した応援職員128人、石川県庁県職員268人、総務省の応急対策派遣制度で集まった支援職員850人が入っている(石川県まとめ、今月26日現在)。このほか、上下水道や道路などインフラ復旧に当たる事業者は4000人に上る。

  じつは能登の復旧・復興に立ちはだかっていたのが、全国から支援に来ている自治体職員や民間の支援ボランティアの宿泊場所だ。輪島市や珠洲市の旅館やホテル、公共宿泊施設などは損壊し、両市ではほぼ全域で断水状態が続いている。このため、支援に来た自治体職員は金沢などで宿泊し、奥能登と往復5時間余りかけて毎日移動していた。あるいは、上下水道も使えない状態で車中泊を余儀なくされていた。このため、宿泊拠点の確保が課題となっていたが、3ヵ月にしてようやく整った。

  奥能登の各自治体は民間の支援ボランティアを1月27日から浮け入れを開始し、これまで延べ1万2500人余りが活動しているが、同様に車中泊などが多かった。その宿泊地となったのが、2月26日に穴水町の中学校体育館に開設された「奥能登ベースキャンプ」(収容人数100人)、そして七尾市の公園に設置された「テント村」(同140人)だった。

  地震から3ヵ月の節目であり、冒頭で述べたように地域再生に向けてこれから大きく動き出すだろう。一方で、人々の記憶から能登半島地震が徐々に薄らぐ。時の風化が始まる。

⇒31日(日)午後・金沢の天気    くもり

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☆能登半島地震 地域再生は可能か~6 被害判定で困惑も

2024年03月30日 | ⇒ドキュメント回廊

  地震の住宅被害を自治体が判定する罹災証明書をめぐり、輪島市など6市町で、1次調査判定を不服とした2次調査の申請(今月19日現在)が8236件に上り、1次調査件数の1割におよんでいることが共同通信の集計で分かった(26日付・共同通信ニュースWeb版)。判定結果により公的支援に差が出るため、2次調査での精査を求めるケースが相次いでいる。証明書は支援金受給や税の減免手続きに必要で、発行が遅れれば、被災住民の生活再建に影響する(同)。

  罹災証明書の発行に当たり、それぞれの自治体は損害割合に応じて「全壊」(損傷割合50%以上)、「大規模半壊」(同40%台)、「中規模半壊」(同30%台)、「半壊」(20%台)、「準半壊」(同10%台)、「一部損壊」(10%未満)の6分類で判定している。外観から判定する1次調査に納得がいかない場合は、被災者の立ち会いのもとで、建物の中に入って確認する2次調査を申請できる。ただ、2次調査は建物内を詳しく調べるため、より時間がかかるとされる。(※倒壊した輪島市の家屋=2月5日撮影)

  1次調査に不服が出る背景には、政府の生活再建支援金に大きな差があるからだろう。全壊の場合の支援金は300万円、大規模半壊は250万円、中規模半壊は100万円だが、半壊以下は支給の対象外となる。実際に能登の現場で聞いた話だ。一部損壊との判定だったが、雨の日には家の中で雨漏りがして、住める状態ではない。屋根の修繕を見積もってもらったところ、240万円だった。しかも修繕は順番待ちで、いつ作業が行われるかは予定が立たない。結局、親族から紹介された金沢のアパ-トで暮らしている。一部損壊なので応急修繕費(半壊以上で上限70万6000円、準半壊で上限34万3000円)も出ない。

  外観を調べただけで住宅の損害の程度をランク付けできるものなのだろうか。2007年3月25日の能登半島地震(最大深度6強)で、輪島市門前町の被災家屋で片付けのボランティア活動をした。このとき、外見上は被害がないように見えたが、実際中に入ると、2階への階段が壊れるなど住める状態ではなかった。数年後にその家の前を通ると建て替えられていた。

  経験を積んでノウハウを有する自治体職員ならば内部も推察できるだろうが、応援派遣で初めて認定調査に当たった自治体職員もいただろう。1次調査の判定は生活再建にかかわるだけに、被災者にとって切実だ。建築士の支援を得るなどプロ目線での調査が必要ではないだろうか。

⇒30日(土)夜・金沢の天気     はれ

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★能登半島地震 地域再生は可能か~5 祭りがある日常へ

2024年03月29日 | ⇒ドキュメント回廊

       まさに春の嵐、石川県内では早朝から強風と大雨の注意報が出ている。案じるのは能登の被災地だ。震源近くの珠洲市大谷町へ向かう途中に山のがけ崩れ現場があり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っていた=写真・上、3月16日撮影=。珠洲市にも大雨注意報が出ていて、土砂崩れによる二次災害が起きるのはないかとの不安が心をよぎったりする。また、川べりの民家の場合、下流に「土砂ダム」が出来て住宅が水没するのではないかと考えたりもする。山のふもとにある集落では、このようなリスクを背負った状態のところがいくつかある。大量の雨をもたらす梅雨の時季までに対策が必要ではないだろうか。

  話は変わる。元日の地震で被害が出た奥能登だが、一部地域では「日常」に戻りつつある。奥能登の日常とは、祭りのこと。夏から秋にかけて祭りがどこかで毎日のようにある。子どもたちが太鼓をたたき、鉦(かね)を鳴らし、大人やお年寄りが神輿やキリコと呼ばれる大きな奉灯を担ぐ。このような祭りの光景が奥能登では毎日ように見ることができる。キリコ祭りは2015年4月に、日本遺産「灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~」に認定されている。

  その祭りシーズンの訪れを告げるのが、能登町宇出津(うしつ)の「あばれ祭り」だ。メディア各社の報道によると、「あばれ祭り」の開催について話し合う会議が今月27日に開かれ、7月5日と6日に実施する方針を確認した。あばれ祭りは、2日間にわたって40基のキリコが繰り出し、広場に集まって、松明(たいまつ)のまわりを勇壮に乱舞するのが見どころだ=写真・下、日本遺産公式ホームページより=。また、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。

  記事によると、会議では「小規模な開催をしてほしい」という声もあったが、「地震からの復興を応援してくださった方に頑張っとるぞという姿を見せたい」「祭りまで中止となると、人口減が加速する」などと開催を支持する声が多く上がった(28日付・北陸中日新聞)。ただ、祭りは志納(寄付金)によって賄われていて、これまで祭りを支援してくれた人々の中には被災者もいることから、例年より寄付金が少なかった場合は内容の変更を検討する(同)。

  奥能登には「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」という言葉がある。祭りは地域・集落、そして家族・縁者にとっての価値観の共有でもあることから、日常生活でも優先されてきたイベントだ。その祭りが新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年と21年は軒並み中止となった。3年ぶりでようやく祭りが復活、そして、ことし元日に能登町宇出津は震度6弱の揺れに見舞われた。

  上記の記事にある「頑張っとるぞという姿を見せたい」という声は、祭りのある日常の姿をはやく取り戻したいという能登の人々の心意気のようにも感じる。

⇒29日(金)午前・金沢の天気    あめ

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☆能登半島地震 地域再生は可能か~4 進化形の復興ファンド

2024年03月28日 | ⇒ドキュメント回廊

  被災した企業や事業所を支援する「100億円ファンド」を、政府や石川県、地域の金融機関が連携して近く立ち上げる。きょう28日付の新聞メディアが報じている=写真=。記事によると、震災前からの負債と事業再建にかかる新たな負担の「二重債務」に戸惑う企業や事業者に対し、ファンドが既存の債務を一部買い取る減免と返済猶予を行うことで、金融機関からの新たな借り入れをしやすくする。

  能登に本社を置く企業は4075社。売上高で見ると、製造業が3分の1を占め、医療や宿泊業などのサービス業、建設業と続く。地震で工場設備や宿泊施設に被害が出ている。地場産業である繊維や輪島塗などの工芸は2割の企業が生産再開のめどが立っていない(28日付・日経新聞)。ファンドは政府系の中小企業基盤整備機構や地域経済活性化支援機構のほか、石川県、地域金融機関の北國銀行、北陸銀行、のと共栄、興能信用金庫、県信用保証協会、商工中金が出資する。中小企業庁は来月4月1日に七尾商工会議所に職員を派遣し、「能登産業復興相談センター」を開設して、ファンドの活用を助言する(同・北國新聞)。このほかにも、出資する金融機関は相談窓口を設ける。

  ファンドの対象は伝統産業から観光・宿泊業、農業や漁業など一次産業まで幅広い業種となる。地域の金融機関はいち早く地元企業や事業所に手を差し延べている。金沢に本店を置く北國銀行はECを手掛ける子会社を通じて、被災で在庫の処理が難しくなった商品を仕入れて全国ネットで販売するなど支援。また、傘下のコンサル会社を通じて被災企業の事業再建も進めている(同・日経新聞)。

  上記の記事からも分かるように、地元の金融機関は単に復旧・復興で融資をするのではなく、能登の未来を見据えた産業をどう構築していくかを企業や事業所と知恵を出し合いながら再建計画を進めている。北國銀行を傘下に持つ北国FHDの杖村修司社長をそのポリシーを「進化した形での復興」と表現している(同・日経新聞)。 

  冒頭の話に戻る。100億円のファンドは災害規模からすると少ないようにも思える。被災企業の返済負担を軽減する公的な金融支援はさまざまにあり、今回のファンドの設立はその窓口機能という位置づけだろう。また、政府は地域の金融機能の強化を通じて、被災地の経済再生を後押しするため、金融機能強化法を活用した公的資金の導入を検討しているようだ。進化形の復興ファンドを能登再生の活力にしてほしい。

⇒28日(木)午後・金沢の天気   くもり

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★能登半島地震 地域再生は可能か~3 どうなる地元経済

2024年03月27日 | ⇒ドキュメント回廊

  黄砂がやって来る。気象庁の「黄砂情報」によると、北陸を黄砂が覆うのはあさって29日午後から30日にかけてで、能登半島では両日とも「やや多い」濃度の予測が出ている=29日午後3時の予想図=。奥能登の被災地では多くの支援ボランティアの人たちが倒壊した家々のがれきの撤去など作業を行っている。黄砂そのものはアレルギー物質になりにくいとされているが、黄砂に付着した微生物や大気汚染物質がアレルギーの原因となり、鼻炎など引き起こすとされる。また、黄砂の粒子が鼻や口から体の奥の方まで入り、気管支喘息を起こす人もいる。

  黄砂は何かと悪者扱いされがちだが、黄砂にはミネラル成分が含まれていて、それが日本海に落ちて植物プランクトンの発生を促し、それを動物プランクトンが食べ、さらに魚が食べる食物連鎖が生まれて日本海の漁業資源は保たれているとの研究もある。

  話は変わる。奥能登の能登町に本店がある「興能信用金庫」は、今回の地震を受け、取引先の事業者に連絡を取って状況の聞き取り調査を進めている。以下、北陸中日新聞(今月26日付)の記事を引用する。調査は2月中旬から始め、奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)で直接被害を受けた事業者向けローンの融資先401社を対象に調査をし、これまで半数弱に当たる193社から回答を得た。残りの208社は事務所が全半壊して経営者に会えないなど未回答で、引き続き調査を進める。

  回答を得た社のうち、すでに事業を再開しているのは融資先(401社)のうちの3割強、事業を再開する意向なのは1割弱に当たり、1割弱は再会するかどうかまだ分からないという状態だった。調査途中の段階だが、信金の理事長は再開済みや再開の意向を持つ融資先の割合について、「思っていたよりも多い」との印象を語った。しかし、未回答の各社が半数以上あり、回答した社より事業再開が厳しい状況にあると予想され、「安堵はできない」とも話した(26日付・北陸中日新聞記事)。

  調査途中とは言え、地域の金融機関としても辛い数字ではないだろうか。奥能登は2050年までに住民が半減すると推計された過疎地だ。震災によって予測を上回るスピードで人口減少が進む恐れがある。これが地域の経済を疲弊させることになりかねない。一方で、国や県、自治体が大規模な予算措置で復旧・復興を進め、短期的ではあるものの、「震災特需」がもたらされるに違いない。また、個別には住宅の再建なども広がっていくだろう。地元の経済の行方を見つめていきたい。(※写真は、被災した輪島市河井町の商店街。営業している店は見当たらなかった=2月5日撮影)

⇒27日(水)夜・金沢の天気    はれ

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☆能登半島地震 地域再生は可能か~2 ダークツーリズム

2024年03月26日 | ⇒ドキュメント回廊

  今月4日に能登半島の志賀町富来(とぎ)の被災地を訪れた。近くには震度7が観測された香能(かのう)という地区もある。富来のコンビニに立ち寄った際、駐車場で外国人男性2人が警官から職務質問を受けていた。2人は「名古屋」ナンバーの車で来たようだ。店舗に入るためその横を通ると、警官がどのような目的で能登に来たのかと尋ねていた。すると、外国人は「ダークツーリズム(Dark tourism)」と答えていた。確かそのように聞こえた。

  その後、外国人たちはどこをめぐったのかは知る由もない。それ以降、ダークツーリズムという言葉が妙に頭に残っている。日本では余り使われていない言葉だが、欧米では被災跡地や戦争跡地などを訪ね、死者を悼むとともに、悲しみを共有する観光とされている。能登半島地震は世界のメディアでも大きく報道されている。インバウンド観光客がダークツーリズムに能登を訪れても不思議ではない。ただ、日本では「被災地への物見遊山はやめとけ」としかられそうだが。(※写真・上は、イギリスBBCの特派員が震災の様子を輪島市の現場から中継で伝える=1月4日付・BBCニュース)

  震災の現場を訪ねると実にダイナミックな光景を目にすることがある。震度7の揺れがあった香能の近くにあり、松本清張の名作『ゼロの焦点』で登場する名勝「ヤセの断崖」などはさらに崩れて落ちている=写真・中=。震源近くの珠洲市大谷町へ向かう途中に山のがけ崩れ現場があり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っていた=写真・下=。海岸沿いでは、木ノ浦海岸の岩島が隆起して陸続きとなっている。能登の里山里海に大地の地響きの痕跡が広がる。

  能登の観光名所となっていた奇岩など風光明美な景観と、震災後の光景を比較して眺めると、大地の造形物は何千年、何万年と歴史を刻みながら少しづつ姿を変えきたのだと実感する。その意味で、「能登はジオパーク(Geopark)」と言えるかもしれない。冒頭のダークツーリズムとしてインバウンド観光を積極的に受け入れてもよい。前回ブログでも述べたように、人々が行き交う仕組みづくりが能登再生のキーポイントではないだろうか。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   あめ

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★能登半島地震 地域再生は可能か~1 朝市の復活

2024年03月25日 | ⇒ドキュメント回廊

  震災から85日。ブログと向き合いながら考えることは能登半島の被災地は再生可能なのか、という一点だ。被災者のみなさんには申し訳のない表現かもしれないが、自身は楽観したり、悲観したりの日々だ。そんな中で、再生・復活の道筋を思い描いてみる。

  今月23日に金沢市金石港で開催された「出張輪島朝市」はとても盛況だった。「活気に満ちた呼び声、オレンジ色のテント、復興に向けて輪島朝市が再スタートを切りました」とテレビ局のリポーターが中継で伝えていた。午前中の4時間の営業で、メディア各社によると1万3千人の来場があった。30ほどの店に、雨の中で順番待ちの客が長蛇の列をなした。店には岩のりやアジやホッケの干物といった、朝市らしい品が並んでいた=写真・上=。

  ただ、帰りの客を見ていると、買った品を入れた袋を携えた人は5人に1人ほどだった。朝市の品を買いたい、買うことで応援したいという気持ちで、雨の中を順番待ちしたのだろう。しかし、店の数も少なく、品数も限られていて、買いたくても買える品がなかったというのが自身も含めて正直な話ではないだろうか。出張朝市は、金沢市に避難した輪島市朝市組合の有志が中心になって企画し、次回はゴールデンウイーク期間中(4月27日-5月6日)に開催されるようだ。話題性だけでなく、店の数を増やし、商品数を増やして「買うてくだ―」のにぎやかな輪島朝市を再現してほしいものだ。

  もう一つ。不謹慎な言い方なのかもしれないが、あの火災で焼失した輪島市河井町の朝市通り=写真・下=に朝市を復活させてはどうだろうか。戦争で焼け野原になった東京ではバラックと呼ばれる仮設店舗が軒を並べ、いわゆる「ヤミ市」が人々の生活物質の流通の場となった。その後次第に店舗化し、銀座などが復活した。朝市こそ、人通りを復活させる起爆剤にならないだろうか。街に人々が行き交う仕組みがあることで市内の再生が進むきっかけとなるのではないか。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   くもり

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☆能登半島地震 金沢で輪島朝市、30店で「買うてくだ―」

2024年03月23日 | ⇒ドキュメント回廊

   オレンジ色のテントの中から「買うてくだー」と声掛けする輪島の朝市のおばさんたちはとても商売上手だ。6年前の2018年の旧盆で朝市を訪れた。1個700円のカラスミ(ボラの卵巣の塩漬け)を「2個ください」と言うと、おばあさんが「3個でおまけ」と差し出したので手に取ると、すかさず「100円おまけで2000円」と請求された。2個買ったので1個はおまけだと思い受け取ったのに、「100円まけるから3個買って」という意味だった。朝市という場を少々甘く勘違いしたのかもしれない。かなり高齢に見えたが、言葉の手練手管には舌を巻いて買ってしまった。

  海の幸と山の幸の物々交換がルーツとされ、千年の歴史を有する輪島朝市はことし元日の震災による火災で甚大を被害を受けた。朝市が並ぶ商店街通りを中心に240棟が消失した。このため、商いの場を失った朝市の再開は出来なくなっている。しかし、商魂はたくましい。朝市を金沢でと輪島市朝市組合の組合員による「出張朝市」がきょう金沢市金石1丁目にある金沢市漁協の荷さばき場で開かれた。震災から83日目の「初売り」でもある。現地に行ってみた。

  午前9時に到着。オレンジ色のテントが30ほど並ぶの出張朝市は土曜日ということもあり、家族連れなどでとても混雑していた。「刺し身 みそ漬け」「一夜干し」「干物」などの海産物のほか、輪島塗の碗やアクセサリー、能登の塩などを販売するテントが並んでいた。一夜干しなどは飲食スペースであぶって味わうことができる。

  テントをのぞくと、一夜干しをめぐって売り子の女性と男性の客が交渉をしていた。一夜干しセット6000円(送料込み)をめぐる駆け引きのようだった。客「さっき、あぶって食べた。ノドグロがうまかった。東京の知人に送りたい。ちょっとおまけして5000円にならないか」、売り子「輪島から出張して久しぶりに店を開きました。出張経費がかさんでますので、5800円で」、客「そうか、出張経費がかさんでいるんだね。では、ありがたく5800円で」。この客は2セット購入していた。

  一つ気になったことがある。30の店が並んではいたものの、冒頭で紹介した手練手管の朝市おばさんたちは見当たらなかった。次の世代の若い人たちが多いという印象だった。震災を機に朝市おばさんたちの世代交代が進んでいるのもしれない。ふとそんなことを考えた。

⇒23日(土)夜・金沢の天気   くもり 

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★能登半島地震 「寄り添いの美学」 両陛下が被災地を訪問

2024年03月22日 | ⇒ドキュメント回廊

  宮内庁は2月9日に、天皇陛下の誕生日(2月23日)に先立って、お住まいの御所で撮影した両陛下の映像を公開した=写真・上、宮内庁公式サイト=。前の机の上にことしの歌会始で使われた輪島塗の御懐紙箱が置かれ、後方左には輪島塗の飾盆、そして右に珠洲焼の壺が飾られている。両陛下が能登半島地震による輪島や珠洲などの被災地を案じておられるとのお気持ちを察する写真でもある。

  天皇陛下が奥能登を訪れるのは2018年8月以来ではないだろうか。皇太子だった当時、珠洲市で開催されたボーイスカウト日本連盟主催の国際キャンプ大会「日本スカウトジャンボリー」に出席された。その時のあいさつのお言葉で、「能登の地は、長い時間を掛けて自然と調和した人の営みが造り上げた里山里海を有しています」と述べられた。その能登の里山里海が元日の震災に見舞われた。

  メディア各社の報道によると、両陛下はきょう午前10時前に全日空の特別機で羽田空港を出発。午前10時50分に能登空港に到着し、馳石川県知事らの出迎えを受けた。両陛下は黒のタートルネック姿で、午前中は馳知事から被災状況について説明を受けた。現地に負担をかけないようにと、昼食は東京から持参された。

  午後に能登空港からヘリコプターで航空自衛隊の輪島分屯基地へ移動し、輪島市内の被災状況について坂口市長から説明を受けた。午後1時半すぎ、両陛下はマイクロバスで「輪島の朝市」に到着。4万9千平方㍍が焼失し、多くの犠牲者が出た焼け跡に向かって黙礼をされた。天皇陛下にとって朝市は、学習院高等科1年生の頃に訪問されたことのある思い出の場所でもあり、現地でどのようなお気持ちだったのか。このあと、坂口市長の案内で避難所に移動された両陛下は被災者の人たちを見舞われた。

  その後、ヘリで珠洲市に移り、午後4時すぎに野々江総合公園に到着。泉谷市長の案内で避難所で生活をする人たちを見舞われた=写真・下、NHKニュース=。午後5時30分、高さ4.3㍍の津波が押し寄せた飯田港を訪れ、泉谷市長から津波や地震の影響で漁船が転覆するなどし、緊急物資などを積んだ船も迎えることができない状況だったことなど、説明を聴かれた。

  以下、テレビのニュースを視聴した印象だ。両陛下は被災地の2人の市長の説明に熱心に耳を傾けておられる様子だった。避難所を訪れ、膝をついて被災者と対話する丁寧な所作に、被災者に寄り添う気持ちが伝わってくる。そして、被災者ひとり一人に「お体を大切に」とお声をかけられるなど、「寄り添いの美学」のようなものをお二人から感じた。

⇒22日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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☆能登半島地震 どうする所有者不明「空き家」の公費解体

2024年03月21日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島の尖端、珠洲市の大谷町地区は震源に近い場所だ。リアス式海岸が続き、くねくねと曲がりながら国道249号を車で進む。途中、がけ崩れで落下した岩石が路上に転がっている。かろうじて避けて通り越すと、今度は倒壊した民家が国道に倒れ込んでいた=写真・上、珠洲市大谷町地内の国道249号で、3月16日撮影=。震災から80日経ってはいるものの、住宅が倒れたままとなっているのはここだけの光景ではない。被害が大きかった輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町の各地で目にする。この光景を見るたびに復旧・復興の道のりは遠いと感じる。  

  では、なぜ倒壊した民家などが手つかずの状態になっているのか。考えうるのは、能登には空き家が多くあることだ。今回の地震では石川県全体で全半壊・一部損壊が7万3500棟に及んでいて(3月15日現在)、このうち全半壊の2万3700棟については自治体が費用を負担して解体ならびに撤去する。政府が能登半島地震を特定非常災害に指定したことから、いわゆる「公費解体」が可能となった。県ではこの作業を来年秋の2025年10月までに終える計画だ。ただ、問題がある。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われるが、空き家の場合は所有者と連絡がつかない、あるいは所有者が誰なのか不明というケースが多いのだ。

  「能登の過疎化は空き家問題」とも言われている。総務省が5年に1度実施している「住宅・土地統計調査」(2018年版)によると、金沢市などを含めた石川県全体の空き家率は14.5%ではあるものの、能登は空き家率が高く、輪島市は23.5%、珠洲市は20.6%、能登町は24.3%となっている。ちなみに県内で空き家率がもっとも高いのは、原発が立地する志賀町の28.1%だ。

  倒壊した空き家とは言え、私有財産ではある。それを易々と公費解体できるのか。この問題をクリアする手立てを環境省が『公費解体・撤去マニュアル』=写真・下=として1月にまとめ、全国の都道府県などに配布している。概要は、2023年4月施行の改正民法にのっとり定められた新制度「所有者不明建物管理制度」を活用し、裁判所が選任した管理人(司法書士ほか)に所有者不明の建物の処分を任せるノウハウを説明している。

  ただ、自治体と管理人は財産管理に関する協定を結ぶなど、相当に手間がかかることになりそうだ。制度はあれど、所有者が見つからない空き家は後回し、それが自治体の本音かも知れない。

⇒21日(木)夕・金沢の天気   くもり時々ゆき

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